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脳内メーカー12.6

脳内棚卸し 心のなか棚卸し 何のheistationもなしに ためらいもなしに ただ指が踊るままにタイプする それを許す let it be typed. Jot in. だっけか*jot downだった、語彙は正しくその概念をcaptureしてるとは限らない。

何て未熟な言語発達!わたしの言語発達の完成は英語と共にあった。理解できる抽象概念 その輪郭の全容がつかめるようになったその時に 英語が伴走していた だから英単語が先に概念と結びついた概念群が一定数ある。ちょっと恥ずかしいチャンポン言語。日英チャンポン。バタ臭くで恥ずかしい。うつくしひ日本語のつかへるようになりたい。

古文をもっとやりたかった。受験勉強への抵抗感なくべんきゃうしたかった。形骸性ない勉強をしたかった。学問をしたかった。institutionの教えてくれるのをspoonfeedされるままに待つ、さういふことに私は慣れ過ぎた。飼いならされた獣。獣のこころを取り戻すにはこの身も虎と変えねばならぬか。拝啓中島敦様。こころはかたちをもとめ、かたちはこころをもとめる。そう、それが今日かたちにしたかった心の澱。

すきといふきもちは、かたちを求める。それはいろんな制度的制約を抜きにしたら是だらうか。かたちを求めたくない「すき」はいかんのじゃろうか。無責任とかいふのだろうか。すきは瞬間しゅんかんで、何を約束できるといふのだろうか。commitmentとは、なんだらうか。達成したい何か。そういうものなしに子どもをつくったり産んだりしてはいけぬのだろうか。そのへんがよくわからない。よくわからない、人間のつくったシステム。そういうのものに絡めとられて敢えて悶えている私という個。あーあ。

地球とか太陽系とか宇宙とか、天地創造とか、そういうところでものごとを観察する「私」で居たいような。そういうところへ一瞬でワープできるけれど、目の前の花風を愛でられるところへ居たいやうな。そうでいて日々を編むことを、プラスチックまがいの安易さにだんだんとサヨウナラして、一つ、ひとつこの三次元の手でやれるようになってゆきたい。そういうひととつながって村にしたい。不便を楽しむ村。そこで織姫になりたい。(そこはここ半年変わっていない、核のようなところ)

だからそこへ行くために翻訳をしている。いのちのじかんを、この瞬間を愛せるように。それはパラドックス?亀のように時を太公望する。今日も私は訳す。一章で良いから訳す。左脳はそのためだけに使う。そのほかは何も恐れなくて良い。本気じゃないなんて言わないで。それがわたしの、時を取り戻す何よりの方法。ケッコンもコドモもお母さんも親戚も返済すべき奨学金も学校制度も明日の予定すら、オバタサトミを本当の意味で縛ることはできない。それができるのは、自分ただ一人。鳥籠の鍵はいつも開いている。どんな檻のドアでも、それは同じ。

そうして意識できることと、できないことの奥深く、地の底の源泉は、今日も温かくダイナミックに動いている。そこへ足を付けていれば良い。そこで歩を進めていれば良い。


令和3年12月6日 記

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