実在する割れ窓理論、客としての意識

アパレル店員(バイト)として働き始めて早3ヶ月と少し経ったわけだが、最近常々「割れ窓理論」というのは正しい(というよりも実在する)と考えている。
というのも、店内のブースを移動させたりしていると如何しても商品を綺麗に整頓するところまで手が回らなくなってしまって。結果として洋服棚がどんどん荒れ果てていくわけであるが、いい歳した大人(子連れ)であってもそういった場合に於いては余計に広げて視ては商品をぞんざいに扱う。普段綺麗にしてある時にはある程度整った状態が保たれているが、そのような時に挙句の果てには綺麗に畳んである服の下に丸めて隠すように戻すバカタレも一定数いる。

自分が汚くクシャクシャに戻したことを目立たないようにするためなのだろうか?

さて、割れ窓理論というのはワタクシの記憶が正しければ以前アメリカの都市部の治安悪化が顕著だった際に割れた窓や落書きを修正改善し治安回復を目指した社会実験という認識であるが、その実験結果はそれなりに治安は改善したとのことだ。これについて、どこに於いても同じだと言える。商品が散乱していればわざわざ綺麗に整えようともしないし、むしろそれらよりも汚く見受けられないように隠蔽したがるというのが人間というもので。

ここではあくまでアパレルでの話になるが、勿論店員としては商品の整理整頓もれっきとした一業務でありこなすべきであるが、客としての意識というものも改革する必要があるのではないか?


ところで、
都会では店員に対してはあまり好意的ではないが商品の扱いは非常に丁寧である。
郊外ではその真逆で店員と仲良くする人は多いが商品の扱いは酷いものだ。

といった具合の一般論が存在しているらしい。
店舗やその企業のスタンスにも依るだろうが、あくまで一般論として受け取って欲しい。
私は郊外の店舗で店員をしているので、客層の多くは断然後者だ。商品を違う場所に戻すことは日常茶飯事、放り投げるなんて見ない日は無いほどに。
いい歳こいて恥ずかしくないのだろうか?小学校で「元あったよりも綺麗に」とか習わなかったのだろうか?観ていて痛々しい。元あったように畳めとまでは言わないが、せめて元の場所に戻したり丁寧に扱ったりということくらいできないのだろうか?

「お客様は神様」などと言われているらしいがそれは店員目線の話で客が勝手に喚き散らそうなんておかしい、傲慢だ。


店員と客のパワーバランスが乱れていることが原因として挙げられると思う。郊外店に於いては店員と客は2:8(から3:7)がいいところだと思う。
パワーバランスを店員側に寄せていくこと、6:4くらいが店としても客としても良いと思う。買ってもない品物をぞんざいに扱うことをおかしいと思えない人間があまりにも多い。

ただ企業としてはあくまで利益の追求を目指しているのでパワーバランスを変えようとはしないだろう。概ね店員が力を持つと足を運ばなくなる客も増えるといった考えだろう。だが、長期的に見れば客がどんどん力を持ち行為がエスカレートすることのほうが損失としては大きいと思う。
ぜひ、そういった事柄の改革こそ早急に取り掛かって欲しいものだ。売れもしないような商品を企画するのでは無く。なあ本社?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?