ぱんちゃん

本が好きです。 人生はニガテです。

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最近の記事

スポーツカーの現物はいらない。

ぼくは車が好きだ。 特にグッと低く構えた流れるようなボディが好きだ。どうしても目が行ってしまう。 あんな車に乗れたら、こんな車で出かけたらと妄想がふくらむのだ。 だが、なんだ。 おしゃれカーで出掛けるとして、その惚れた外観を見る時間が果たしてどれだけあるのか、ぼくはいつも疑問に思う。 たとえば高速で旅行に行くとして、うっとりと流線型のボディを眺める時間はどのくらいか。 たぶん、数分から長くても数十分間だ。 それ以外は、つまり、だいたいは内側から外を見ているはずだ。 それで

    • あなたの身体は誰のものですか?

      一万円札にはどうして一万円としての価値があるのか? あれは、ただの紙切れに過ぎない(しかも汚い)。スーパーに行って牛肉やポテチと交換できるのは、紙切れに価値があると日本人が「思い込んでいる」からだ。 アルゼンチンや昔のドイツの人の様に、手元にある汚い紙切れに価値がないと気付いたとき、ぼくたちにかかった魔法が解ける。 あなたは一軒家に住んでいますか?持ち家ですか?それはそれは。 でも、どうしてその土地はあなたの物なんですか?所有権があると「思い込んでいる」からですよね。

      • どんなに虚勢を張っても、人は一人では生きていけない種だ。

        自分は一人ぼっちで孤独な人間だ。 しかしあえて言わせてもらえば、人間の最小の単位は「2」だと思う。 人間は単独だと人間足りえない。 これは男女や夫婦のことではない。 たとえば、親子で子供が乳児の場合。 親がいることで子は人間に育つ。 しかし、親がいなければたとえ成長したとしても、その生き物は人間にはならない。 どんなに虚勢を張っても、人は一人では生きていけない種だ。誰だって、どこかで誰かには助けられているんだ。 お金持ちだってそうだ。お金持ちこそ他者がいるから生きていけ

        • 端的に言えば、差別だと思ったんだ。

          以前デパ地下で会計してるときに、隣のケーキ屋の会話が聞こえてきた。 おじさんが何か買ってたんだけど、かなり小柄な二十歳くらいのお姉さんが担当してた。 「小さくて可愛いね〜」 っておじさんが言っていたんだけど、あの「現象」は何て名付ければいいのかずっと考えてる。 おじさんが何も考えないで脳内の思い付きをそのまま口から吐き出してるのは知ってるし、女の人も「あははは〜」などと言ってた。 ただ、もしあれがお姉さんじゃなくて180の固太りの男だったら、おじさんは決して軽口を言わ

        スポーツカーの現物はいらない。

          ポケモンパン(運命)に一対一で向き合い、胃に収めてやるだけだ

          他人の人生(友達とか同級生、はたまたテレビの大リーガーとか)が高級料亭のフルコースのように見えるときは、たしかに存在する。 そんなとき、自分の人生は第一パンの100円のポケモンパンのように感じるものだ。 しかしだ。たとえ高級ディナーが目の前に用意されたとしても、自分の手でフォーク(または箸)を使わなきゃならない。 何が言いたいのかというと、いくら恵まれた(神に愛された)星の下に生まれたとしても、その運命を受け取る必要はあるということだ。 引き寄せの法則、みたいなことを

          ポケモンパン(運命)に一対一で向き合い、胃に収めてやるだけだ

          日本に生まれてあなたのいう「努力」ができたのはなぜなんだろうか

          人生を決めるのは自分だ 普通はそう考えてると思う、みんな。 でもぼくは、主に人生を決めるのは我々自身じゃなくて、受精卵になったときの遺伝情報だと思ってる。これ言うとだいたいイヤな顔されるけど。 でも論理的に、「これはなぜか」って自分の人生イベントを突き詰めて考えていくと、結局は受精卵まで遡らざるを得ないのが分かると思う。 そう、分かってる。 これを読んだあなたはこう思ってるはずだ。 「何でもかんでも人のせいにして」 「努力しない言い訳」 感情的には共感するけど、人

          日本に生まれてあなたのいう「努力」ができたのはなぜなんだろうか

          発達障害と見た目の障害(?)

          発達障害の本を読んでいると、「発達障害は人の個性といえます」ってだいたいあって、たしかにぼくもその通りだと思う。個性だけど生活に困るから障害になってる、と。確かにそうなんでしょう。 でもそれって見た目でいうところのブサ○イクも全く同じ構造なんですよね。個性で、生活に事実上の困難がある。 なぜ、精神の発達に関する個性を事実上の障害とみなし、身体の発達に関する個性を事実上の障害とはみなさないのか? そこに論理的な説明はできないと思う。 これもいつか(精神科じゃないから)外科的

          発達障害と見た目の障害(?)

          感覚遮断魔法とディズニープリンセスとぼくらの人生

          さいきんの二次エ○漫画の人気ジャンルに「感覚遮断魔法」があるが、ぼくらの人生の展開はある意味この結末に非常に近い。 "ずっと知らないふりをしていても最後に現実に直面させられる" からだ。 違うのは、マンガだと魔法が切れたラストシーンで溜まりにたまった快楽が一気に押し寄せるんだけど、現実世界のラストシーン(死)ではむしろ快楽の清算を迫られるところだ。 これまでに受け取った快感の説明が求められる。たとえば病床で。 ぼくに神がいなければ、自分に対して説明できなければならないのだ

          感覚遮断魔法とディズニープリンセスとぼくらの人生

          死の恐怖の整理

          一般的に、我々は「死ぬこと」よりも「死ぬまで」の過程が怖い。話を聞くと、「死」自体を恐れているわけではない。 死んだあとどうなるかが怖い人がいる。 →しかし、死んだあとなら怖がるあなたがいないから論理的に怖がれない 死んだあとの自分の消滅が怖い人もいる。 →しかし、消滅したら消滅をもう怖がることができない。 死んだあとの自分が苦しむのが怖い人もいる。 →しかし、もしあなたが死んだあとも何らかの理由で存続する超生命でも、そのときはおそらく今の様な"怖がれる"人間ではなくな

          死の恐怖の整理