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多分、初めて言われたこと。 わたしは、症状悪化していることやそれに伴う体調不良をずっと主治医を始めとした支援機関の人達に訴え続けていた。 けれど、どいつもこいつもまともに聞くことはせず「ボロ雑巾になろうがこころが壊れ続けようが働け」という結論しか言い続けなかった。 相談すればするだけ、わたしのこころは益々疲弊した。 だから、職場環境が悪かろうが、毎日のノイズハラスメントなどに堪え続けた。 「ご褒美の為、お金の為に我慢しなければならない」 その思いだけで、必死に堪え続け
ただ、日々を積み重ねただけのこと。 わたしは、ここまで何とか仕事のある日は目の前の業務に食らいついていた。 いや、今でも食らいついている。 さまざまな業務があり、わたしが覚えておいた方がいい業務はまだまだ沢山ある。 ならば、「やらない」「できない」はない。 「やってみたい」「できた…?」という感覚の方が欲しいと思う。 どんな業務も、はじめは何も知らない初心者だ。 知らないことを知れることは、楽しいと思う。 わたしはただ、新しいことを経験できる楽しさを日々の業務を通じ
シンプルだけど、刺さる言葉。 誰かと話していて、 「だから、何?」 と思う瞬間がよくある。 大体、そう思うのは、聞かれたくないことをズカズカと聞かれた時。 無駄なマウントを取られた時。 それを知って、どうするの? それ、あなたに関係あること? そこまでしてマウント取りたいの? こんな無能な物体にマウント取ったって、何の意味もないよ? 無駄なことだからやめときな?? 何だか、無意味だなとか無駄だと思った時に「だからなに?」 という言葉を使うようになった。 そうすると
あっという間に過ぎた、8月。 今週も、遅刻はしつつも何とか会社を休まず色々な業務を遂行した…と思う。 日々これを繰り返して来て、あっという間に8月も終わりを迎えようとしている。 カレンダーと毎日にらめっこしながら、〇〇はこの日締切、△△がその間に入って…などスケジュールも把握しながら仕事をしている。 そんな中、わたしと同時期に異動し同じチームになった先輩からふとこの言葉が出てきた。 カレンダーを毎日眺めているし、自覚はあっても、他人から言われるとより「ハッ」としてし
実行に移す。 昨日、わたしはこんな投稿をした。 実は、髪の毛を切るタイミングをずっと伺っていてやっと切るタイミングができたのだ。 長い間、美容院に行けていなくても予約すると快く受け入れてくれる。 それだけ長い間お世話になっている美容院だ。 今回も、予約した際に、担当の美容師さんから と安定の言葉と明るさに、どこか懐かしさを感じてホッとした。 わたしの環境が目まぐるしく変化し続け、同時にこころを殺され死体蹴りされ続ける中、その変化を報告しに行くという理由と共に髪の毛
わたしは、本当は…。 わたしは、ある人との関係で、どうしていいか分からないことがある。 いや、踏み出したいとは思う。 けれど、それはどだい無理な話だということが分かっている。 だから、わたしが全て押し殺さなくてはならない。 わたしが、これ以上傷付かないために。 それでも、この迷いや決め切らないわたしに対して、何かしらのヒントが欲しかった。 全ての経緯を話すには、時間が足りな過ぎた。 本当に経緯の1〜10%程度しか説明はできていない。 わたしは、小さな脳味噌をフル回
※こちらのシリーズは、あくまで個人の意見及び感想を体験談として綴っています。 全ての就労移行支援事業所、支援員がこうだというわけではありません。 その点をご理解、ご了承の上ここから先をお読みいただけると幸いです。 というわけで、前置き(という名の注意喚起)をしましたが…今回は就労移行支援事業所シリーズ。 読みたいと思われた方は、このままお進みください。 ✄--------------- キ リ ト リ ---------------✄ 健常者の物差しでの「汚い」。 障
なんて便利な言葉。 「分からない」 この言葉さえ放っておけば、何を言おうがしようが許されると思っている人がいる。 「分からない」ではなく、「知ろうとしない」「知りたくない」ということでしょう? 「分からない」のなら、「知ろう」とする姿勢は大切なのではないかとわたしは思う。 それすらしないもんね、誰かさんは。笑 こんなゴミクズのことなんて、誰も知ろうとしないよね。 そんなことは知ってますよ、わざわざ教えていただかなくても。笑 これまでもそうだったし。 親や親戚を始め
仕事をするのは、誰のため? わたしが少し仕事で辛いなと思った時、こんなふうな言葉をかけられた。 こんなふうに言われた言葉に、思わず息を飲んだ。 仕事をするって、何のためだろう? そのことを、言われた瞬間に色々と考えた。 勿論、自分の為ではある。 働くことで、お金をいただける。 そして、少しずつ自分のお金で生活することで自立している感じもある。 けれど、自分以外の為でもないか? 上司やチームの為。 その他にも、関わる方々の為。 会社の為、お客様の為…。 さまざま
確かにそうかも?でも…。 今回は、わたしが他人(関わりのある人達)からの言葉で影響を受けたり「なるほどね」と思ったシリーズを。 ある時、ある人に色々質問した際にこんな言葉を聞いた。 第三者から聞いた情報である程度把握できたとしても、それは結局又聞き。 本人同士で会話をする=リアル、ライブ、生感…それらを感じながら本人と話すことで、又聞きとは違う感覚が持てるんだ、と。 それを、人とひとは会話で繋がれる、という言葉で表現した人がいた。 確かに、他人からの情報よりも自分で
諦める、っていいこともあるの? 今のわたしには、公私関係なく問題だらけだ。 まだ、公?仕事においては環境とか業務に慣れていけば問題はある程度解決される。 不安はあるけれど、それはいずれある程度解消されると知っているのであまり悲観的には捉えていない。 問題は、私=プライベート。 解決に至らなくとも、わたしが悪者扱いで更にこころが死のうが…わたしがある程度納得する形が欲しい。 その為に、心身砕かれる作業をしなくてはならない。 今後、わたしのような被害者を更に生まない為に
全てが大事で、終わらせないとならない。 ただでさえ、最悪な精神状態で暫く経っている。 ここまでの間、仕事以外の部分でこころに余計な傷を付けられて、それに苦しみながらも仕事をしてきた。 その苦しみを理解してくれているのは、医療従事者だけだ。 けれど、それだけでは終わらなかった。 「会社に行きたい」 「仕事やりたい」 その気持ちがあっても、あることが原因で精神状態が悪化した。 仕事のことは一切関係ないものが原因な分、本当に辛い。 しかも、一番苦しんでいる心の深い傷では
そんな一言で、済ましていい問題? 齟齬──────それは、問題のある当事者間ではなく客観的に見ている第三者が放った言葉。 けれど、その第三者は、わたし側に立つ人間ではない。 相手側に立っている人間だ。 その時点で、既に客観視できていないのでは?と思う。 尚且つ、第三者はわたしに関することを相手に流しているけれど、その逆は殆どない。 そう、わたしは、相手の現状はある程度把握はしていても相手がわたしをどう思っているかは全く把握できないまま。 けれど、相手側はわたしがどんな
珍しいタイプ(?)らしい。 わたしは、何か大事なことを決断する時何を基準に選んでいるのか? 結構、直感を大事にしている気はする。 けれど、ある人から言われて確かにそうかも…と思った言葉がある。 それが、 確かに、役職だったり資格の有無などで相手のことを凄い人だと見がちなところもある。 どうしても、そういう所でラベルを貼るところは日本人ならではだと思う。 けれど、実際はそんなのは(というと非常に語弊はあるけれど)判断材料の一部でしかない。役職に就いていようがいまいが、