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人の求めに合わせて働く

 他人の求めるモノに合わせてサービスを提供するって、大事だと思うのです。けれども、相手が、自分が心から求めているものに気が付いていなかったとしたら?職場を取り巻く制度が、サービスを提供する相手の本当の望みを研ぎ澄ますのではなく、曇らせてしまう価値観でできていたのなら?

 ――そのサービスは形骸的で、きっと長続きしないか、権威を得て続いているけれども、実を結ばせずに、むしろ潰していくように働くのでしょう。

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 直接、相手が本当に必要としていると自分が信じているものを伝えられる仕事をしている。一方で、それを伝えるには、制度が求める知識を効率良くダウンロードする媒介にならなくてはいけない。むしろ、現場で今、表立って求められているのは、そちらだと、感じる。気のせいだといいな。でも、そうじゃない。大学受験という制度は社会の価値体系と大きく手を組んで、正当性を主張し、それを有無を言わせず当事者に突きつける。

 現状で制度が求める英語は、受験英語だ。各自がそれを会話で使えるか、なんてお構いなしに、重要構文やそれらの兄弟姉妹みたいな慣用表現を、一時間に二けたの単位でダウンロードさせる。そういう風に、教科書ができている。少年老いやすく学成り難し、ええ、ですから、若いうちに学問を身に付ける努力をした方がいいのは、わかるのだけれど。受験制度をかいくぐって進路を達成するために努力している高校生は、将来の目標に向けて今やれることを把握し、それに集中しているという点で、文句なしに素晴らしいし、もろ手を挙げて応援したい。

 だから、これは、たぶん私の特性からくるぼやきにすぎないと、思ってほしい。「いかに効率的に多くの知識をダウンロードするか」という部分に、工夫を凝らすこと。嫌いじゃない。意味のあることだと思う。でも、そういう意味で「求められていることに合わせる」のに、私はとてもエネルギーを消費してしまうようなのだ。

 そういう理由で、noteになかなか来られていませんでした。


 手段としての受験英語、を割り切って、さばさば、教える。
 これが価値だぞ、と、生徒を熱く引っ張る。

 もしかしたら、そこは私の最終目標ではないのかもしれません。

 これも価値の一つだよ、頑張るのはいいことだよ、でもそこだけじゃなくてね……

 これを胸を張って言えるように、学校の外で何ができるか、今、試しているのかもしれません。





時間に関する本を、訳しています。ぜひ読んでみてください。


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