何故、合目的的な言動が出来ないのか。
山田由梨が、やるに事欠いて火に油を注ぎに来ている。
「ポーズだけでも謝ったフリだけしときゃ良いだろ」的な、反感を買うだけの言動。
「反省の色」など見せなくていい、正しいと思うのなら、正しさを貫けば良い。
挙げ句
皆さん苦しい思いをされていると思いますので、どの業界の声も上がるべきです。
と来た。
山田が碌々調べもせず、原典にも触れずに伝聞からの印象論で馬鹿にした「和牛券」は、常に声を上げ、意見を届ける努力をしている畜産農家から苦境が伝わり、議員が動いた結果である。
悪意の切り取りで一見頓珍漢に見えるが、切実だからこそ出た動きに他ならない。
間接民主制に於ける参政権は、投票行動≒選挙権としてしか認識されていないことがままあるが、被選挙権を行使して投票される側に回る選択肢も用意されているし、選挙で選ばれた代表者に意見を伝えることで代弁してもらう事でも行使出来る。
為政者に向かって唾を吐いても、声を上げた自分に酔ってみても、望んだ方向には何も動いてはいない。
寧ろ、反感を買うことで事態は後退したとも言える。
山田由梨は「政府から援助を引き出す物語」を書き、「政府から援助を引き出す役」を演じなければならなかった。
(原稿を依頼した編集者も、それに沿った依頼をすべきだった。)
しかしそんな物語は書けなかったし、援助を引き出す役の人生も生きられなかった。
援助を乞う対象を「お前は無教養だ」と罵ってから、「私は困っていないが困っている人も居る」「金を出せ」。
それで天からお金が降ってくる、そんな杜撰な脚本を自分の劇団に書くだろうか。
目的を達成するための手順も考えられないし、どう振る舞えば目的を達せられるか、どう振る舞うべきかも考えられない。
現状では、山田由梨は政治家としても社会運動家としても、脚本家としても役者としても演出家としても失格である。
筆を折ることをお薦めする次第である。
(2020.04.30 記)
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