今日あったこと 2024/02/18
カラオケ行こ!2
『カラオケ行こ!』をもう一回観ることになったので観に行った。
今回は同行人がいて、概ね好評だったのだけど二次会の居酒屋で「成田狂児は死ぬべきだった」という感想が出て「なるほど」と思った。
言いたいことはあったけど、まだ自分の中でまとまってなかったのとオタク早口になるのが分かりきっていたので「いやぁ、ぼくは死なない方が好きですけどねぇ」程度にとどめておいた。
ざっくりと感想を聞く分には「全体的に“山”の少ない映画で、最後の紅の盛り上がりは良かったけど、そこですら成田の死が狂言であったのならその盛り上がりも半減だった」ということらしい。
(同行人へ:違ってたらごめんね。)
一理あるなと思う。
『カラオケ行こ!』は終盤の聡実くんの紅歌唱パートのために全てが組み上げられている映画で、それまでずっとそこへ向けてのフリを続ける。その過程を退屈だと断じてしまう人も中にはいるだろう。
しかも、ずっとフリ続けるなかでも最大のフックである「成田の死」が、実は嘘でした!となってしまっては初見では肩透かしを喰らってしまっても仕方ない。
成田が死んでいないことが事前にわかったのであれば、成田が言うように聡実は合唱祭に出ることができたかもしれない。死んでいた方が紅の歌詞にもあっているとする見方もあるだろう。
でも、あそこで成田が死んでいたら、カラオケ行こ!はそこそこの良作止まりだと思うんだ。
ギャグマンガ原作、コメディ映画というカテゴリーの中での「(不可逆な)死」はあまりにもテーマとして重すぎて、作品の質を変えてしまう恐れがある。あくまでコメディという枠組みの中での描写としてあそこだったんだろう、というのはまず挙がる理由だと思う。
ただ、原作未読、映画初見の人間にそれを承知で見ろというのは傲慢だと思うので、それ以外の理由を挙げたい。
成田狂児というキャラクターの整合性
狂児は作中で聡実に対して常に精神的なイニシアチブをとっており、最後までずっと聡実の心を揺さぶり続ける。
その路線で行くなら「死」はこれ以上ない“揺さぶり”にはなるのだけど、そこからさらに「生」に戻ってくるともう一回“揺さぶり”をかけることができる、というのが一つ。
そしてこれが重要なんだけど、狂児は聡実に対して徹底的に「自分」を見せない。本当の感情を全然見せない。これが大人としての余裕なのか、ヤクザという肩書きを持つが故の引け目なのか、はたまた別の何かなのかは議論の余地があるだろうけど、狂児は聡実に自分自身を見せてくれない(余談だけど、メタ的には『カラオケ行こ!』が聡実視点で進む物語だからだと思う)。
で、狂児が死んでしまうと、それはどうしようもなく大きな現実として聡実に覆いかぶさってしまうので、キャラを一貫して描くことが困難になる。聡実に初めて見せる”素”の狂児が「死」であることは、エモくはあるけど悪い言い方をすると安直だし美しくはないと思う。
で、もっと言うとここで狂児が”生き返って”くるほうが、聡実の感情を狂児が手の上で転がす感じがあって、元ヒモの人たらしとして格が高いんじゃないか。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
書いてたらタイムラインでレスバが発生して野次馬してたら何書くか忘れた。おわりだ。おわり。ごめんよ~~(´;ω;`)
ぷよぷよ
タイムラインのレスバだけど、SEGAのやっているぷよぷよの大会で交通費が出る大会(レディースカップ)と出ない大会(プロ選抜)があって、界隈的には出ない大会の方が参加者の実力的にも格が高いのにこっちに交通費が出ないのはおかしいんじゃないかみたいな話だった。レスバを観測するとウキウキしてしまうのでもうカラオケ行こ!について書きたいことを全部忘れてしまった。レスバにうっかり参戦しないように自分を押さえるのにやっとだった。
から!ここに!チラ裏として書いておきたい。ぷよぷよeスポーツのプロシーンに興味がない人はここから先を読む意味はないからここで終わってください。
レディースカップの運営は結構いわくつきというか、交通費問題も今に始まったわけでは全然なくて、レディースカップの予選通過者には交通費や宿泊費が全額負担されていたらしいのだが、プロ選抜ではそれらは基本的に自己負担であった(事前の説明では自己負担で、当日になって交通費等が出ると発表された回もあったらしい)。
他にも、ぼくの記憶では最初のレディースカップでは付与されるランキングポイント(プロ選抜大会に出場するために必要なポイント)が異様に高かったのを指摘されて変更した過去がある。ランキングポイントのシステムは参加者数に応じて入賞者にポイントが付与されるものだが、当時のレディースカップは最初から優勝50ptと決められていた。女性プレイヤーだけでそのポイントを付与できる規模の大会にすることはできず、結果「女性プレイヤーでプロを目指すなら(ライバルが少ない割にポイントが異常にもらえる)非常に”おいしい”大会」となっていた。
これについて、当時ユーザーからコミュニティサイトのぷよぷよキャンプやTwitterで指摘が入り、(そのせいなのかはわからないが)参加人数準拠のポイントになったという経緯があった。
こんな感じで、ユーザーの間ではSEGAの露骨な女性プレイヤー優遇に対しての不信感があり、「ぷよカップ(プロになることもできる公式大会。参加希望者が多いと抽選になる)に出たかったら性別を女性で登録しろ」という都市伝説がささやかれたりもしている。
今回のツイートは、プロ選抜にも出場する有望な若手プレイヤーからの投稿だったのもあって、界隈が大いに沸いている。
まだ今年のプロ選抜のレギュレーションが発表されていない(つまりまだ今年のプロ選抜で交通費が出る可能性がある)以上、あまり過激なことは言わない方が安パイかな、とは思いつつ、こういうのは騒いでいかないと変わらない(逆に言うと騒いだら変わった)過去があるのでたまには騒いでみるのもありかなと思っている。若者の意見は大事だよ。ぼくは彼の問題提起を肯定的にとらえたい。
ぼくは最近はプレイヤーとして遊ぶ時間も増えてきているけど、もともとはぷよのプロシーンが始まったくらいからは基本的に観戦メインで界隈とかかわってきた。
そんな観戦勢としてこの問題に感じることとしては、「SEGAはプロ選抜大会よりも、レディースカップの方を格上の大会として扱っているんだな」ということで、これは本当に危険だと思う。
レディースカップをプロ選抜より厚遇することからは「SEGAは、ぷよぷよの観戦者はアマチュアトッププレイヤーがプロライセンスをかけて戦う姿より、実力は劣るが華のある女性プレイヤーの試合をみたがっていると考えている」のではないか?と読み取ることができる(できてしまう)。
これは「実際にそう(視聴者は女性を見たがっている)じゃん」みたいな次元の話ではなくて、見る人が見ればこれは「SEGAという大企業が組織として性差別の再生産を行う構造を温存している」ということになり、このご時世ほんとガチの炎上の火種で危険だ。
余計なお世話かもしれないけど「女性大会の方が新規参入を見込めるのでそちらにお金をかけるのは企業として正しい」系の擁護は、その論の土台が性差別的(eスポーツの興行として、視聴者数などの経済的メリットが得られるのであればプレイヤースキルよりも性別の方が優先されてもよいとする)価値観であることを理解しているのか?と不安になる。
ぼくはレディースカップもプロ選抜も観ると思うけど、どちらかにしか交通費を出せないならプロ選抜の選手に出してほしいし、そちらに出すべきだと思っている。
そもそもレディースカップで優勝できるような強い女性プレイヤーが、交通費が出ないからプロ選抜に出ないんじゃ本末転倒だろうし。もちろんこれは女性プレイヤーだけじゃなくて、地方のプレイヤー全員に言えることだと思う。
「他の競技ではもっと自己負担が多い」みたいな反論もあるかもしれない。たしかにプロテストを受けるアマチュアに交通費を出す競技の方が少ないだろう。でもここで問題になっているのは、「プロテストですらないアマチュアの大会に交通費が出て、プロテストに交通費が出ない不公平について」なので論点がずれている。
ただ、正直なところ、これで騒いだ結果、レディースカップへの優遇措置は近い将来なくなって、プロ選抜への優遇措置は取られないままシーンは縮小していく気がする。政治的な正しさと心中する未来が見えてしまう。本当に悲しい。キジも鳴かずばとならないことを祈ってやまない。
それはそれとして今年のプロ選抜のレギュレーションがまだ発表されてないの異常じゃない?もう1か月くらいしかないけど。
何人参加できるかもわからないのに新幹線とか飛行機のチケット代や宿泊費は日程が近づくにつれてどんどん上がっていくわけですよね。これで交通費自己負担なのを「プロになりたいんだったらこれくらい自己負担すべき」みたいな話で片付けるのちょっと酷じゃないかと思う。
ほんとこういうところ早く何とかしてほしいなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?