恋しくて憎らしい大阪

関ジュ担になるまで、大阪には2回しか行ったことがなかった。東京在住だが京都に祖父母の家があり、はとこも大阪に住んでいるのに、である。私にとっては大阪は遠くてうるさくて、なんだか苦手な街だった。

関ジュ担になってから何度大阪に通っただろう。聞くだけで胸が踊る夜行バスや新幹線の到着メロディ。いつの間にかルーティンになった到着後の行動(このatmを使うとか、ここで化粧するだとか)。初めてのコンタクトを買ったのだって大阪だし、大阪は私にたくさんの初めてをくれた。

週末に別の観劇で大阪に行くことになった私は、関ジュ担としての足跡巡りをすることにした。これは大阪と私の懐古記事である。

初めの頃、松竹座に行くときは祖母の家から京阪電車に乗って向かうことが多かった。京阪の中でファンレターを書いたこと、終演後の寂しさを抱えてツイートしながら帰ったこと、たくさんある。

【なんば】

なんチカはもう目をつぶっても歩ける(さすがに嘘)直前のコンタクトや化粧品、何回購入したかな〜。行きつけはモスバーガー(充電可能)。友人と「どこにでもあるのにモスバーガー!!」って言いながら行くのがミソです。一人の時は、モスバーガーでパソコンを出して、スタタンについてブログみたいなファンレター書いたことが印象深い。ちょっと紅茶が美味しくないサンマルクも友人といった。あれは16クリパかなぁ、これから見られるものに胸をときめかせながら、おしゃべりをするのだ。

エスカレーターを登って地上に出る。パチンコ屋の香り、地上に出ればタバコやラーメンの香り、そして大阪の雑踏。時々大麻の香りがふとして、この街は苦手だと、こういうものにアイドル手を染めなきゃいいな…と苦い顔をする。このファミマで何度ネップリをし、なんどお金を下ろしただろう…グッズ代を計算して多めに引き出した、私の給金ステーションである。あとダイソー。基本寄ってたな〜〜。

なんばにはいつも行くカフェがある。8.8の週末だってここでキレてたし、友人の遭遇情報(直後)とかもここで聞いた。昼夜間はここにいることが多くて、クリパの時期にはかわいいカップケーキを食べながら、ダッシュで手紙を書くのである。あとは、裏のドトールも結構いったな〜…ファンレター書いたり、人のファンレター請け負ったり。交番ではチケット取引を良くした。初めてチケット交換をする、と言っていた19歳の大橋担とのチケット取引、現場に行ったらお母さんが同行していて驚いた記憶がある。2017年の夏、本気で「担降りする💢」なんて言ってたときに日誌が来て、許すことにしたのもこの交番前だ。すごく印象的だから覚えている。

あとはマックとか…ファンレ書いたな…

松竹座はたくさんあるから割愛するけど、初めて行ったときに空間に圧倒されたことを覚えている。祈るようにファンレを入れ、一方的に顔見知りの気分になる松竹座お姉さんからグッズを買う(お気に入りの人、みんないない?)。ファンレ、直前まで書いてダッシュでエスカレーター降りて突っ込んで客席戻るとかも結構やったな…直前だと松竹座お姉さんたちはもうファンレボックスから手紙を出して、整理してるんだよね〜…あと、ファンレボックスには明確な序列があるから、「その他」じゃなくなった時、めちゃくちゃ嬉しかった。死に手紙晒しとかもあったね…。あとはやっぱりスタタンや17春松竹の局動画(UME)で、松竹座のロビーで踊っていたとき、いつも私たちがいる空間にアイドルがいて嬉しかったの覚えてる。あとこれだけは書いておきたい、同じステージに立っていても、後列は本当に遠いのだ。そして、前列はめちゃくちゃ前だ。これを双眼鏡のピントを合わせるたびに痛感して、何度も何度も「最前列へ!メインへ!」と祈って双眼鏡を握りしめた。そして、松竹座を出たときの景色。ネオンが光る看板が、きれいに見える日もあればくすんで見る日もあるんだよね……(通じて)

先程からちょくちょく出しているスタタンだが、これも本当に印象的だった。スタタン初日舞台挨拶は朝早かったから、京阪じゃなく阪急で行った。夜、日が暮れる前に歩ききらないと、と知らない大阪の街の激安スーパーや浮浪者を横目で早歩きしたあとに、明るく光る通天閣を見て、泣いていた。通天閣、めちゃくちゃ綺麗だった。頭の中で大阪LOVERがなり続けてしかたなかった。ほか弁を買ってゲストハウスに戻って、グッズを並べてまた泣いた。次の日勢いで増やして、暑い中キャリーを引いてなんばに戻ったことを覚えている。

大阪天満宮いったあとの道だったかカフェだったか、藤原担の友人から「丈くんは役者として生き残ってほしい」と言われ、なんで?と言った。黙って同意すればその場は丸く収まったのかもしれないけれど、私には同じ人を応援しているはずの彼女が違う景色を見ていることが不思議で仕方なかった。こんなに前に進んでいる、丈くんならメインもデビューも夢じゃない、そう思い続けてた。

大阪にはたくさんフォロワーがいたので、ノリでツイッターで募集かけて遊んだりしていた。梅田のカフェで、友人に丈くんは多分就活してるんだよ!!と泣きついたりもした。あの頃、本当に心が荒んでいたので永久に丈くんの就活について悩んでいたな…なんばで就活生見るたびに、丈くんはどんな気分になるんだろう…と思っていた。今になって、時々インタビューで就活の話が出るけれど、媒体によって言ってることが違って、結局いつまで悩んでたのか、よくわからない。でも、舞台だから黒髪にするだけなのに就活って騒がれる、は身に覚えがありすぎて笑った、ごめん。

あとは梅芸…もドーム…もあるけど、上で書いたものほど行ってないんだよなぁ…。やっぱり私にとっての大阪はなんばで、松竹座なのかもしれない。ここが私のアナザースカイ。

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