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枕草子、いとをかし

清少納言のTwitterをフォローしたい。
彼女だったら144字の制約の中にどんな物語を生み出すのだろうか。


私の清少納言との出会いは小学生時代に遡る。
国語の授業での「枕草子」の暗唱。これは何の意味があるんだ?と思いつつも暗唱できると褒めてもらえるから一生懸命になって覚えた。当時は、「趣」の意味さえ分からなかったけれど。

その後も中学、高校と謎に暗唱させられる「枕草子」。中学では「枕草子」を暗唱できるだけでクラスで勉強ができると思われたし、高校では「枕草子」は暗唱できて当たり前だった。一方で、どうして教師はそんなにも「枕草子」に固執するのだろうかという疑問だけは残り続けた。

もしかして、「枕草子」は実は国家機密レベルの特別な呪文で、国がピンチになった時に唱えると助けを呼べるという超スーパーアイテムなのでは? もしくは、日本の地底に眠っている、とある怪物を封印させるまじないか? などと妄想してしまうほどに、私は「枕草子」そのものに価値を見出せていなかったのだ。

今になってみれば、当時の私は未熟だったと認めざるを得ない。

「枕草子」は呪文やまじないなど、そんな非現実的なものではないのだ。

胸を張って言おう。

清少納言は日本で初めて「推し事」をした人物で、
「枕草子」は私たちオタクのバイブルである、と。


春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 

夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。 
(清少納言 『枕草子』)
春は夜がほのぼのと明けようとする頃(が良い)。(日が昇るにつれて)だんだんと白んでいく、山際の辺りがいくらか明るくなって、紫がかっている雲が横に長く引いている様子(が良い)。 

夏は夜(が良い)。月が出ている頃は言うまでもなく、(月が出ていない)闇夜もまた、蛍が多く飛び交っている(様子も良い)。また(たくさんではなくて)、ほんの一匹二匹が、ぼんやりと光って飛んでいくのも趣がある。雨が降るのも趣があって良い。
(https://manapedia.jp/m/text/2214)


清少納言はこんなに短い文章中に、何が好きか、なぜ好きかをぎゅっと詰めこんでいる。

「好き」だけで終わらせない優れたレコメンド力。情景がありありと伝わってくるような豊かな語彙力。それを端的に分かりやすく伝える文章力。

清少納言先生、私に文章を教えてください。


最近私は何かと長文を送ってしまいがちである。

この話は、ここがいい、でもここがだめ。
このキャラはこういう人物だと私は解釈しているから、将来こうしたらきっと幸せになる。というか私が幸せにする。

などと、神の目線で作品やキャラクターを値踏みして頼まれてもいないのに書いた文章を友人に送りつけては自己満足に浸るという、民度が最底辺のオタクへと成り下がってしまっている。

自分の思考を言葉にするのは、絡まった毛糸を解く作業に似て気持ちがいい。だけど、たくさん毛糸を出しすぎてしまうと今度は受け手側がこんがらがってしまうものだ。

頭ではそれを理解しているからこそ、自分が友人に送った文章を読み直すと自分の傲慢さと欲深さに目を覆いたくなる。

一方、「枕草子」は1人の人間の海馬に収まってしまうほどの短い文章ながらにして情報が凝縮されているという優れた作品。

紙という制限の中で、大切に紡がれた言葉の数々。
書き直しができない緊張感の下で生み出された表現。

「枕草子」の本質は、ある条件下で端的に魅力を伝える力にあるのではないだろうか。

何度も文章を打ち直せるテクノロジーを有した現代の私たちに、オンラインという無制限空間で文章を書くことに慣れてしまった私たちに、「枕草子」は今一度文筆の意味を問いただしてくれる。

言語化に囚われている就活生や、推し事に従事する一介のオタクこそ、一度1000年前にタイムトリップするべきなのかもしれない。

私も「枕草子」を見習おう。
端的に、分かりやすく、かつ私らしく。

現代の清少納言を目指して、今日も1日言葉と向き合う。







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