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手しごとの自由を、わたしたちの手に

 ものごころついたころから、手しごとが好きだった。

 年のころは十(とお)、母に習った編み物。

 年のころ十一、週一のクラブ活動で手芸クラブに入り、クッションやらテディベアやら、実用品から飾りまで、一通り、つくった。最初につくったのがクッションで、ハマナカの綿の袋に「〇〇倍に膨らみます」と書いてあるから一本ですむかと思ったら全然、ふっくらしなくって、四隅にぎゅむぎゅむ詰めながら、確か三本くらいを消費してふっかふかのやつを、つくった。――大いに気に入って、ヘビロテしたために、小学校卒業の頃までには、座布団になるのだけれど(笑)

 年のころ十二、パッチワークキルトをつくった。端切れを縫い合わせて模様を描きながら、一枚の布に仕上げ、最後にキルト芯を背面に入れて、ステッチをして、キルティングの壁掛けにした。

 年のころ十二、その女の子は、中学に入学し、テスト勉強に忙しくなり、次第に日常の手しごとからは疎遠になっていった。「テスト」という課題は、よく言うことを聞きなさい、と祖父や両親から教わってきた先生たち大人から与えられたもので、力を尽くして全うするもの、だと思っていた。他のことをすると、気が簡単に散ってしまうその子は、テスト前になると、友達付き合いからきょうだいと遊ぶ時間に至るまでを「切って」、「テスト勉強」なる課題に、集中した。そうして切り捨てたもののなかに、手しごとも、入っていた。それでも、長期休みになると、服の型紙をチャコやチャコペーパーと一緒に買ってきて、夏服や何かを自分でつくったり、していた。

 年のころ十五、女の子は受験勉強に忙しくなった。その子のこころは、手しごとを「いつか時間ができたらやりたいこと」として、脇に置いて、「どこか」へ何か差し迫った「成果」なるものを求めて「出稼ぎ」に出てしまった。

 いつかできる時間、は、一体、いつ、できるのだろう?

 「やりたいこと」を脇に置いて、「どこか」へ自分を出かけさせてしまうほどに、「何か差し迫った」「成果」とは、一体、何に、どう仕える、作用であり行為であり得ると、言うのだろう?

 十五のわたしは、大人の言うままに、何か大切なものを、置き去りにはしなかったか――?

 先月、退職願を出し、5年弱の教員生活に、ピリオドを、打った。

 一番の理由は、タイムウォーリアー『いのちのじかんのまもりびと』の翻訳を、2022年3月の期限までに、翻訳・出版する、という仕事を、完遂するため。

――これは、別の機会に、ちゃんと、教員の仕事や学校、それからわたしの生徒達へ抱いている敬意と共に、書き示す必要があるから、詳しくはここでは述べないけれど――そうなのだ、わたし自身が、わたしの特性や経験や能力やそうした全てを総動員して、今、世の中に対してできる仕事が、これなのだ。つまり、私自身が、私自身の「いのちのじかん」を護るための選択肢が、教職を辞めるということだった。――

 話しが少し横に逸れたので、本題に戻ろう。

 離職をした、その副次的な効果なのだが、手しごとをする時間が、わたしに、取り戻されつつある

 その一つとして、麻紐をかぎ針で編んで、エコたわしをつくる、というのがある。網目を数えながら手先を動かしていると、何とも言えない、瞑想のような心境に、なってくる。頭のざわざわが、消える感じがする。

 この手しごとは、規則性の虜としての特性が、数字や幾何学的パターンに特化している、数字や時間となかなかお友達になれない私からしたらそれはそれは、有難い友人から、習ったものだ。くだんのエコたわしの作品も第5作目となり、下手なりに慣れてその全容が少し見えてくると、彼女がこれを愛し、時間を見つけてはとつとつと何かを編んでいる理由が、何となく、分かってきた気がする。


 そこには、心の静けさがある。

 心の中の静謐の泉に、とんとんと降りていくような、感覚がある。

 この時間を、私達現代人は、どこかへ置き去りには、してこなかったか?


 手しごとは、心を落ち着かせる。 

 速さや効率性や数字に表れるような結果主義とはどこか別の次元で、それはわたしたちの存在の核となるどこかに作用する。

 ――いかにして捨てばや、手しごと。

 手しごとのある暮らしを、わたしたちの手に。 

 ほかの何にも代えがたい価値を、わたしたちの世代は継承し、引き継いで、その中に生きていきたい。

 中でも私は、機織りをやりたい。それに、集中できる環境を、今、整えている。もう、それは、必死で、しかしながら、愉しい、プロセスを歩んでいる。

 どうか、織姫の願いが、他の何にも邪魔されることなく、叶いますように。




🍎《タイムウォーリアー『いのちのじかんのまもりびと』翻訳中》
39章/101章 まで来ましたー!


🍎《手しごとおススメ書籍》

 椎葉に居たときに隣のお部屋だった、雑穀づくりをめぐって人々が手を携え、関係性を降り結んでいくことの価値を研究しているサオリちゃんから、教わった本です。

ロビン・ウォール・キマラー『植物と叡智の守り人』

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http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1564-1.html


●原書『Weaving Sweet Grass』
ネイティブアメリカンの草を編む習慣から、その行為の本質を掘り下げて、現代科学の在り方にまで波紋を投げかける。

● 原書は Amazon Audible 版があり
著者がその繊細な声で朗読しており、降ってくるインスピレーションが凄いです。おススメ…!

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