今夏

体調

 今日、久しぶりに六時台に起きた。
 前日の起床時間が十二時近くだったことを考えると快挙だと言ってもいいだろう。こんな最悪の体調じゃなきゃ、そう手放しに喜べたのに。

 寝起きの体調は熱中症と夏バテのダブルパンチといった様子だった。
 歩くときに動く手足が骨と皮ばかりで構成されている心地がして、一気に身体が痩せ細ってしまったような感覚だ。ここ最近で一番不快な状態だった。
 喉に通した液体の所在を刻々と感じ、身体の内部の動きを自覚させられる。手足に通る血管の鬱陶しさ、心臓の蠢く気味の悪さ、肺の動きに伴う圧迫感、自分の身体がどうしようもなく気持ちの悪いものなのだと気づいてしまった。

 あんなにも自分の書いた小説で感覚の素晴らしさを描いていた私はもはや存在できない。そんな感覚がする。
 心臓の鼓動が鬱陶しい。四肢に纏わる痺れが痛ましい。胃の中で物が揺れる感覚が気持ち悪い。頭にかかる痛みの靄が不安で、瞳に溜まった疲労がありありと感じられてしまう。

 こうなった原因は単純で睡眠不足と室温(あと湿度)がやたらと高かったことだ。
 つまるところ結構な割合で自業自得だし、これを読んでくれているあなたにはぜひ気を付けてほしい。

書きたいこと

 で、なんでこんなにも体調が悪い中、わざわざキーをタイプしているのかと言えば書きたいことがあったからだ。

 感覚というものは差を捉える。
 いつも通りの感覚でいつも通りの感覚を書くことなんてないし、やろうと思うと難しい。そしてこうして体調不良になった私が普段の感覚、健康な私というものを書くのも意外と難しい。
 書きやすいのはむしろ今の感覚。
 異常を感じる私の感覚こそ描写しやすい。
 普段の感覚をスタンダードに考え、感じるこの身体ではそのスタンダードを捉えるのが難しい。

 だから日常というもの、普通の日々というものを機微に描ける人は何者だろうと、偶に思うことがある。
 私にとって普通の感覚の延長に存在する普通の日々は捉えて、描写するのは難しい。特筆することしか書けない、とまでは言わないが、普段見落としてしまって感じないモノを私は書くことが出来ない。
 日常はスタンダードでしかないのだから。

 もしも普通の日々を詳細に描くのだとしたら、一を一として認識するか異常な日常を過ごすしかない。少なくとも私の技量では。

 去年、私は不幸を感じなければ幸福を感じることはないと自身の小説で書いた。その考えは今も変わっていない。
 今の私がそこに文言を付け加えるとしたら『不幸でもない奴が真に幸福を語れると思うな』という注意書きだろうか。

謝辞

 こんなにも体調不良の時に書いた文章だから読みにくいと思う。
 そういう保険を書くことを自身に許してしまう程度には気分が悪いので、読んでくれている心優しいあなたにも許して欲しい。

 ああ、でも。
 体調が悪い時に進む筆はどうしてこう、心地の良いものなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?