Voyantroupe公演「アンジョルラス」観劇

 安城は言った。「自由を求める革命」だと。
しかし私には彼の起こした事件の先に革命が見えない。

 私は何らかの契機によって大衆の意識が変革する事が革命の本核だと思っている。圧政を行う支配者・体制を倒し無辜の大衆を解放する。これぞ「the・革命」だ。しかし支配者を倒しただけでは革命とは言わない。それは単なるクーデター、改政だ。大衆が解放されなければならない。支配者に飼いならされていた大衆が、明日に絶望し自分の人生の舵を自分で取る事を諦めていた大衆が、それが当たり前だと思っていた大衆が、その意識を変えること。明日は良い日だと信じられ、自由を与えられる事が罪ではないと知り、自分の人生は自分のものだと思うようになる。そうした意識の変革こそが革命だ。

 話を戻し安城の起こした事件を見てみると、その先にどのような革命があるのだろうか。政府が彼の要求に応え悪口箝口令を発したとしよう。果たして大衆の意識に何らかの影響があるだろうか。
 せいぜいどこぞの掲示板かSNSで「テロに屈する日本政府\(^o^)/オワタwww」とか書き込まれて一瞬炎上するのが関の山だ。革命には程遠い結末が目に浮かぶ。いかにも頭の良さそうな安城がそんな結末を求めていたとは到底思えない。
 では何故安城はこんな事件を起こしたのか。
 彼は日本を愛している。それはもう心の底から愛している。日本の為なら戦地に赴く事も躊躇わない、まさに命がけの愛だ。だからこそ彼はこの事件を起こしたのだろう。
 自分は日本を愛している。だけど日本は自分を愛しているのか。自分は愛している程に愛されているのか。片思いをした事があるなら誰でも一度は抱える悩みだ。若ければ尚更だろう。しかしある程度恋愛経験をしたなら、自分に向けられる好意はある程度は気が付く。そんな悩みを抱くこと自体が愛されていない証拠だとわかる。だから直接相手に問い質したりはしない。
 「お前、俺の事好き?」思春期か。
 劇中、小難しいセリフを矢継ぎ早に言っていて、私なぞ半分も理解はできなかったが、やたら頭が良いくせに反面精神は幼いなんてのはよく聞く話だ。思春期真っ盛りではないがそんな安城は聞いてしまう。若さ故の必死さで。
 「俺はお前の事こんなに愛しているんだから一発やらせてよ!」
 そう、これは革命がどうこうという話ではない。小利口な馬鹿が童貞こじらせて暴走したら想い人にドン引かれて自殺した愛情劇だ。
 しかも安城、聞く相手を間違えている。安城が愛しているのは日本国である。なのに政府に愛を問うとはどういう事だ。確かに政府は国を正しく運営する為に必要不可欠な存在だ。しかし政府=国ではないだろう。あくまで政府は国の一部でしかない。人間でいうなら臓器だろうか。
 好きになった相手の臓器に告白する人間はなかなか稀有な存在だろう。私なぞ特に名を秘す某国の連続猟奇殺人犯を連想してしまう。臓器はその機能を果たすだけだ。そりゃ政府は安城の求愛には応えないだろう。
 国を愛しているならシンプルに国に問えばいい。シンプルな物事を複雑にとらえ考えてしまうのは小利口な馬鹿がよく陥る落とし穴だ。
 ちょっと待て。「国に問え」と言うが、そもそも国とは概念的なものでどうやって問えばいいのだ。と思った人もいるかもしれない。国に問うとはどういうことか。実は劇中にその答えが出てきている。極々当たり前で簡単な話だ。
 「妹に幸せな人生を歩んで欲しい」
 「真っ当に働いて幸せな人生を送る」
 「アニメを見れば幸せになれる」
 そう、幸せになればいいのだ。この国で。自分が愛しているこの国で真っ当で幸せな人生を送れば、自分が愛されている事を実感できた事だろう。
そんな簡単な、彼が見下していた人々すら気づいていた事にも考えが及ばなかった安城は哀れである。対照に気づいていながら、幸せを求めながら道を踏み外してきた人質達の愚かさ。
 賢さ故の過ち。愚かさ故の過ち。それぞれの過ちが互いに照らし合い、一層哀れさを際立たせる。

 まさに「ああ無情」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?