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耳を傾けるんだよ

【詞のことば】

耳を傾けるんだよ

耳を傾けるんだよ
そう 何も疑うことなく
口を挟むことなく
自らの連想や疑問符は一端脇に置いといて
彼女があなたに与えようとしていることに
耳を澄ますのだ

彼女が築こうとしている
連綿とした流れに没頭して
身を委ねてみたらいい

それはあなたの馴染んだり
既に望んだりした川じゃないかもしれない
あなたの心に抱くことのできる川じゃない
だからこそあなたに
新しい概念やその枠組みを
与えうるのではないか?

畏れず、敬い、信頼して
飛び込むのだよ
その流れに!

全ては理解できないかもしれない
半分も分かんなくって
泣きそうでもうやだし!
って、なるかもしれない。

でも大丈夫
一度耳にしたものは
わたしたちの脳という
スーパーコンピュータに
データとして必ず
蓄積されている

感覚を閉じさえしなければ
その感覚を
恐れず
卑屈にならず
5歳児のそれのまま
オープンにしておけば
必ず掬いとっている
わたしたちの脳は。

そして青年にさしかかってからの
不安定だが長じたこの意識は
意識的に感覚を
開くことができる。
意志の力をもってして
無意識に閉じた感覚さえ
こじ開けて、
再びご開帳してやれる
その力が、
あなたにはあるのだ。

だから耳を傾けるんだよ
やろうと思った時に
わたしたちはいつでも
自らを変化させることができる。

21Feb2020
2S.O

【理性のことば】

 「彼女」というのは、女性性、つまり自分の感覚の部分を指しています。「感覚でものごとを決める」と言ったりしますが、この1~3月に心理を学んでみて、その「感覚」を純粋に保つことって案外私たち現代人にはデフォルトになっていないことが多いのだな、というのが判りました。

 感覚や感性や感情といったものが発露するときに、われわれ人間は心理学ではビリーフとよばれる観念のフィルターを通してこの世の中を眺め、反応を返している。そしてその観念は、子どもの頃の種々の体験から無意識のうちに作ってしまったものだから、自分では気づいていないことが多い。どんなに固定観念から自由だ、って認識している人でも、多かれ少なかれこれを持っていて、よくもわるくもそれともつれながらこの世の中と関わっているみたいです。…ということが、セラピーを自分でも体験してみて、出るわ出るわで、よく分かった(笑)のでした。

 そうして、歪んでいた認知に気づき、それをクリアにすることで、フィルターの濁りがなくなり、その分一つ、感覚をオープンにすることができる。いくら子どもの頃の心の傷などがあっても、大人の私達はそうと決めたらいつでも、それに向き合うことができる。向き合って、純粋にもう一皮むけた玉ねぎのように、外の世界とより薄い衣で交われる。そこに私は、人の可能性をとても感じ、感激してこの詩を書いたのでした。

 話が逸れるようですが、今日もわたしはこんまりお片付けを遅々としながらもも進め、モノというかたちをとった心の顕現から、自分の価値観や意識に向き合ってみたいと思います。

レッツこんまり♪

ーー

しかしとりもなおさず子どもがいると自分に集中できない。
家族時間とおひとり様、との中庸のバランス、を見つけたい。

やっぱり聴覚だろうか。
AirPodsを取り出して、しのげるかちょっとやってみよう。



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