見出し画像

わさびじお

 私はいつも料理をしているわけではない。我が家のお台所は私ではなく他の人の仕事場であるからだ。他人のアトリエに無断で入り制作はしないだろう。シェアアトリエですら、アーティストごとに取り分が決まっているのが殆どだ。それと同じである。ただし、賞味期限の切れた調味料や食材が発見された時、またはこれはちょっとこのままでは食べられないぞ…と言う食べ物に遭遇してしまった時、かつ、それが台所の主の苦手な物だった時に料理することになる。もちろん、全てこの条件に当てはまりはしないが(台所の主のアシスタントはよくする)、アクシデントから始まるクッキングと言ってもいいかもしれない。

 わさび塩と書かれた小瓶が調味料が入った引き出しから出てきた。賞味は一年前。私が買ったものではない。私は家に連れてきた覚えがない。誰かが買ってきて放置したに違いない。臭いを嗅いで大丈夫そうなので、少し舐めてみる。わさびの香りはおそらく、とうに抜けてしまい、お昆布の味が口いっぱいに広がる。でもやっぱりちょっとスッとする。パッケージを剥いてみると、デッカい丸。固まっている。お箸でブスブス崩してみる。丸は崩れて、瓶の中は二層の緑色に。上半分が抹茶色、下半分はそれに白を足した感じ。瓶一本分程度残っていて、果たしてどうしたものか。

 どうやら周囲に事情聴取をして行くと、「一回使ってみたが、わさび味があまりせず苦手な昆布出汁の味がする。」との事。この人、昆布出汁は好きじゃないので当然と言えば当然。裏の成分表示見ないできっと買ったに違いない。

 このわさびじお、一回で大量に美味しく使うにはどうしたらいいだろう?ネットで検索もした。でも、今一ピンとこない。試しにお吸い物にできないかなあ、とお湯で溶いたら「私、旨味成分の塊です!」と人間の煩悩に直接響く味がした。煩悩に響く味は嫌いではないが、ここでは受け流す。ここまで読んで疑問に思われるかもしれないが、余程カビが発生でもしない限り、捨てるという選択肢は基本無い。パッケージ上の賞味期限が切れたとしても大体のものは食べられると思っているし、我が家に残飯入れは無い。人間が食べなくてもカビだの虫だのが食べるのだから実質賞味期限というものは無いのかもしれない。言い過ぎか。

 さて、こうなったら、すべての調味料の救世主を呼ぶしかない。お米さまの登場である。おにぎりにしてしまえ!
炊き立てのご飯に混ぜ込んで、ラップの中に包んで握る。おにぎりを素手で握るのは、熱いし、コロナも怖いし、食中毒O -何とかも怖い。サクッと握って、食卓テーブルの上にチョンチョンと設営。台座は無印のお皿にした。私も食べたが結構美味しい。とろろ昆布を巻いた感じに近かった。

 最初に棲み分けのような話をしたが、食べ物に関して我が家の人間はあまり好き嫌いは無い。食べたことのない物は率先して食べる。でもこだわりが強かったり、うん十年前のオモヒデという呪いが発動し、食べられないというものがある。また台所の設備が古いので、できない調理法というのも最近できた。さまざまなルールの元、健康維持を第一に、また台所がなるべく汚れ無いように料理をするのは案外楽しい。

 同様に作品制作をしている中でも、ある程度ルールはある。例えば私は意図的に自分から決定を下さない様にしている。ある程度の枠組みは作るが決定は誰かに任せる。その誰かが人間では無い事はよくあるし、コロナ禍になり、更にその頻度が増えたように思う。自分ではない誰か(もしくは何か)に任せることで、色んなこと(多様性とか言うのかもしれないけれど、最近あまりに聞くので使いたくない)が多方面に広がっていく。物語が色んなところで乱立する。例えば人間一人に対して、人生という物語が一個でなければならないとは思わない。バイキングのお皿の様に盛り付け次第で変化したり、客の創意工夫でさまざまな食べ合わせができる様なそんな仕組み(システム)を構築するように作ることが私の方法の一つである。クリスマスプレゼントがツリーの下にたくさんあった方が楽しい気持ちになるでしょう?と、思うのである。

 友人が私が使用しなくなった画材を引き取ってくれるというので、段ボールに詰めている。でも開けたら、メリークリスマス!という文字が目に入るように、また隙間にはお菓子を詰めれるだけ詰めて送ろうと思う。