並行する苦しみと喜び、現実逃避 原案

苦しみというものは、単にその感情のみが存在している状態ではなく常に並行して喜び(ここではポジティブとされる感情を定義する)が存在しており、そう単純な問題ではないのである。
絶望状態であっても、方向性問わず何かしら好意的に捉える事柄はある。それが例え自傷行為であったとしても。意識のある間は常に何かしらの逃走線を引き続けようとするわけだ。それが出来なかった時に本当に命を絶つことになる。
ワタクシも幾度か未遂に走っているが、いやしかし文字通り「未遂」に終わってしまっていて、今はただただ自傷行為と服薬や自己批判などを捌け口に日々を浪費してしまっている。もはや死ぬ気力すら湧かない。仮に死にきったとて嫌な顔をされるのは明白だし(現実的に、迷惑のかからない死に方など存在しない)、死にきれなかったら今度こそ処置入院で隔離されてしまう。そんなの馬鹿らしくてやっていられない。だからこの先1人で暮らしてヤバくなったら死ぬというのを目標に今を過ごしている。

日々自己批判に取組んでいるが、そういうことを繰り返していると結局は存在の否定に行き着き日頃の反省にもならない。しかしそうすれば幾らか気が紛れる。というのも、自分を責れば誰彼の事柄で悩むことはなくなるし、全て自身のせいにしてしまえばそれで丸く収まるわけだ。現実逃避をしていると言われてしまえばそれまでであるが。私もわかっている。問題解決にも何にもならないことくらい。実際は波風立てたくないだけなのやもしれない。

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