2. 関ジュ担

関ジュ担になるきっかけは人それぞれだろう。私はいわゆるベタなタイプで、ジャニーズ WESTをきっかけに関ジュ担になった。

私が関ジュも応援したいと思い始めたのは淳太くんの一万字インタビューを読んだからだった。淳太くんはその中で、一通のファンレターの話をしていた。彼は大学3年生で就活で悩んでいる時に「どんな道を進んでも応援します。やめないでとは言わないです」というファンレターをもらって、こういう人たちのために頑張らなきゃと続けることにしたと言っていた。

TLでお友達の淳太担さんが、松竹座にファンレターを入れた彼女の青春の日々のことを語っていた。デビューが決まった日のこともツイートしていた。いいなぁ、と思ったのだ。デビュー組のオタクだった私は、「アイドルの人生を変えた」というような感覚もなければ、彼らの大事な局面に一緒にいた、という経験もなかった。もう職業が決まった人たちを応援しているだけなのだ。自分が応援している人がデビューするなんて、どんな気持ちなんだろう、と思った。

そんな憧れと同時に、私には無理だろうなと思った。その頃B.A.D.の動画を漁っていた私は、「ジャニーズWEST」という7人組の裏にどれだけやめた人がいるか知っていたのだ。過去の動画で出会う、にこやかに笑っている誰だかわからない顔は全員辞めジュなのだ、そして、その彼らを応援していて、彼らがいなくなった日に涙を流したファンもいるはずのだ。怖、修羅じゃん…絶対やらない。

そして、迎えた2015年4月1日。まぁ、春松竹初日には不穏な空気が流れていたけど。案の定、メインだった彼がいなくなった。衝撃だった。このレベルでやめるんならもう、絶対に関ジュ担はしない。Jr.担なんて私には無理だ。誰かの人生を支え、決断を支え、未来の見えない人のために命をかけるなんて、私にはできない。そんな不安定な彼らを好きになるなんて、私には強い。そう思ったと同時に、「もし自分の力で、誰かの未来を変えられたらどうなるんだろう」と思った。私も、誰かにとって、淳太くんに辞めるのを辞めさせたファンみたいになれたら、それはすごいことなんじゃないか。

その後、優馬くんのバックのMステに、関西ジャニーズJr.の子たちが出た、ときいた。「どれどれ、見てみようかな」という気持ちで見て、踊り方が好きな人を見つけた。彼の姿を丸して、誰だろう、とTLに投げると、フォロワーの関ジュ担から「藤原丈一郎くんだよ」と教えてもらった。それが出会いである。推しになってからも、担当にするまではたくさん葛藤があった。本当に?ちらつくのは彼(美容師)の顔だった。丈くんは、あの時の彼よりも数倍不確かな立場にいたし、別に担当なんて名乗らなくても現場にもいけるし楽しい時は過ごせる。責任を追わずに、甘い蜜だけ吸うことはできないだろうか。

そんな私に担当を名乗らせたのは、2016年のin大阪だった。観覧も、ライビュも外れた私は必死でチケツイをしていた(この頃は出来た)。もし入れたら、担当を名乗ってみようか、そんなことを考えながら、運命に任せることにしたのだ。その年、ライブビューイングで参加した。Darknessを歌うところで出てきて、顔がアップになったとき、売れた、と思った。この放送を、藤原担としてみたいな、と思った。それでもそんな気持ちが怖くて、NHK大阪からの帰り道、向かいの座席で喋り続ける関ジュ担当に心の中で何度も聞いた。「なんで関ジュ担やってるんですか?怖くないんですか?」もちろん口には出せなかった。Jr.担をやる、というのはデビュー組の担当を増やすのとは全然違う気持ちで、圧倒的な覚悟が必要だと感じていた。失う覚悟。好きな人が、ある日何も言わずに涙を流してステージから消える覚悟。その後の松竹座では「いなかったもの」として扱われる覚悟。もう何者でもない一般人を、好きでい続けてしまうかもしれない覚悟。私には無理だ、そう思った時、友人のaskが目に入った。「私も一度Jr.を応援しようかと思って、迷っているうちに、彼は退所した。せめて短い間でもいい、彼を担当とよんでみたかった。」その発想はなかった。やってみよう。とりあえず、期限を決めて。2018年4月まで。丈くんの大学卒業まで、精一杯藤原担をやろう。もし失ってしまったら、その時には藤原担として泣いてやろう。

さて、Jr.担になるの怖い!を克服したはいいもののまだ壁はあった。関ジュ担、怖いのである。関ジュ担といえばフォト一揆、ショタコン(ごめんなさい)。松竹座のエスカレーターで癖の強い関西弁でまくしたて、担当すらけなす(ごめんなさい)。かなり偏見たっぷりだったが、関ジュ担=強くて怖い!の印象がすごくあったのだ。いや私は丈一郎くんを応援したいだけで、そんな全然…怖くないですよ…みたいな顔で恐る恐る松竹座に通っていた。

…まぁ、とは言いつつ私そのうち私も複数買いするオタクになるし、一応売り切れなかった時のためにチケットないのにグッズ列に並ぶオタクになった。あけおめでは夜明け前から極寒の川沿いに並び、売り切れアナウンスに一喜一憂するようになる。何個売れたかが人気の指標だと信じ、ひたすら買い続けるオタクになったのである。ところで、もう一揆という文化は死んだのかな〜ネットショップ、最近購入制限2だし。松竹もチケット持ってる人しか買えなくなって、、なんでなんでしょうね。売れるのにね?まぁそれはさておき、私の中で丈くんのグッズを買うために並ぶグッズ列というのは関西弁のここに命をかけているお姉さんたちに囲まれ、時々「それもう嫌いなんじゃない?!?!」みたいな貶し愛(笑)を聞きながら並ぶもの、という風に刷り込まれていった。だからこそ、数年後、なにわアオハルパシ横で東京弁の学生たちが、テストや部活みたいな日常の話をしながらグッズ列に並び、私の見知った藤原丈一郎のうちわを1枚とかかってホクホクしているのを見て不思議な気持ちになったのだ。松竹座で生きてる、そこに命をかけてる、みたいな人しか生活がない人しか、今まで、知らなかったから。だから、普通に生きてて、普通に学生をしていて、「関西ジャニーズJr.」に出会って、日常を生きつつ楽しめるコンテンツになったことにびっくりした。パシ横にいた学生たちは、生活があって、その中でアイドルが好き〜という感じでなにわ男子が好きなのだ。それは私が知っている、松竹座にいた関ジュ担とは、別物なのだ。だから、どう、とかどちらがいいという話ではないんだけど、本当に衝撃だったのだ。

丈くんは、もうすぐ関西ジャニーズJr.じゃなくなる。私も、関ジュ担じゃなくなる。いや、もう私はAぇもlilの動向も終えてないし、もう多分、数年前には関ジュ担じゃなくなっていたのかもしれない。あの頃、松竹座にいて、各ラインに推しがいた私は多分関ジュ担だった。手の中で光る「関西ジャニーズJr.」のペンライトを見る。必死で買ったこれ。これも使い納めだ。あの頃は赤に照らしていたものを、青に灯す。

#Jr担卒業文集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?