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贔屓の引き倒しで演劇の息の根を止めようとするコラムについての一考察

日本の舞台と芸術が死にかけている。新型コロナが落ち着いた時には手遅れになっているかもしれない」を書いて批判に晒された山田由梨。
一つ二つ軽率な政権批判でもしたのかと思ってツイッターの投稿を辿ったら、政治向きのものは、ほぼ出鱈目な政権への呪詛だった。
なんでこう言う手合を「演劇界の代弁者」として引っ張り出すのか。

芝居も演芸もアイドルも、カネが回らないとどうにもならないというのに、声を上げるのは「他者への想像力」の無い奴ばかり。
飯の種を別に持っていそうな、切実さの欠片もない連中。
コラムの告知以降更新が無いと言うことは、「負の反響」が想像以上だったと言うことなのであろう。
信念を持って書いたのであれば居直ればいい。

観察者モードでその後を追ってみた。

山田由梨/贅沢貧乏アカウント →コラム告知以降更新なし(それまでは日に何度か)
贅沢貧乏劇団アカウント → コラム告知以降更新なし(それまでも告知意外動いてない)
榊原すずみ/ハフポスト日本版 エディター → 肯定的反響のみリツイート、通常営業

編集者の面の皮だけが厚かったが、編集者への批判的リプライはあまり無い。
批判する側も深掘りしていないことが分かる。

劇団アカウントは告知用なので、投稿も少なく、リブライが付いているのは今回のコラム告知くらい。
山田由梨/贅沢貧乏アカウントへの直接リプライも含め、ほぼ批判だが、脊髄反射的なものばかり。
何が悪かったのかについて相手に「気付き」を与えるようなものはなく、うさばらしにしかなっていない。

榊原すずみ/ハフポスト日本版 エディターの拾う肯定的反響は、全て引用リツイートになっている。
否定→直接リプライ、肯定→引用リツイート。
肯定する側は、何と言うか「逃げ」の姿勢。 巻き込まれたくはないと言うか。
肯定側と否定側が交わらないようになっているのが面白い。
議論が深まる深まらない以前に、互いの言説が目に入らないようになっている。

ハフポストの編集者/ライターにはあまりリツイートしてもらえていないのも興味深い。
地雷は避けた、と言うことなのかもしれない。
拾っている肯定的リツイートには、質が低いものもあるのだけれど、その「質の低さ」を読み解けていないところが、この編集者の仕事の癖のようなものを表している。

肯定的リツイートに


「舞台が衰退したら、映画やTVドラマで“印象的な脇役”を演じることが出来る役者が居なくなるな。」

コラム本篇にも

今テレビに出ている有名な俳優の中には、そのような劇団時代を過ごした人が少なくないことは周知の事実でしょう。星野源さんも、もともとは宮藤官九郎さんらが所属する劇団「大人計画」の劇団員でしたが、あの醜悪な動画コラボをした安倍首相はそのことを知っているのでしょうか。一般的に目に見えやすい、商業的成功を収めているアーティストにはいい顔をして、会食や桜を見る会に招待するくせに、文化政策そのものについては真剣に取り組まないところに、安倍首相の教養のなさを感じます。


とあったり。

コラム本篇もそうなのだけれど、小劇団・小劇場をテレビや映画の人材供給源として見下している。
編集者が引用するということは、こちらもそう言う認識なのであろう。

為政者の無教養を論い、罵倒して溜飲を下げるのが目的ならこの内容でも問題は無いが、目的はその相手から如何にして援助を引き出すかに有る筈で、その点に於いてはマイナスの効果しか無い。

行政からの何らかの金銭的援助が喫緊の課題であることは間違いない訳で、それは高尚か低俗かに関わらず、文化の裾野を広く持つことが社会の豊かさに繋がる事を示し、敵対ではなく懐柔を目的とした言論であるべきである。

山田由梨は次回掲載分で「援助を引き出すための文章」を書けるだろうか。

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(2020.04.29 記)

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