ハルミ、ミチコ、アマヤス 三人記

『ハルミ博士』
 科学者にして稀代の人形メーカー。生来のインポテンツがコンプレックス。しかしそのコンプレックスが後に才能の起爆剤となる。
 自身の欠陥に気が付いたのは思春期に入り大分たった後だった。精通を迎えるも勃起する事がなかった彼だが、それは彼にとって当たり前の事だった。しかし同年代の友人達の会話から自身が障害を抱える身だと気付き彼はその事実をひた隠す。
 その後彼は医者を志す。誰にも知られたくない、―例えそれが医者であっても―その秘密を治すのなら自分自身が医者になるしかなかった。
 しかし早々に医者の道を断念する。原因の特定、治療法の確立、臨床とひとりで行うには無理がある。ならば治すのではなく一から作ればいい。
 彼は人形メーカーの道に進む。


―人形―
人の手によって生み出された人ではない、魂を持つ自立した人の形をした存在。その定義は広く、当時主流だった機械式のアンドロイド型や僅かながらに存在した人工細胞を使った量産品、天然細胞を使ったフルオーダーの特注品もある。その技術は広く応用が可能な為、彼の目的には最も向いた分野だった。


 当初人形制作の技術を用い男性器のみを作り自身に移植しようと考えていたが人形の細胞は人間には定着しない事が分かった。次に自身の細胞を培養しそれを基に人形を作った。しかし出来上がった人形はインポテンツだった。
 この時点で自分の遺伝情報にインポテンツの原因があることが分かった。
 ならば後は自分が人形になるしかない。自身の細胞で作った人形に後付けで正常な男性器を移植しその後に自らの魂を定着させる。
 唯一の懸念は正常な男性器をインポテンツな自身の人形に移植して正常に機能するのかという点だ。
 検証が必要だった。
 自分用の素体に他の魂を定着させる気にはならない。助手として使おうと思っていた女性型の人形のストックがある。彼女に男性器を移植してみよう。本来勃起する機能が備わっていないと言う点では十分検証になるだろうが他にもいくつか手を加えよう。
 まずは男性器の性能評価にノイズが混じらないよう女性器をオミットする。そもそもインポテンツの博士には無要の長物だ。次にやや大きめの胸を小さくする。これは純粋に彼の嗜好で検証とは関係がないが貧乳の方が色々都合が良い。本来の役目である助手としても使うつもりなので馬鹿では困るが、あまりに聡くても検証に支障が出そうだ。バランスが難しい。精神面の男性機能への作用も調べたいので一般の人形が持ち合わせない幾つかの感情も追加しておく。
 こうして調整された男性器を持つ人形は「ミチコ」と名付けられた。ハルミ博士はミチコを大切にした。無論それは愛情からではない。大切なのはミチコがもたらすデータだ。彼にとってミチコはあくまで自身の男性器の為の土壌に過ぎなかった。ミチコと性交 ―インポテンツである彼は思春期の頃から前立腺を刺激する事で快感を得ていた為ミチコとの性交も彼女の男性器を受け入れるアナルセックスだった― する事もあったがやはりそれも性欲処理を兼ねた性能評価の一環だった。
 以前ミチコから質問された事があった。自分は量産されないのかと。量産などされるは筈もない。何故なら彼女は自分専用にカスタマイズした実験体なのだ。大切な研究のメモ帳を売る研究者が何処に居るものか。
 着々とデータが集まり十分な検証がなされ彼が次の実験段階を考え始めた頃、彼の研究所を訪ねた人物がいた。

「ミチコ君、誰かね!」
「知らない人です」


―光学異性体―

  君がこぼした赤血球から 僕の恋した遺伝の特徴を絞り出し
  裏返したタンパク質に転写して 完全なる人類の第一歩を踏みしめた

やや強引ではあるが「君」をミチコ、「裏返したタンパク質」を自身の人形の素体と解釈する。すると「彼女の体から正常な男性器機能の遺伝情報を自身の人形の素体に転写し完全な男性へと生まれ変わる」と解釈でき彼の目的と一致する。


『ミチコ』
 ハルミ博士によって作られた男性器を持つ人形。
 ミチコにとって博士は主人であり創造主でもある絶対の存在だった。そんな博士に助手として、また身の回りの世話をする使用人として、さらに睦み合いの相手として側に居られる事は彼女にとって至上の喜びだった。博士もまた自分を大切にしてくれた。それはきっと人間が「愛」と呼ぶものだと思った。
 以前博士に質問したことがある。自分は量産されないのかと。
「ミチコ君は私専用にカスタマイズしてあるからな。売ったりはせんよ。」
 この言葉は彼女の宝物だった。普通の女性型の人形には男性器が無いと言う事もこの時知った。
 ミチコは自分の全てが誇らしかった。博士から愛される自分が。博士に仕えられる自分が。博士を喜ばせる事ができる自分が。だから初対面の人にも自身の男性器を笑顔で見せる事が出来た。何故ならそれは他の人形には無い自分だけが持つ博士と自分を繋ぐ絆だから。
 ただし知らない人間を研究所に招き入れてしまった事は後で博士に叱られた。天才科学者ハルミ博士の助手が務まっているミチコの知能は高い。何しろ稀代の人形メーカーの手で作られたのだ。そのスペックは量産人形とは比べ物にならなかった。しかし彼女は絶えず博士と一緒にいる。その博士は自身の研究所に篭りきりなのだ。自然彼女の世界も研究所の中が全てとなる。彼女の知識は全て博士から教えられたものばかりだった。偏った知識に経験の足りなさが彼女に時に世間知らずな行動をとらせてしまう。そんな時は博士に叱られてしまうが、それさえも彼女にとっては幸せなひと時だった。この幸せは永遠に続くと思っていた。
 そして今日もまた博士の助手として働ける幸せな時間がやって来た。

「ミチコ君、創造の準備だ!君達に神の仕事を見せてやろう!!」


『アマヤス』
 秘密クラブ「アーク」の会員。
 大手企業に勤務しているとはいえ一会社員に過ぎない彼が政財界の大物も出入りする秘密クラブの会員になれたのは彼の実家の力だった。彼に父親はなく母親は人形の製造販売の先駆けで一代で財を築いたかなりの資産家だった。その為彼は幼少期より人形と接する機会が多かった。
 当時の人形の扱いは今より遥かにマシと言えるだろう。なにしろ主な仕事は人間に変わる労働力が目的だ。性奉仕も当時からあった事だが人形が今の数倍高価な時代だ。自ずと持ち主は人形を丁寧に扱いその交わりも人間とのそれと違いはなかった。
 とは言え当時から人形に人権はなく社会の人形差別も根強かった。特に人形を商品とする彼の母親は典型的な人形差別主義者だった。屋敷の使用人は全て人形だったがその扱いは下人同然のものであった。流石に幼い息子の前ではその振る舞いも控え良き母、良き主人を演じているようだった。
 その為か幼少期の彼は人形に対する偏見もなく素直に成長していき、特に自分の身の回りの世話をする随分と感情豊かな女性型の人形に懐いていた。それは誰もが体験する極ありふれた年上の女性に対するただの憧れに過ぎなかったが、これも極ありふれた事ではあるが思春期が始まりかけた頃には恋心に変わっていた。その人形も当初は所有者の息子に対し無礼にならぬよう気を遣って彼の好意を躱していたが、それでも真っ直ぐな好意を向けてくる彼に対し罪悪感も感じていた。
 アマヤス少年が中学校に進学する頃その関係に変化が起こる。彼女もまた彼に好意を抱くようになっていた。現在でこそ人形は一人の主人を選ぶよう設計されているが当時はそのような設計思想はなく、人形は人間に尽くしこそすれ好意を抱くなどほぼあり得ない事だった。
 これは魂の適合率に関係している。魂の適合率が高いほど人形の性能は高くなりその思考や行動は人間のそれに近くなる。アマヤスの母親が仕事にかまけ構ってやれない息子の為に高性能の人形を世話係とした親心だった。


―人形―
人形製造の歴史は魂の移植方法の確立から始まった。
物に記憶や意思、総じて魂と呼ばれるそれを移植する技術が発明された事が始まりだった。最初に魂を移植された物は指輪だっと言われている。その魂をヒトガタの製造物に移植・定着させるとそれは人形となる。
しかし魂にはそれぞれ固有の形が存在し、受け入れるヒトガタにも受け入れるべき形が存在した。受け入れ側はある程度の加工が可能なので双方の形がある程度近ければ移植は可能であるがその差異が大きいほど性能は劣る。
有機物に比べ無機物の方が加工がし易かった為人形製造の黎明期に存在した人形のほとんどが無機物による素体で作られていた。
当時有機素体への魂の移植の成功率は偶然によるところが大きく、僅かながらに存在した量産品の生体人形の価格は現在の数倍はした。
その後ある天才科学者が発明した「魂の座」を使用する事で有機素体への魂の適合率は格段に跳ね上がりその定着率はほぼ10割に近づいた。後に「全ての人形の父」と呼ばれる事になるその科学者はそれまで人間の魂のコピーに頼っていた移植魂を人工的に作る事に成功し魂のデザインを可能にした。さらに安価な有機素体の製造法を確立した事により人形製造は大量生産が可能な発展期に突入した。


 母親の怒りは凄まじかった。
 まさか自分の愛する息子と高々商品に過ぎない下賤な人形の恋愛ごっこ等考えられる事ではなかった。自分に対する裏切りだと思った。絶対に認められない。彼女は息子を変態の異常者と罵り出来損ないの烙印を押し見限った。人形は早々に処分し、以降息子の前でもあからさまに人形差別を繰り返すようになった。
 アマヤス少年は優しかった母親の豹変に動揺した。罵声を浴びせ人形を手厳しく折檻する母親。まるで息子など最初から居なかったかの様に自分を遠ざけ無視する母親。体は成長してもまだまだ母親が恋しい年齢のアマヤス少年。母親に自分を見てほしかった。無視するくらいなら折檻されたかった。罵声でもいいので声をかけてほしかった。彼の生活態度は次第に荒れ、母親に折檻される人形に嫉妬し差別するようになった。
 大学に進む頃には本物の人形差別主義者になっていた。母親からは相変わらず無視され続けていたが小遣いだけは過剰な程に渡されていたのでもうどうでもよくなっていた。彼は特定の恋人を作らず派手に遊んだ。金さえあれば女はいくらでも寄ってきた。大学の4年間乱交まがいの事もしたし多少倒錯した遊びもした。彼の人生で最も派手で楽しくつまらない4年間だった。
 大学を卒業後大手企業に就職した。実家の稼業とは関係のない職に就いた。会社側は彼の実家との縁を求めての採用だったが彼の家庭環境を知ったのは彼が入社した後だった。さりとていきなり解雇するには理由もなく、彼は閑職に回されたが特に気には留めなかった。
ある日学生時代の悪友から連絡があった。その友人は彼と同じく人形差別主義者だった。友人に誘われるまま夜の繁華街へと繰り出す。今日のお楽しみは会員制の秘密クラブらしい。
 彼はその秘密クラブに入り浸る事となる。そしてトラブルに巻き込まれる。

「邏卒隊です!全員動かないでください!」


『ミチコ』
 自分は博士のオンリーワンだったはずだ。それなのに何故博士は他の人形と冥婚しようとしているのだろう。自分の目に映っているものが信じられなかった。何故あの人形は博士の隣にいるのだろう。何故私はそれを見ていなければならないんだろう。ついさっきまで感じていたあの幸福は何処に行ってしまったのだろう。自分の胸を内側から搔きむしるこの感情は何なんだろう。
 ―嫉妬できるの?
 そうかこれが嫉妬なのか。なんて嫌な感情だろう。魂にジクジクとした染みが広がる気がして悲しくなる。
 「そうよ!悪い?」つい乱暴に答えてしまった。こんな乱暴な口の利き方をするミチコの事をきっと博士は嫌いに違いない。そうか。私はこんな嫌な人形だったんだ。だから自分は博士に捨てられてしまったのだ。
 「世に出ることはないわ。量産されてもきっと売れない」以前は胸を張って言えた言葉が今はこんなに悲しい。
 自分は博士に捨てられてしまった。世間にも受け入れられることはない。一体どこへ行けばいいのだろう。


『アマヤス』
 信じられない。まったくカルチャーショックだ。33体もの人形と冥婚する人間がいることも成り行き任せのヒラサカも全てが信じられなかった。
 それにミチコと言う人形、どう見ても人間にしか見えなかった。自分は幼い頃から他人より多くの人形を見て来た。だから人形を見る目には自信があった。それでも彼女は人間にしか見えなかった。それに…可愛かった。
 いや、だからと言って人形はしょせん人形だ。人形との恋愛なんて、まして冥婚なんてあり得ない。そんな事をすれば自分も人間扱いされなくなるのだ。変態の異常者と罵られ出来損ないの烙印を押されてしまう。それは自分が一番よく知っている。だから冥婚なんてやめておけ。
 自分がこんなに説明しているのに何故ヒラサカはヘラヘラ笑っているんだ。薄々気が付いていたがコイツは本当の馬鹿だ。
 そしてなぜ自分はこんなに必死になっているんだ。何故こんなに胸が苦しいんだ。


―人為ミューテーション―

  そいつをを引き渡せ 無免のヒトガタを
  狂った趣味だね 認められない 禁制生物 変態どもめ
  かよわいつくりもの 無害なヒトガタだ
  生きてはいけない 代えはきかない 新人類達 うやまいたてまつれ

この歌詞をそのままアマヤスの葛藤と解釈する。今まで散々人形を差別してきた。しかしこの寺院で人形を家族と呼ぶ人間を知った。家族と呼ぶ事を許される世界がある事を知ってしまった。
忘れてしまおうと封印していた思い出が記憶の底で疼く。
自分は人形を憎んでいるのか。愛しているのか。


『邂逅』
 アマヤスは馴染みのバーで酔い潰れていた。
 確固たる意志を持ち自由に生きようとする人形。人形を家族と呼び大切にする男。浅慮で主体性のない友人の行動。僅か一日足らずの間に理解を超える事がありすぎた。何が正しく何が間違っているのか。自分は本当はどうしたいのか。幼かった過去の自分に責められている気がする。自分を見失いそうになる苛立ちが酔いを加速させていた。
 足元が揺らいでいるように感じているのは果たして酔いのせいなのか。


『邂逅』
 ミチコは街を彷徨っていた。寺院から逃げ出した際博士たちと逸れてしまったからだ。しかしミチコは見捨てられ置いて行かれたと感じていた。
 悲しくて悲しくて悲しくて大粒の涙を流しながら行く当てもなく彷徨う事しかできなかった。
 ある店の前でミチコは不意に足を止める。
 人形は総じて人間より遥かに鋭い五感を持つが彼女は特に嗅覚に優れていた。彼女の足を止めたその香りは知り合ったばかりの、そして自分に笑いかけてくれたあの男性がつけていたコロンの香りだった。

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