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きゃわふるTORNADO 定期公演 ビッグオニオンつれてくよ〜♡ #41

5人になって初めての定期公演。 新しい きゃわふるTORNADO の始まり。

「『日はまた昇る』、そう言う事ですかね。」

知己の言葉が上手く言い表していた。

バスの時間が微妙で、19:30には着いてしまった。
予約して整理番号さえ確定してしまえば、広くはない待機場所に長居する必要もないので、今日も出足は遅め。 開場時間が迫ると増えてくる。
メンバー紹介的な意味合いのある「撮可の歌」は大幅に変えるか差し替えるかしないと出来ないので、恐らく演らない(演れない)とは思うが、一応カメラは鞄に。
「撮れないだろうと思いますが、一応。」「(撮可の歌は)後回しでしょうねぇ」などと雑談。

今回から女性優遇策が始まり、木戸銭無しのドリンク代のみ。 下手側には女性専用スペースも設えられるとのこと。
私は恩恵に預からないが、悪くない施策であると思う。

アイドルの客(特に男性)は、何と言うか階層ごとに住み分けがなされており、水平的に回遊はしても階層を跨いでの上下移動は少ない。
その為、客の分母は多いようで少なく、同じ階層の客を互いに食い合うような構図からなかなか抜け出せない。

新規の顧客を開拓するためには、別の位相を開拓したほうが良いのだけれど、これがなかなかに難しい。

ギリギリまでリハーサルを重ねて、ほぼ定時に開場。
一般整理番号と女性専用整理番号を同時入場、その後に当日券。
下手1/4くらいが女性専用スペース。 古強者の女性客は一般スペースに陣取り、女性専用スペースの方が安心な客はそちらへ。 今のところ棲み分けと共存は上手く行っている。

別所佳恋のゆるい影アナ諸注意から、いつもの出囃子で登場。
編集したのか出るタイミングを調整したのか、5人分の尺できっちり収まっていた。

SUPER HERO
はちみつハイヒール

歌声に被せるコールなど、客の「盛り上がりの為の盛り上がり」が自己目的化したような身勝手な行為についての苦言が呈されたり、件の女性優遇策があったり、且つまた歌割りの大幅変更があったりなどで、「どこまで」「どうやって」良いのか、客の振る舞いも「さぐりさぐり」。
メンバーの硬さも相俟って、序盤はお互いどうして良いか分からぬままの進行。

道地文子は振り付けを躰に染み込ませて無意識下でも動けるところはそちらに委ね、客席を俯瞰して隙を見せた客を釣り上げたり、盛り上がろうとしつつも戸惑っている訳知りの客には「喝」を入れたりしていた。
視野を広く持てて、気配り目配りが効いて、小回りがきく。

別所佳恋は低めのツインテール。 毛先に赤を入れてしっかり巻いた縦ロール、鬢の辺りに触覚を二本。
高めのツインテールがトレードマークの神咲くるみとも被らないし、華やかさもある。
踵を飛ばしてステップを踏むキレのある動きは完全復活。 手先足先まで情感を込められるようになって、一と皮剥けていた。

I LOVE YOU. Summer Day

5人ver. にするのは後回しにすると思っていた夏の曲をここで。
二つ先の季節まで見通して進んでいることに気付かされる。

神咲くるみは、まだ完全にはコントロール出来ていないが、兎に角声は張って歌うことを心がけているようで、声量が神咲パートで凹まない。
歌えるグループにすると言う決意が形として現れていた。

トビキリナミダ

奇数になったので、中心が分かりやすく、1:4や2:3、2:1:2などフォーメーションの切り替えの自由度も上がってより変幻自在に。

オレモレモン

別所佳恋は歌声にも艶。
力任せなだけでなく、押し引きと緩急を付けて客の心をグイと掴んだり突き放したり。
翻弄されることを楽しむ。

きゃわ騒ぎのやつ

杏斉ゆかの「澄んだよく通る声での煽り」。
ドスを効かせての恫喝ではなく、教唆煽動としての煽りの新しい形。
「北風と太陽」の「太陽」の部分。
きゃわふるTORNADOの「巻き込まれる楽しさ」を象徴する特質の一つだと私は思う。

GAME
ALIVE

フォーメーションの切り替えにはまだ不確かな部分もあるらしく、交錯しそうになる別所と杏斉。
目と手で制して何事もなかったかのように。 お互いの信頼が可視化される。

石川野乃花のしっかりした歌声はグループの背骨に。 これがあるので杏斉ゆかは安心して見せ場を作れるし、神咲くるみは声を張れるし、別所佳恋は自由に振る舞えるし、道地文子は細やかな感情を歌に乗せられる。

丁寧に、時に大胆に、ここぞと言うところで見せ場を作れる杏斉ゆか。
うなりを利かせて強く歌ったすぐ後に、澄んだ声に切り替えられる多彩さ。

星空ディスティネーション

イントロが変わっている、三度目の再録か。

全ての曲についてそうだったのだけれど、歌い継がれるソロパート。
引き継がれ方にも物語がある。 それを敢えて語らない、物語を押し付けない。

歌割りにしてもフォーメーションにしても、ここは良かった、ここは残して欲しいと思うところは残されている。
「そんな人いましたっけ?」的な、旧ソ連式の過去の精算ではなく、「その人がいた歴史」を踏まえつつ、新しい歴史を紡いでいこうとする姿勢。
「これまで」を踏まえつつ、「ここから」を築いて行く決意と気概を示した定期公演だった。

きゃわふるTORNADOの再出発を見届けて、知己は現場を去ると言う。
殊更言い立てないことによって、却って浮き彫りになる欠落を感じてしまった以上、仕方のない選択ではあると思う。

私は、行く末を見届けるまで。

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(2020.01.24 記)

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