おしくら饅頭(2024/08/30)

おしくら饅頭というゲーム。ヤバいと思う。

だって「おしくら饅頭、押されて泣くな」って、余りにも太い心を持った加害者だとは思いませんか?

泣かせるんじゃない。煽るんじゃない。

涙関係の煽りが許されているのは、FFXのジェクトがティーダに対して言う「泣くぞ?絶対泣くぞ?」のアレだけなんですから、無闇やたらと煽ったら駄目なんですよ。

そもそも、おしくら饅頭って凄いですよね。

ただ複数人で押し合うだけ。そこにルール性はないわけですよ。ただのイチャつきですよアレ。

それなのに今の今まで滅ばずに定着しているというのは、やはり人々が寂しがりで寒がりということなのでしょうかね?

別に良いですよ。イチャついて暖を取るような行為にポップな名称がついて、メロディまでついて、それが後世にまで語り継がれている。こんな幸せな国が何処にありますでしょうか?

でも…でもやっぱり「押されて泣くな」の部分が足を引っ張っていると思う。そこの部分がもっとハピネスに満ち溢れていれば、横浜市歌くらいまで上り詰めていた気がする。

そもそも「押されて泣くな」とメロディにまで乗せて釘を刺してきているということは、

過去に押して泣いた人がいるのではないでしょうか?

仮にそうだとして、その際に滅びていないということは、

当時から、おしくら饅頭にはチョットやソットの批判には負けないような相当強い力があったと考えられますね。

それか、ある程度のオイタは許されたという、おおらかな時代だったのかも知れません。

命拾いしたな、おしくら饅頭。オメェ現代だったら炎上してたところだぞ?

今度は逆に、泣いた人がいない。と仮定して考えてみましょう。仮定のサンプルは多いに越したことはないですからね。

その場合、参加者が泣いていないという点においては非常に好感が持てますが、

その場合は「押されて泣くな」と歌詞の主人公が相手を泣かせる気満々でプレイしているのが怖い。なにそれ?おしくら饅頭は格闘技だったのだろうか?

ならば、おしくら饅頭が格闘技だったと仮定して考えてみましょう。

おしくら饅頭という武闘は、お互いの肉体をぶつけあい、時に涙も浮かぶ過酷なサバイバルゲーム。しかしゲームマスターは言うのです…「押されて、泣くな」と…。

そうです。涙など我々には許されない。

今宵もコロッセオに咽び泣く饅頭達の断末魔が聴こえる…っ!!!

って、いやいや…いやいやいやいやいや、こんなもんどこが面白いだろうか。仮に、おしくら饅頭が格闘技だったとしても、こんなルールの競技は流行らない。皆さんは似たようなルールで、もっとルールが確立された相撲を見るはずだ。

つーか変に解釈しすぎなんだよ君は。おしくら饅頭なんて、もっとライトにカジュアルに適当に遊ぶのが良いわけで、そこを変に考察するの良くないところだよ?

最近フェイクドキュメンタリーQとか、ああいう感じの作品にハマりすぎて考察する楽しさに目覚めたのは分かるけど、おしくら饅頭にまで及ぶのは流石にキツいと思うぞ?

そもそも、なんだよ今日の日記の内容は?

何もない日に無理やりに何かを書こうとした結果、良く分からないものが出来てしまったじゃないか?

もうよくわからなものを書くしかないなら日記なんて辞めちまえばいいのよ。辞めちゃってFFXをやったほうが全然有意義だと思う。

読者の皆さんはFFXで何か思い出はありますか?

私は、やっぱりチョコボイーター戦ですね。あれって毎回コチラが倒すか押し出す前に、敵に橋から落とされちゃうんですよね。

あの時の悔しさは拭うことが出来ず、未だに時々思い出しちゃいます。

橋の下に落ちたあと、空を見上げたティーダの目にチョコボの羽が映るシーンがあるんですけど、あれが切ないんですよね…悔しさを助長させてくるんですよ…。

…そう思うと、あれって実質おしくら饅頭ですね。

あれはチョコボイーターの曲だったのかも知れません。

そんな考えに至れたのも、ある意味、エボンの賜物だなって思いました。

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