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りんごをむく

 コロナ禍になり、台所にいることが多くなった。現に今も台所で書いている。だからといって、こんなレシピがあるんですよ!とか、美味しいご飯をいっぱい載せる様な文章は書かないと思う。ご容赦願いたい。

 普段私は、何がしか作っている人である。アーティストとか美術家とかそんな名称の人である。作っているものはゴミ一歩手前か、人によってはゴミ。どんなに精巧に作られた絵画さえも、結局誰が描いて、その作者の知名度によってはあっという間にゴミになる…という経験を以前したが、それは追々書いて行けたらな、と考えている。でもこれも書かないかもしれない。気ままに書こうと思う。

 今回は、さっきりんごを剥いたのでりんごの話を書こうと思う。先日、知り合いからりんごを7個ももらってきた。頂き物である。毎年この時期にやってくる幸せの一つ。重いのに、わざわざ手渡しで持ってきてくれる。いただいた時から熟れていて、素人が触っただけでみずみずしいなと感じる様な立派なりんご。流通には乗らないもので、一般的にいうなら訳ありなのかもしれない。お尻を見ると、しっかり五角形。デッサンに使ってね、と言わんばかり。描いたこともあったようななかったような…。しゃりしゃり皮を剥いて、切ったそばから口に運んだり、塩水にくぐしたりする。この時は1日の規定量以上だと思われるくらいぼりぼり食べる。よくたくさん野菜をいただいたーとか言うと、例えばりんごだったら「お菓子にしないの?」とか言ってくる人がいるのだけれど、私はなんでも丸のまま食べるのが基本的に美味しいと思っている。幼少期に見たテレビの中の赤色の服を着た料理人がそう言っていた、と思う。あの時は桃だったと思う。新鮮な食材を前に「そのまま食べるのが美味しいのはわかっているんだけどね〜」と言いながら、料理をしていた記憶がある。かなり昔の事なので間違っているかもしれない。絵の具を混色せずに、チューブから出した時が一番鮮やかだ、と昔教えてもらったが、同じようなものだと思う。ただし、調理と料理は違うと考えている。今回私は、りんごを調理はしたが、料理はしていない。テレビの料理人は調理で終えず料理したのだ。お菓子にしないの?と聞いてきた人は料理しないの?と聞いてきたのだ。絵の具も、チューブから出したままでは作品にはならない。支持体にどのように配置するのか、そもそも支持体はどうするのか、コンテキストは?どれだけ意図的に仕掛けるか。一つの作品に、一本の線に、さまざまなことが駆け巡る。 

 「作品制作は台所にある余りものを使って作る料理に似ている。」その事は論文に書いた事があるけれど、ここでも書いていくし描いていこうと思う。

 これだけ絵の具の事を言っているならペインターか?と思われそうなので一言断っておくが、私は魔法使いになりたかったから美術の世界に来てしまった人であって、ペインターであるかもしれないけれどペインターでは無い人である。また料理大好きか?と言われると、食べる方が圧倒的に好きなので、包丁の握り方もよくわからないし、お魚は捌けないし、野菜の見方もよく知らない、いつもネット検索し、いつの間にか現れた食材をどう美味しく食べるか考えているだけである。作品制作も同様に、マテリアルがやってきたから私の知っている方法論で捌いているだけである。そんな感じでこのnoteもやっていきたいと思っている。