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「力」を失った作業療法士の、焚き火実践による「つまらなさ」への足掻き

臨床経験5年目

 一般病院で作業療法士としてリハビリ業務を務めて4年が経った。入職当時は丁度2020年。まだコロナ感染症拡大の走りの頃で、私の住んでいる愛媛県には遠い話のように聞こえていた。そのうち、クラスターが発生。昼食で会話をすることも禁止、会食も自粛、県外移動はイチイチ上司報告など、あらゆる制約が我々を人間的豊かさから阻害した。
 
 7、8人いたはずの私の同期は、4年で1人残らずいなくなった。

 単にひとり残されたのが寂しいのではない。もっと大きな何か、「社会」全体の抗いようのないマクロな流れのようなものが、私の周りに渦巻いているような直感がある。しかもそれは、明らかに良くないもののように”感じる”のだ。

 新入職員は、あまりに多い退職者の補填としてべらぼうに入ってきた。当然残された中堅の私は指導係に回される。病院としても、退職者の多さに対応せざるを得ず、院内研修の充実やら新人指導評価の追加など、とにかく野放しに育成された私以前の世代とは打って変わって「若者迎合」に傾倒した。

 私が新人指導に関わってく中で直面したのは、彼らの「小さなことにイチイチ傷つく精神的免疫の無さ」「過剰自己防衛」「他責化・他罰化」「表面的過ぎるフラットな人間関係」だった。病院組織は、彼らを過剰に保護した。

 ハラスメントは忌避されるべきだが、あまりに過剰な保護・迎合は、彼らの精神的未熟さを保全することにしかならないはずだ。
 だが、それを主張・実践するには、私の上記のような直感・分析・主張は孤独で、私自身全く「力」不足だった。今もそうかもしれない。

 教科書的な医療知識や患者と関わる以前の人間的な感情的豊かさなど、前提となるものが明らかに欠けている。

 患者を自分の神経症的不安の埋め合わせに利用する者、平然と赤ちゃん言葉やタメ口で患者と接する者、異常なまでに医療知識に拘泥する者、不安を起点にして結びついてその埋め合わせに延々と齷齪(あくせく)する者、自身の精神的未熟さを棚上げして上司や会社組織を過激にディスる者、あるいはここに列挙した者ら同士の罵り合い…

 どう考えても地獄絵図。何も「力」は湧かない。正直書いていてもウンザリしてくるのでもうやめる。以下のリンクを参照してほしい。

悪意なきフラットな若者たち

 一応、私なりの現状分析の順序立てを載せておく。

反抗期がない若者(子供にとって世界の全てである"親"を通しての大文字の他者である"社会"からの価値観の外に出る動機がない。なぜなら環境がフラットな社会・人間関係になったから)
→自己否定のプロセスがない(親や社会の価値観で生き続ける、またはささいなことで傷つき、過剰に身を守るようになる。それもフラットな社会環境、しいてはフラットな人間関係ばかりになり精神的耐性が低くなって精神的免疫がなくなったから)
→自己保全優位になり他責・他罰・認知的整合化で、自己変革の契機を徹底的に避ける=精神的成長が行われない(傷つきやすさや脆弱な精神パターンが保たれたままになる)
→精神的未熟さから分泌される様々な不安・根源的な空虚感(つまらなさ)を、消費的活動で埋め合わせる。【筋トレや社会的意味づけによる外側の成長(出世・金稼ぎ・肩書きを増やす・多趣味など)、言葉による権威づけや依存的な異性関係(関係が安定しているか否かは関係なく)、酒・薬、推し活や音楽ライブ、サウナ、カテゴリーに寄った言葉の内側の活動など】
→だがそれらは所詮フィクション(虚構)であり、所詮は代替による埋め合わせなので、根本的な精神の不安は消えない。不安の源泉を手当しないで埋め合わせに終始するするという意味で「神経症的」。
→一生を不安の埋め合わせに使ってしまう(損得・法へのしがみつき・言葉の自動機械=言外の感性の消失→これらも過剰な自己防衛によるもの)。
価値観の再考やあるべき人間関係・社会環境に、全く意識が向かない。

 当然のことだが、彼らには悪意はない。だから直接的な指摘は、彼らの被害感情を惹起する。

 現状分析は重要だが、では私は何をすればいいのか。どうすれば、彼らを言葉の外に連れ出せるのか。それとも自分の周囲にいる人間は諦めて、言葉の外で繋がることのできる人間と出会うべく乗り出すべきなのか。

個人を動員するよりも

 個々人に拘ることに、あまり意味はないのかもしれない。私の現在の状況としては、細々と焚き火実践を積み重ねていくしかないのだろうか。

出口のない社会、終わりなき日常、風穴を希求する私

 消費的埋め合わせに終始する人々を見ていると、社会というものの出口のなさを直感してしまう。そういった人たちに囲まれていると、自分がおかしいのではないかと思えてくる。気が狂いそうだ。
 社会に「適応」して、言い訳しながらつまらないまま生きていくのは嫌だ!と心が叫ぶ。「そんなものは学生の内に済ませろ」と妻は言う。「それは劣化の推奨だ」と私。

 私は足掻いてみるよ、数少ないメンバーたちと一緒に火を囲って。

 「力」の源泉を求めて。私自身が「力」を持てるよう、ギリギリやってみるよ。

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