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姫乃さや と言うアイドルが居た

面白いアイドルだった。 ハイタッチが強い。
「バアーンッ!!!」と音がして、こちらが弾き返される。
自らの印象を如何に強く残すかを考えて編み出されたこの奇抜で愉快な行動は、大人から規制されて変更を余儀なくされるのだけれど、今度は衝撃を吸収するような、何と言うか「もにゃっ」としたやり方に変わる。
常に何かしらの仕掛けを考えている人だった。

スリジエの場合、人数が多いことも有って、歌の上手い下手は良くも悪くも分かり辛いのだけれど、驚くほど上手くはなく、破滅的に下手でもない。 振り付けもまた然り。
飛び抜けていないと、もしくは振り切れていないと埋没してしまう。
ここで悪目立ちする方向に舵を切らなかったのも良かった。
全体の調和は保ちつつ、その中で自分をどう見せて行くかを考える。
天から授かったもので何でも出来てしまう種類の天才ではなく、無から有を作り出す事の出来る創意工夫の天才だったと思う。

髪型も試行錯誤の中にあり、長らく丸顔隠しの為か髪で囲って輪郭をつくるような感じにしていたが、末期(「末期」になってしまった)は低めのポニーテールにして、首周りをスッキリ見せていた。
この辺りの変化は、レッスンを重ねて「動ける身体」になることで代謝が良くなり、顔も引き締まったのと、見られることで奇麗になっていったのと、幾つかの要因の相乗効果で容姿に関する劣等感が薄れた事も影響していたのではないだろうか。

ツイッターに常駐し、「エゴサのプロ」を自称していたが、「写真を上げる」「言及する」に反応するのは解るのだけれど「仄めかす」だけでもアンテナが捉えて「イイネ」が飛んでくる。
将に光速の寄せ、将に「プロ」であった。
ブログでも、その独自な言語姦覚は垣間見られるが、この人の本領はツイッターにあった。
今の所閲覧できているブログやツイッターも、いずれは消されてしまうだろう。
凍結騒動で一番脂の乗っていた時期のつぶやきが見られないのはつくづく惜しい。

高校の卒業に暗雲が立ち込め始め、ツイートも努めて明るく振る舞いつつも切羽詰まったものになって行った。
私も(八割方自業自得なのであるが、それはさておき)特定科目の成績と折り合いの悪かった教員の授業の出席日数の問題で卒業が危うくなり、成績会議で担任が土下座した(と、後年聞かされた)くらいのドタバタを経て、半ば厄介払いの体で卒業しているので、姫乃氏の懊悩は忘れかけていた甘苦い記憶を生々しく思い出させてくれた。

やっとこさっとこ何とか卒業し、漸くアイドル一本で怪しい企みに励んでくれると思っていたのだけれど、事はそう単純ではなく、理由の示されない休業から「家庭の事情」による事務所退所(※事実上の引退)である。

「家庭の事情」と言う災難は何段階か有って、自らの口に糊するだけの稼ぎを得なければならないくらいならまだ良くて、家計を支えなければならなかったり、一生掛かっても返せないような負債を背負う羽目になったり、まぁいろいろである(いろいろだった)。
姫乃氏が直面したそれがどれくらいのもので有ったのかは知る由もないが、掴みかけた夢を手放し、諦めなければならないと言う事は、小さいものではないのであろう。

「家庭の事情」、基本的には本人に責任のない種類の災難である。 やるせなさたるや如何ばかりであろうか。
自分の不始末でなければ、たとえ何かを背負わなければならなくなったとしても、幸せになる資格まで失った訳では無い。
暫くは何をしても楽しくなかったり、そもそも何をしたいのか見当もつかないかもしれないが、この辺りは時間が解決してくれると思う。
一旦トンネルに入ってしまった人生も、やがては次の明るい場所に出る。

自分の努力と創意工夫によって舞台での立ち位置が前にそして中央に近いところに変わっていく、会いに来てくれる人が増える。
需要を創出し、拡大してきた成功体験は、どんな仕事に就いたとしても必ず生きてくる。
仕事が、人生が上手く行かない人は、努力する、創意工夫する習慣と、それによる成功体験を持たないことが多い。
両方持っていて、且つ「若い」、これは生きていく上で大きな武器となろう。

退所した後の身の振り方について制約を設ける事務所なので、(それが今ひとつ没入できにくい理由の一つではある)別なところ・別なかたちで芸能活動もしにくいとは思うが、契約慣行や商習慣も変わりつつある。
柵を解きほぐす力のある事務所に出会えれば、また人前に立つ仕事をする機会があるかもしれないし、無いかもしれない。

「どんな形であれ、幸せな人生を送って欲しい」そう思わせるだけの幸福を、姫乃さやは見る者に齎して来た。
我々は所詮客であって、それ以上でもそれ以下でもなく、返礼としての幸福も、それを届ける手段も持ち合わせていないのが、歯痒く、そして申し訳ないところであるが、これは如何ともし難い。

最後の最後にツイートでのお知らせとブログの更新があり、生存が確認できて、直接ではないにしても感謝の意を伝えられたのは幸甚であった。

「姫乃さや と言う、素敵なアイドルが存在した」
ネットの片隅にでも痕跡を遺すべく、一文を草してみた。

(2019.7.27 記)

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