「雑踏の静寂」3K文(感想、解釈、考察)

​ 今回の「雑踏の静寂」はテレパシストが主人公。
 さぞやSFチックな話になるのかなと思っていたら案外そうでもなかった。
 たしかにテレパシストでなければ成り立たないストーリーだし主人公は重要なキーパーソンで物語の中心人物なのは間違いないがテレパシー能力はそれ程重要ではないのでは?肝はそこじゃない。テレパシストだけど等身大の普通の人。みたいな。
 自分的にはそんな主人公の立ち位置が絶妙だった。平凡な人間の苦悩や足掻きを置き去りにして超人が凄いパワーで有無を言わさず事件解決!それは確かに爽快ではあるだろうけど特に胸に響くものはない。
 普通の人間たちが其々の戦い方で抗おうとするから全ての登場人物があんなにも魅力的で、観た人の中に色んな物を残して行ったんだと思う。
 その普通の登場人物は全員が何がしかに囚われていたり縛られていたように見えた。
 神枝隆は「虐げられてきた屈辱と自分の弱さ」に、朝霧つかさは「理不尽に対する怒りと自由を求める心」に、楢橋工は「組織の一員としての己の職務」に、金森準は「自身が信じる公安の正義」に、王美鈴は「殺人を求めて止まない己の性」、児玉明美・由美姉妹は「家族としての繋がり」に。
 自分を縛り自分の行動を決めるものを「価値観」と呼ぶんじゃないだろうか。価値観とはその人の戦い方、抗い方そのものだ。


 「価値観の違う人とは話したくない」とか「価値観が違うんだから話しても無駄」と言う人と偶に出会う。
 口が悪くて申し訳ないが、正直、「コイツ脳みそツルツルなの?馬鹿なんじゃねえの?」と思ってしまう。
 価値観なんてものは他人の価値観と照らし合わせて初めて自分の価値観たり得ると私は思う。誰とも比較した事がない価値観なんて只の自意識というかエゴと言うか、要するに自分勝手な思い込みに過ぎないと思う。
 価値観てのは定規みたいなものだ。自分の使っている定規がミリなのかインチなのか尺なのか。それは自分の定規だけを見ていても永遠に気付きはしない。より多くの定規と比べて初めて分かる事だ。
 同時に多くの人が使っている定規が何かも知る必要がある。別に大多数に合わせる必要はないが、大多数が使っている定規と自分の定規がどれ程違うかくらいは知っておくべきだ。
 自分の定規が少数派で他人の定規との違いを理解した上でそれでもその定規を使うのならばそれは本当の意味で自分の定規、価値観と言えるだろう。
 だから異なる価値観の人との会話こそ必要なのだ。


 会話を疎かにし自身の価値観をただの思い込みにしてしまった金森。
自身が信じる公安の正義を行使した結果、暴動が起こりメイが記憶を失う切っ掛けになっている。国民を守り平和を守る筈の正義が騒乱を引き起こす矛盾。
 もし金森がより多くの人達と会話をし自らの価値観をしっかりと見定めていたらメイが記憶をなくす事態にもなっていなかったかもしれない。
 一体何があってあそこまで公安の正義に縛られているのか金森の背景がとても気になる。


 それにしても楢橋は大変だ。
彼は知らなかったが部下は独断で行動して暴動を引き起こすし、上司は責任をおっ被せてきて現場の苦労も知らずムチャ振りしてくる。まさに絵に描いたような中間管理職。事件は現場で起きてるんだ。
 ひょっとして楢橋のあの前髪は現場を顧みない上司と自分の信じる正義に固執する部下との板挟みな彼の心情を表現しているのだろうか?うん、違うね。そんな楢橋は絶対嫌だ。
 とは言えやはりストレスは凄そうだ。エリートとは言え彼も人の子。そりゃそんなストレスを抱えてガセネタに振り回される成果の上がらぬ長期出張中にメイみたいな娘に出会ったら絆されちゃうってもんだ。
 ところでコレ、他にも同じ事思った人が居ると思うんだけど、何で楢橋は記憶のないメイと再会した時初対面のフリをしたの?
 やっぱりアレか?楢橋はメイに記憶を取り戻して欲しくなかったのかな?
記憶が戻るって事は地上げ屋の事件や3年前の事件を思い出すって事で、それはやっぱりメイにとっては辛い事だから。それならたとえ自分の事を忘れられてもこのまま児玉姉妹と暮らした方が…みたいな事を考えてたのかな。
 まあそれはそれでメイにとっては歓迎する事ではないだろうし、公安としてはメイが記憶を取り戻した方が色々都合がいいんじゃないかな。
 楢橋さん、自分の本心を伝える為にメイに手を差し出したり(機密保持の観点から情報の漏洩がウンヌン!)隆と王美鈴と相対した時メイを助ける為に武装解除したり(職務的に優先事項がナンタラカンタラ!)、割と職務と私情との間でも板挟みってるよね。


 「王美鈴は殺したがっている」
 ラノベのタイトル感がすごいな。
殺人中毒者とでも言うのだろうか。ただ殺すのではなく自分の手で殺さずにはいられない。
 自分の欲求を素直に吐露する王美鈴は実に感情豊かだった。きっと殺人行為とその過程こそが彼女にとっては他者との関わり方、会話そのものだったんだろうな。「拳で語る」をもっとダメ!絶対!にした感じ。
 それまであんなにもクールだった彼女がメイを手中に収めた途端にあの笑顔である。実に楽しそう。許容も共感も出来ないが、セクシーでイカレててゴミ捨て場とか牢屋とか割と残念な目にあっている王美鈴はかなり好きな登場人物。


 物語のクライマックス、メイは1200万人との会話で東京を救っている。
 ところでふと思ったのだが黒川「メイ」はカタカナ表記だが漢字だと黒川「命」だろうか?命令の「命」。
 「命令」こそがメイの能力の本質で受信発信はあくまで命令する為に付随する力なのかと。
 自分の能力の本質が「命令」にあると本能的に気付いたからこそメイは最後に隆と自分の声で会話をしたんじゃないだろうか。本心を只伝えるだけならテレパシーでも良いはずだ。むしろその方がより効果的に思える。楢橋がメイにそうしたように。メイが金森にそうしたように。
 しかし「命令」に付随する力ではなく、つかさに教えられた「会話」で自分の心を自分の大切な家族である隆に伝えたかったから。

 家族と言う繋がりに強い拘りがあったように見えた児玉姉妹もよく会話をしていた。しかし普段明るい由美も穏やかででも芯の強さを感じさせる明美も元気で頼りになる明美も何処か不安定で影を感じる。会話で家族をより強固に繋ぎ止めようとしていたのだろうか。
 物語には出てこない彼女たちの両親。あるいは二人の間にはもう一人姉妹がいたのかもしれない。記憶の戻ったメイを引き留め「ここが返ってくる家だ」と言った明美の言葉に相手を思いやる優しさと強さを感じたが同時に相手を思いやる事で自分達を支えているようにも感じた。


 王美鈴が指摘した児玉姉妹がメイに命令されている可能性。
 全ては想像でしかないが、3年前にメイを発見し自宅に誘ったのは恐らく明美の意思だろう。その後何かを切っ掛けにメイは児玉姉妹に「命令」を使ったかもしれない。
 その切っ掛けは多分メイの不安。戻らない記憶。居場所のなさ。姉妹に対する負い目。自分自身の足元すら確認できないそれはそれは大変な不安だろう。そんな中で縋る様に力を使ってしまっても何等不思議ではない。
 しかし作中でメイが「命令」する時は感情が高ぶり怒りなどで我を忘れている時だった。果たして児玉姉妹にメイは「命令」しただろうか?
 もしメイが無意識のうちに力を使っていたとしたら、それは「命令」ではなく「願い」だったんじゃないだろうか。
 だからこそ児玉姉妹はあんなにも楽しそうにメイを受け入れていたんだと思いたい。

 メイが「命令」を使う時は我を忘れている時だ。
 最初に描かれた地上げ屋への「命令」。全ての始まりとなった事件。我を忘れていたとしても、何故メイは「命令」する事ができるのだろう。
 普段あれほど他人の声が聞こえそれが負荷となっているのに、何故つかさの静止の声が届かなかったのだろう。
 メイは普段ヘッドホンをしている。ヘッドホンから聞こえる声に集中する事で他の声をマスクしている。
 思うにあの時メイにはつかさの声をかき消すほどの別の声が聞こえていたんじゃないだろうか。誰よりも近くから聞こえる敵意だけを吠える自分自身の心の声。
 自分自身の声を聞きその敵意を増幅させ強烈に相手に「命令」する。メイが「命令」を使った後体調を悪化させたり記憶を失ったりするのは「命令」する事の負荷だけではなく、自身の攻撃性を増幅させた一種の自家中毒なんじゃないかと思う。


 隆はこの事件でメイの本当の力を知る。
 一度はメイを止められなかったつかさを責めるが、では自分は何をした?何が出来た?
 何も出来なかった。メイを止める事もつかさを守る事もそれまでの理不尽に抗う事すら出来なかった。隆は自分の無力さを痛感する。痛感はするが認められない。認めてしまったらこれからも謂れ無い差別に抗えなくなる。
 だから隆はこう自分を納得させる。「社会が悪いのだ」と。正に弱い人間の典型的な弱さ。
 王美鈴と共に国際指名手配犯とのテロリストの隆は、しかし作中で最も弱い人間だ。そもそもどれ程破壊工作をしようとどれ程人を殺そうと隆のような人間を私はテロリストとは呼ばない。
 隆のそれは単にこれ以上虐められるのが嫌で自分より弱い人間を後ろから殴って虐める側に回った気になっているだけの弱虫毛虫の駄々っ子だ。
 私は弱い事が悪いとは思わない。必ずしも強くある必要は無いと思っているし、必要な弱さと言うものもあると思っている。何より持って生まれた資質というものがある。それは仕方がない事だ。
 しかし自分の弱さに甘えてそのツケを他人に肩代わりさせる行為は断じて認められない。隆は「虫じゃねーし!」と言っていたが、お前は虫だ。


 逆に強さ故に道を誤ったのがつかさだと思う。
 彼女もメイや隆と共にかつては差別や理不尽な目にあっていた。その度にお互いを理解する会話の大切さを説き理想の世界を示してきた。その一方で彼女の中には社会に対する激しい怒りと自由への羨望があったはずだ。
 それはどれ程差別されても理不尽に虐げられても例え乱暴されても決して揺るがぬ信念と怒りと羨望。それこそが彼女の強さであり支えだったと思う。
 その強さで彼女は思想集団を立ち上げ扇動者となり人柱として最後を遂げる。それ自体は彼女が自らの信念に殉じた結果だ。誰にも過ちとは言えない筈だ。彼女の誤ちは他人の弱さと社会の頑迷さを見誤った事だ。
 多くの人は彼女程強くはない。僅かな困難で容易に決意が揺るぎ信念を手放し、社会は急激な変化を頑固に拒む。彼女の行為は僅かな波紋に過ぎなかっただろう。

 物語は楢橋の語りで幕を閉じる。
 その中でメイと通じ合った人々が日常に戻ると言ったくだりがあった。
 マジかお前ら。
 1200万人と通じ合うというのは紛れもなく奇跡のような出来事だ。そんな奇跡すら噛み砕きすり潰し飲み込んで忘れ去る怪物のごとき現代社会。奇跡の力を持ってすら雑踏に一瞬の静寂をもたらすのが精一杯だったのだ。もとより一個人にどうにかできる相手ではない。
 やはりつかさは社会の恐ろしさを見誤ったと言うしかないだろう。
 ならばつかさはどうしたら良かったのだろう。
 その答えは恐らく一人ひとりが考えて持ち寄り、相手の言葉に耳を傾け自らの言葉で相手に伝え、時には迷いながらぶつかり合い壊れて出来た破片の上にまた新たな答えを持ち寄り、そうやって何度も何度も繰り返して少しずつ積み重ねていった先にあるのだと思う。
 ひょっとしたらどれほど積み重ねても到達できる答えなんてなくて、繰り返す過程こそが答えなのかもしれない。どちらにしても容易な事ではないだろうが奇跡の力は必要ない。ただただ愚直に繰り返せばいいだけの話だ。
 なんとも気の遠くなる話ではあるけれども。

 私はこの舞台を2回見た。
 最初はハッピーエンド寄りの終わり方だと思っていた。メイの「待っててくださいね」のおかげで爽やかな後味になっているからだろう。だけどこうして振り返ると中々寒々しいと言うか陰鬱な思いになるラストだと思う。
 しかし一瞬とは言えメイは確かにつかさの望んだ世界を実現して見せた。見る人によっては希望を感じる物語だったんだろうな。

 誰かその辺りを持ち寄って話し合ってみませんか?

 話し合ってみませんかとは言ったが、私は完全に感覚派の人間で自分の感じたものを言語化するのが本当に苦手なので、こういった感想も解釈の説明が主になる。実際このテキストを描くのにも何日かかってるんだって話ですよ。それでもやっぱり、この思いを伝えたいと言うか共有したいと言うか。
 今回は、おおっ!スゲーな!と身を乗り出すシーンがたくさんあって、例えばメイが1200万人と会話をしているシーンでは会話をしている相手の人物像がちゃんと 伝わってきたし、王美鈴がメイを手中にした時はこの人ホントに脳内麻薬とか出ちゃってるんじゃないの?とも思った。隆なんかは幼少期と成人期では骨格まで年齢通りの体型のように感じたし、ダブルキャストの明美も見ごたえがあった。ホントひとつひとつ上げて行ったらキリがない。後、楢橋さんが花道通るとメッチャ良い匂いがしました。
 とにかくどの役も背景にある物語がとても気になる。そう思わせるものがそれぞれの登場人物の中にあって、そこをちゃんと表現出来てるからどの登場人物も魅力的なんだろうなと思った。本当に素敵な舞台でした。


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