子そだて・かぞくのじかんと、創作のじかん

目の前の人に、持てるものを差し出してしまう性分で、
それは善いことでもあり、でも
ひとがそばにいるだけ、
いわゆる内なる自分との対話に気が注げなくなるというジレンマを、
いつも常に、抱えている。

Out of Sight, Out of Mind
(視界に入らずんば、想いの外)
という英語の諺そのままに、

目の前のことに全集中、が基本だから
半径3mの外のことに時を確保するのは、
とても、難しい。

(これは、流れの質をもつ
太陽星座みずがめ座の、区切らない
という性質でも、あるらしい。)

連綿と流れている目の前の事象に夢中なあまりに、
大切なはずの近しい人のことだとしても、
あたまをかすめてきゅっと抱きしめるだけで、
具体的な連絡というアクションには
至らないことが、ままままままに、ある。

この、あたまをかすめて抱きしめて、
の念のようなものを、
テレパシーでやりあえたら、
いいのになぁ…

と、
切に、
おもって居たり、
する。

 *

さて、

家族や恋人や、
極めつけは子どもなんていうのは、
近しさの極みだから、

近くに居ると勝手に差し出してしまう。

自分のなかで、
勝手にファミリーだとみなしている
ひとでも、そうだ。

境界線がよくもわるくも、
あいまいなのだ。

あなたはわたしで、
わたしは、
あなた。

でも、世話を焼いてくれなんて
差し出してくれなんて

誰も頼んじゃいない。

彼ら・彼女らは
わたしがじぶんのいのちの目的を達成することをこそ
手放しで喜んでくれる。

喜びの枝葉をさわさわと揺らして、
わたしを手招きして、
くれている。

次の、階段へ。

子どもも恋人もファミリーも
自分を生きてこそ

関係性をちゃーんと、
築ける、
はず。

そこを、
信じて、行こう。



翻訳中の #いのちのじかんのまもりびと  で、一番、心に残った章を、全文公開しているので、よろしければどうぞ、ご拝読ください。

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