わたし、詩(うた)が好き

 『竜とそばかすの姫』を観たのは、9月のことだっただろうか。
 主人公の女の子を通して、一人のひとの中に眠っている表現への渇望に魅せられ、そして、自分の中にも確かにあるその渇きが、共振するような思いで、泣きっぱなしの二時間弱だった。

 わたしたちの中には、そうして表現されるのを待っている何かが、思いのほかたくさんあるんじゃないか。そして、その「何か」を都度つど汲み取り、それにかたちを与えてゆくこと、そこを共通項としてこそ、人はつながってゆけるんじゃないか。日々の物質的処理のあれこれは横に置いて、人がこの身体をもって経験し、この心をもって感じられること、その分かち合いが、他でもなく人を人間たらしめるのではないか。同じ時代という時を生きる旅人として。

 そんなことを、とみに感じている。

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 そうしたときに、「何を通じて表すのか」という表現の手段に、人それぞれの生まれつきようが色濃く反映される。過去二年間ほど特別支援教育を学問して分かったのは、人は脳特性によって見ている世界が違う、ということだ。

 同時処理の得意な視覚優位な人なら、立体的な映像記憶が鮮明にあるから、それを絵画や塑像・彫像など視覚的に表現すればより鮮やかで精度の高いものになるだろうし、継次処理の得意な聴覚優位の人なら、連綿とした音声記憶として豊かな言葉群との親和性が高いから、抱いた想念を何らかのかたちでことほいでゆくことに、うつくしさが宿り、よろこびを見出すだろう。

 そう、厳然たる聴覚優位のわたしは、あらゆる想念をことばにしたくてたまらない。

 ある想念にぴったりと寄り添うことばを見つけたとき、心は悦びに踊る。

 わたしの女性性と、男性性の蜜月。この時間は水入らずで、過ごしたい。誰にも、邪魔されたくない。たとえ前世から恋をしている現世の恋人にだって。オーム・シャンティ・オーム

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 そうしたとき、[詩]という表現手段に、わたしは途方もない敬愛の念を抱く。

 詩は、厳密さを求めない。言語を論理で駆使することを求めない。だから行間に読み手の解釈の余地をのこす。自己防衛する心の予防的措置として、言葉を濫用しない。政治家の発言とは対極に。

 わたしは政治家よりも、詩人として暮らしたい。そういう在り方の許される世界に献身してゆきたい。土に根差し、日照りや雨にぽろぽろ涙を流し、アメニモマケズと詩(うた)を書いていたい。


 わたし、詩(うた)が好き…!



 詩の好きな人、ぜひ、つながってください。

 詩で他人と会話ができることは、わたしの人生のQOLに大きく貢献するのです。

 それを求めることができると、36のわたしはようやく、知るに至っている。ここまで来るのに、長かったなぁ…。







 そんなことを思っている、母艦との交信ペンダントを失くして地上で彷徨う、宇宙人の一人です。

 そう、象徴的な意味で、そういう自己理解を、すごーく、すごーく、助けてくれたから、インド映画というものを何か崇高なものとして、わたしは愛しているのです。


#詩の好きな人とつながりたい #インド映画好きな人とつながりたい
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