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2 STEP SOUL 15:番外編 UKソウルへの影響

  2ステップが流行した'80年代後半~'90年代前半ごろのイギリスの音楽には、その影響を直接/間接的に受けたもの、また逆に影響を与えたと思われる人たちも居ました。こうして並べてみるとメジャー・レーベルと契約出来たか否かで知名度に極端な差が出てしまうことも感じます。


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スティーヴ・マイヤーズ"Loves Gonna Last"(1986)

  ラヴァーズ・ロックのレコードを多数リリースしていたプレッシャー・レコーディングからデビューした男性シンガー。いち早くジェフリーの"Loves Gonna Last"を取り上げ、イギリスでも忘れられていたジェフリーのアルバムが注目されるきっかけになった。


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ダイアナ・ブラウン&ザ・ブラザーズ"Yes It's You"(1987)

  女性シンガーのダイアナ・ブラウンがバリー・K・シャープ(本作にも参加)とのコンビを前面に出す前、ブラン・ニュー・ヘヴィーズのベーシストがアレンジを手掛けているシングル。AB面ともにJB関連曲のカヴァーで、当時のレア・グルーヴ関係者の嗜好がうかがえる。


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ルース・エンズ"A Little Spice"(1984)

  ソウルIIソウル以前にアメリカでも成功したUKソウルのグループと言えば彼ら。"Hangin' On A String"はビルボードのR&Bチャートでも1位を獲得するヒットになり、後続のUKブラック勢にも影響を与えた。打ち込みトラック中心のバックにソウルフルなヴォーカルの取り合わせは後にUKストリート・ソウルと呼ばれるようになる。


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52nd・ストリート"Children Of The Night"(1985)

  マンチェスターで結成され、デビュー当時はファクトリー・レーベル所属でニュー・オーダーのメンバーがプロデュースしていたが、「ルース・エンズの次」を狙ったヴァージン・レーベルと契約してからはよりポップな嗜好へと変化したグループ。今作はルース~と同じフィラデルフィアのニック・マーティネリのプロデュースで、"Tell Me (How It Feels)"は典型的なUKストリート・ソウル・スタイルのメロウなミディアム。


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ソウルIIソウル"Move Me No Mountain"(1992)

   '80年代前半はレア・グルーヴ系DJやブティックの経営で活動していたジャジー・Bが自身の音楽活動を行うためネリー・フーパーらと結成したグループ。「グラウンド・ビート」の呼称のほうが有名になってしまったが、2ステップ的な音楽性で最も成功したのは彼らかもしれない。今作はズバリ"Hackney E9 Mix"を含む'92年のシングル。曲はラヴ・アンリミテッド~ディオンヌ・ワーウィックのカヴァー。


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メアリー・ローズ"Devotion"(1991)

  詳細不明だが、トッテナム周辺のレゲエ・サークルから登場したらしい女性シンガー。"Love & Devotion"は2ステップのクラブでも人気の高かった曲で、こんなスロー・テンポの曲でも盛り上がるところにUKでのレゲエの浸透度を感じる。


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クール・ノーツ"Spend The Night"(1985)

  レゲエ・グループとして活動していたが音楽性を徐々にR&B寄りに変化、フロントには女性シンガー2人という2ステップ的には申し分ない履歴の人たちだが、音はかなりポップ・ダンス寄りで黒っぽさが弱い。再発CDのライナーに載っているインタビューで女性シンガー二人が揃ってお気に入りにメイジャー・ハリスの名を挙げているのが気になります...


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ダズル"Soul Sisters"(1989)

   プレディクション(Prediction)というラヴァーズ・ロック系グループのメンバーだったパターソン姉妹が独立して結成。元アトモスフィアのアンディ・ソジカがプロデュースした"Dazzle You"は2ステップ系パーティでも好んでプレイされていたUKストリート・ソウル。


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シャラ・ネルソン&ザ・サーキット"Aiming At Your Heart"(1983)

   マッシヴ・アタックと関わる前、エイドリアン・シャーウッドのプロデュースによるデビュー・シングル。A面はエイドリアンらしいレゲエ調の曲だが、B面は2ステップやUKストリート・ソウルへの連続性を感じるミディアム・テンポの可愛らしいソウル・ナンバー。


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オマー"There's Nothing Like This"(1990)

   オマーはブラック・ミュージックの印象が薄い南東部カンタベリーで育ったが、父親もプロのミュージシャンだったこともあって様々な音楽の要素を吸収、'70年代ソウルやジャズにカリビアンの要素もにじませたUK独自の心地よいスタイルを作りあげた。メジャー・シーンからも注目されるきっかけになったコンゴ・ダンスから通算5枚目のシングル。


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ミーシャ・パリス"South Of The River"(1990)

   そのオマーがプロデュースした"I Should've Known Better"は当初このシングルのB面にしか収録されていなかった('98年のアルバムにようやく収録)。ヘヴィなベース・ラインが先行するトラックにパワフルなシャウトが炸裂するカッコイイナンバー。


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フィル・フィアロン&ギャラクシー"Fantasy Real"(1983)

   シンガー/プロデューサーのフィル・フィアロンを中心としたグループ。ポップ・ダンス色が強い人たちだが、この"Fantasy Real"だけは例外的に2ステップ系のパーティでも好んでプレイされていた。

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