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じじ

このノートを家族に、Familyに、恋人に、そして仲間たち、特に寂しがり屋の親友に捧ぐ。

🤲お願い🤲
これはじじには見せないでね。

ある日の夕方

休学期間開始一週間ほど前、父から電話。
「じじ具合悪いんだよね。今回は退院できないかもってお医者さんに言われたんだ。めい(妹)もあやと(いとこ)と一緒に東京から帰ってくるし、あおいも週末帯広帰って来れない??」
バイトは休んで、予定も全て断り一泊二日、弾丸帯広旅へ。
(最近旅の定義に悩む。読書旅行という言葉もあるくらいなので、帰省も旅に含んで良いかな。)

またの話

私は明日、2024年4月1日から休学する。
自分自身ではこの休学を「ちょっとタイム!休学」と呼ぶことにした。
休学に至るまでのいろいろは、今度話すとして、今回は私の父方の祖父であるじじの話をしようと思う。

じじ(「」内は本人談にてお送りします)

ちいちゃなとき
じじは帯広育ち。高校はめいの先輩、高校時代はバレー部だった。
大学は京都の私立大学。
「親が貧乏だったから高校を出たら働こうって思ってたけど、
お兄ちゃんがお金を出してくれた。」
じじは人にもらった恩とか、人情とか、
めっちゃ覚えてる。

大学時代
考古学を専攻して鉱物鑑定士と学芸員の資格をとった。
「大学の入学時に学生帽に蝋をつけて、寺の床を磨いて、大暴れした」
ちょっと想像が及ばぬ光景。
「ボロい下宿に住んでいて、トイレが離れにあったから、
めんどくさくて2階の窓から小便を垂れ流していた。」
絶対にダメやろ。もう時効でしょうか。
大学時代はパン屋でバイトしてたらしい。
そのときに一緒に働いていた京大生(その人がリーダーでじじが副リーダーだったって言ってたっけ。)のことを偉く尊敬していて、
「やっぱり京大生ってのは頭の作りが違う。
こいつには敵わないって思った。」
って真っ直ぐ前を見ながら話してた。
一体パン屋でどんな能力が試されていたのかしら。

大学院か就職か
「ただでさえ予定にない大学進学で親に迷惑をかけていたから
院は諦めて就職した。」
勉強が楽しくって、
院に行きたいことを諦めきれなかったが、
先生には社会人になってから出戻りで院においで、
と言われていたらしい。
「これからの時代は、
中国語とロシア語が話せるやつが必要だって
先生に言われてな。
院に戻るまでには働きながら語学をやろうと決めたんだ。」

市役所職員か先生か
「先生になりたかったんだけども、
試験の合格発表が1日市役所の方が早かった。
俺の年は教員の倍率がえらい高くて無理だと思ってたもんで
市役所に勤めると電話した。
その1日後に教員の合格の電話が市役所から来た。」
人生そう上手くはいかないものですねえ。

市役所職員生活
「最初のうちは毎朝四時に起きて、
中国語とロシア語を
いっっっっっしょう懸命(本当にこれくらいためてた)
勉強したんだよ〜」
今更ながら、冷戦時期の語学チョイスで興味深し。
「でも長くは続かなかった。
ちょっと経ってからは、夕方5時になると、
食堂のおばちゃんにおにぎりを握ってもらって
それをもってパチンコへ。
22時になると
ほたるのひか〜り(♩歌唱♩)
って流れるんで
パチンコ屋を出て
夜の街へ繰り出すんだわ。
要するに夜遊びにハマったってことだな。」
それからというもの、勉学へのおもいは潰えたらしく、
今でもあの時勉強していれば、
今頃大好きな京都に住んでいたかと
思いを馳せることがあるらしい。

ばばとの出会い
ばばは私の父方の祖母で、高校の先輩だ。
えらく美人でよく笑う人だった気がする。
というのも、
ばばは私が5歳の時に亡くなっているから
はっきりした記憶はあまりない。
「夜遊びしすぎて、いよいよ俺の親がね
支出と収入の区別がつく
女の子と結婚させようとしたんだわ
したらば、当時拓殖銀行で勤めていた
ばばと見合いをすることになった。」
収入と支出のプロフェッショナルを
あてがわれるほどの遊び人気質。
「見合いをして付き合うことになって、
ばばについてわかったことは、
俺よりも収入と支出の区別がつかない人だったってことだな」
いや、区別つかないんかい。
俺よりも豪快に遊ぶ人だったから☺︎、って言ってるじじ。
ばばの話をしている時は
いつもどこか自慢げ。

結婚生活
結婚してからの話はあまり聞いたことがない。
結婚生活について私が知っていることは、

・ハワイ旅行に行っている(アロハな写真が部屋に飾ってあった)
・第一子和乃(女)が生まれる。
・第二子祐輔(男)が生まれる。
・子育て中、近所の大学生の下宿先として二階を貸し出し、
夜は大学生と麻雀。
・定年後はじじは旅人として、ばは主婦の頃からの趣味人として
それぞれの時間を楽しく過ごすタイプの2人だった。

ってことくらい。
でもすごい想像できる。


お見舞い

金曜の夜中に実家着いて
ゆい(妹)と一緒に朝ねて朝起きた。
午後はじじのお見舞いへ。
人数と時間に制限があり、
一度に3人で15分まで
という決まりで、
ちょっとじじと話した。

元気そうだった。
あおいとめいとゆいとに順番に話を聞いてくれて
お話上手はいつまでもお話上手なのだなとびっくり。
でもゆいの声は小さすぎて、じじには届かず。
めいが翻訳機の如く喋りまくってました。

じじに言われたこと。
「あおいは休学して旅へ、
めいは音楽で東京へ、
ゆいは島流し、
面白い三姉妹ってのは
いいねえ」
なんと寛容な82歳。自由を愛する血筋に感謝。

「旅をするときは、
旅程を決めすぎないこと。
だいたいの予定だけ決めて
あとは自分で
上手に時間を使うこと」
素敵な人との出会いも、素敵な場所との出会いも本当に予測できないって
私も最近知ったところ!

「健康で、たくましい女性になれよ」
3人で声を揃えて
『はい!』
って言いました(笑)

『またね!元気になってね!!』
ってあおいが言って、
じじが
「幸せになるんだぞ」
って言った。
めいが泣いてました。
それぞれじじとハイタッチして帰ってきた。

◉元気になってね

あやとが好き過ぎて、
バレーの送り迎えに忙しかった。
ゆいに甘すぎて、甘すぎるチョコとキャラメルを大量に貢ぎ、
ゆいは虫歯だらけになった。笑
毎日4時半から散歩していた。
ある冬の朝、耳当てを忘れたまま歩き続けて耳が凍傷になった。

狙ってないユーモアに溢れまくってるじじ、
早く元気になって、
また東のまちを歩き回ってほしいものです。
あやとの孫が生まれるまでは、
元気に生きなきゃね!!

執筆場所;JR北海道「おおぞら」の七号車
執筆年月日;2024/03/31

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