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家を捨てた人の「寂しさ」2選|摩衣の快適部屋とふらふら【#11】


年に4ヶ月くらい家を空けて、国内外に出掛けていたのは2〜3年ほど前のことだ。世界的に自粛ムードが漂い、空席が8割を占める中、ただの遊びで北米まで足を運んだのは(反道徳的で)いい経験だった。立場のない人間は自由だとつくづく思う。

当時は(潜在的にやりたい人、旅はしなくとも共感してくれる人を含めた)旅仲間を見つけたくて、文章に動画、音声と意欲的に発信していた。

常に新しい環境で新しいものを目にする日々に身を置けることに満足していた。全人類そうしたいものだとしか思えなかったし、実際に賛同してくれる声は多かった。

その後、一応年に8ヶ月は住んでいた家も解約し、100%旅生活のために車で暮らし始めたのは、1年半ほど前のことだ。思いついて数時間後には、部屋の解約連絡を入れていた。いつものランチの注文は、これがキミの生涯最期の食事かね、と見る人が言いたくなるほど悩むが、人生を左右しそうな大きな決断はほとんど悩まないのが私の持ち味だ(重要な物事ほど非常識に楽観的、と私をよく知る友人から言われて納得)。

その楽観主義者も最近、ふたつの「寂しさ」に気づいた。

年に3分の1旅生活をしていた頃と同様、この一年半のあいだ車で暮らす素晴らしさを周囲に語り続けているが、後に続く人は一向に現れない。そしてふと気づいた。非日常100%の生活を送りたい人など、恐らくほとんどいないのだということに。きちんとした日常あってこそ、非日常が輝くのである。

寂しさのふたつめ。なにより「旅する生活に憧れていた自分はもう居ない」ということだ。

ニューヨークの敏腕ビジネスマンが、憧れの早期退職のあとカリフォルニアに移住した途端、たった一年半でその生涯を閉じる傾向にあるとどこかで聞いた。私はニューヨーカーでも敏腕でもないただの車上生活者だが、一時は憧れ焦がれた「旅する生活」を成し遂げた点は、彼らと本質的には似ているといえる(たぶん)。

要は、追い求めていたものが現実となっても、さらに人生は続いていくことに気づいてしまったのだ。役職を去った老後のお父さん、子育てに全力投球した末に子育てが終了したお母さんのように、私も次の目指す形を考えるときが来たのだ。

ここまでご覧頂き、ありがとうございます。 各地で得た経験を読者の方に還元できるよう、精進します😊