足りない修行、達観したい

否定されるのがすごく苦しい

一つ一つを気にしすぎていることは自分でも分かっているけど
小さくても大きくても自分の作ったもの、考えていること
納得できない内容を飲み込むのが今は辛い

損得なく一緒にいられるだけの人はもう現れないんだと思う

自分の考えを否定ではなく肯定でもなく
理解して第三者視点から意見をくれる人が
自分の中に2人だけいる

2人に相談すれば何かしらモヤモヤしたものが少し輪郭がはっきりしてくる

普段本当にいうことを聞きたくないと思う人たちと
その2人との差はなんなんだろう

すごく嫌な思いをした2月、3月
苦しく怒りが込み上がる原因が一人ではないことが
なんだか不思議で

共通点を探してみたけど
1つは支配的なものだと感じた
純粋な言葉、意見ではなく
私の意見を否定したいだけ、自分の意見だけを通したいこと
聞き入れるような姿勢がないこと(根拠がある事実を相手に伝えたとしても)

2つめは自己肯定感の低さ
私自身も自己肯定感は特別高い方ではないし
自分に対して自信が持てない
しかし彼らは自己肯定感が低い故にそれを他人に否定されたくないのだと思う
自分で自分を否定することに対しては見逃し
他人からの指摘、意見=自分を否定していると感じて
拒否反応が出てしまうのではないかと思う

考え方自体に賛同ができない面がいくつもあるので
結局のところ否定になってしまう部分もあるが、
ただ愚痴を言いたいだけなのか、
私は違う意見を持っていることを伝えたら
不機嫌になられ、そこから一切意見や考えに
見向きもせず、否定されたことに対する防御をしているように見えた

なんて幼稚な

そう感じてしまった

哀れなるものたちをみた
そこに出てくる登場人物たちには
女性を支配したがる男性たちも描かれていた

社会の縮図、まではいかないが、自分の思い通りにならないと癇癪を起こし
構ってもらえないといじける

そんな大人は気持ちや事実を言葉で完全に表現できない子供よりも厄介だと思う

ベラは初め、言葉の意味を額面通りに受け取り、
裏に込められた皮肉や、人を疑うことをしなかった。

たくさんの経験の末に自分の意見や考えを
はっきりと他人に伝え、裁量が図れる

大人に急成長できていた

きっと今この映画を見たことにも
何か意味があるのではないかと錯覚するようなタイミングだった。

ここ2ヶ月間ほどの経験が、この映画を見ることによって
自分なりに分析することができたし
分析した結果、この気持ちをどう消化していったらいいのかは
今はわからない

きっと私の信頼するアドバイザー2人は
もう気持ちの消化方法について見つけているんだろう

私はまだ内省を図るべきだと思う
まだまだ修行が足りない

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