見出し画像

キヨスク

 人間は忘れなくては生きていけないらしいです。そう聞きました。本当かどうかはわかりません。ただ、そういう話を聞きました。嘘かも知れません。数年経ったら、
「昔、人間は忘れないと生きていけないっていう俗説が流行ったけど、あれは嘘だよ」
 っていう事になるかもしれません。
 以前、「人間の脳みそは大体5パーセントくらいしか使われない」っていうのが流行りましたけど、あれもそんな事ないらしいですよね。数年経ったらそういう話が出てきたじゃないですか。だから、人間は忘れないと生きていけないって言うのももしかしたら、また数年たったら違うっていう事になるかもしれません。もしかしたら。まあ、嘘っていうのは酷いかもしれませんね。それは、その情報は、その時のスタンダードっていう事かなって思うし。まだまだ解明されていない事だってたくさんあるでしょうしね。
 とにかく今のスタンダードは、
『人間は忘れないと生きていけない』
 っていう事で。そういう事になってるみたいです。でも、そう考えると不思議ですよね。なんかたまに催眠術で子供の頃に戻るやつとかあるじゃないですか。
 犯罪捜査の為にとか、そういうので、大人を子供の頃の記憶に戻して、当時の記憶を蘇らせるとか、そういうのがあったりするでしょう。
 で、そういうのがうまくいくと、本人は忘れていたのに、その記憶が、子供の頃の記憶が、戻ってきたりするでしょう。当時見ていた風景とか、よく遊んだ公園とか、そしてその時目撃していたものとか。そんで、その催眠術をかけた先生みたいな人が言うんです。
「人間の脳みその中には本人も忘れてしまっている様な記憶がたくさん眠っているんです」
 みたいな事を。
 という事は、それが、それが本当なら、事実ならば、人間の脳の中には、
『記憶にございません』
 っていうフォルダがあるっていう事になるんじゃないかなって思うんです私。
 強く印象に残った事、時間が経つにつれてどんどんと強くなってくる記憶、そういうのは取り出しやすい所にあるんでしょうね。デスクトップのフォルダの中とかに。で、それ以外は、例えば、そうだな……、
 デスクトップから、PCに行って、そっからピクチャとか、ダウンロードに行って、その中に更にフォルダがあって、階層があって、中にごちゃごちゃと色々詰まっていて、いや、もしかしたら年代ごと、月ごとに区分けされているのかもしれないけど。
 でも、とにかくそういうのがあって、その階層に、そういうフォルダが。
『記憶にございません』
 っていうフォルダがあって。なかなか行き辛い、普段見ない。行かない。面倒。なのだけど、でも、そういうのがあるのかもしれないですね。
 私、そんな事を考えているんです。
 ずっと。
 私。
 そんな事を考えているんです。

 大宮駅から埼玉新都市交通ニューシャトルに乗り換えて一駅行くと、鉄道博物館があります。その中に、最近、大キヨスクって言うのが出来たんですって。
 なんか、なんかの記念で。なんかの何周年記念っていうので。浦和駅開業140周年記念とかだったかな。違うか。浦和と大宮って仲良くないって言うし。とにかくなんかの記念で、鉄道博物館の中に、大キヨスクって言うのが出来たんだそうです。
 で、森田君はそれを見に鉄道博物館に行ったんです。
 休み、土曜日を使って、朝に準備して、駅でSuicaに幾らかチャージして、まあ普段大宮にはいかないもんね森田君は。大体は浦和です森田君。用事は浦和で済ませます。あと赤羽とかです。大宮は反対方向なんです。だから、それでね。定期で行けないからね。お金かかっちゃいますから。
 でも、その大キヨスク見てみたくて。森田君。大宮に行って、大宮からニューシャトルで鉄道博物館に行ったんです。
 そんで、そしたらね。その大キヨスクの中に、面白いものが売っていたんですよ。
 それは、
『キオク酢』
 なる代物でした。
 恐らくキヨスクがキオクスとか、キヨクスとか、そういう風に間違えられるのをネタにして、逆手に取った、そういう商品なんだろうなと思います。素敵ですよね。そういうのをネタにできるのって。
 で、森田君は、そのキオク酢なるものを面白がって買ったんです。
「なにこれ、記憶が戻るの?」
 って思いながら、面白がってました。森田君。あとはまあ、大キヨスクっていうのが見れた記念かな。来れた記念とか。

『キオク酢』
 大キヨスク開業記念品。
 これを飲んだら忘れていたあなたの記憶が戻るかもしれない。
 そんな事ないかもしれない。
 ※本商品は医療品・医薬品ではありません。
 ※黒酢です。

 そういう説明というか、ポップみたいなものが貼ってありました。
 森田君はそれを買って家に帰りました。
 キオク酢は箱に入った立派な商品でした。ちょっとよさげな日本酒みたいな。養命酒みたいな。そういう感じでした。
 森田君はキオク酢の写真を撮って、それから箱を開封しました。
 中に入っていたのは、瓶です。養命酒みたいな。
「飲んでみようか」
 森田君はキオク酢をコップに注いで、それに水道水を足して、飲んでみました。
「すっぱ」
 森田君は口を付けた瞬間そう思いました。
 そして、そしたらそれに次いで、森田君は子供の頃の記憶を思い出したんです。
 森田君が千葉に住んでいた時の記憶です。
 森田君は何年か前は、千葉に住んでいたんです。今は埼玉県さいたま市に住んでいますが、その前は千葉の佐倉って言う所に、住んでいたんです。
 その時の記憶が蘇りました。
 ライフがあったなって。ライフって千葉の佐倉にあったスーパーです。その近くにビックエーもあったなあって。ビックエーも生鮮食品を扱ってるスーパーか、スーパーって言う規模じゃないけど、でもよくお世話になってたんですね。当時。
 最初に、初めて、秋田から出てきて初めてビックエーに行った時、ビニール袋がもらえなくて、ビニール袋下さいって言ったら、お金かかりますって言われて。
 その時、森田君はなんでビニール袋にお金がかかるんだ。って思ったんですね。今はもうそれが世の中のスタンダードになってますけど、でもだから、そうやって考えると、ビックエーが凄く先進的だったんだなあ。って。
 森田君はキオク酢の入ったコップから口を離して、そう思いました。あと、これすげーってそういう事も思いました。
 すっかり忘れていた記憶が戻ったんです。ビックエーのすごさ。それを思い出したんです。
 もう一口飲んでみました。
 二度目ですが、森田君は相変わらず、
「すっぱ」
 って思いました。
 そしたら、森田君の中に学生時代の記憶が蘇りました。
 学生時代、秋田の高等学校に通っていた頃の記憶です。学園祭の前、前日の事でした。森田君が通った高校は海の近くにありました。昔の小説に出てくる海辺のサナトリウムみたいな感じで。少し歩いたら浜辺がありました。
 学園祭の前日、もうすっかり夜になっていたんですが、森田君は友達らと一緒にまだ準備をしていたんです。その最中、ある友達がみんなで海に行こうって言いだして。
 気分転換も兼ねて夜の海を見に行ったんですね。
 そしたらその海岸の駐車場の中に一台の車が停まっていて。それがある時から揺れ出したんです。こう、なんというか、営み。夜の。多分。
 森田君たちはそれを遠目から見て興奮しました。耳聡いっていうのかな、そういう事情に詳しい(知ってるマウントをとりたい)一人の友達が、
「あれ、ヤッてるぞ」
 って言いだして。だからみんなで、砂浜にうつ伏せになって。見つからない様に。その車を観察したんですね。ギシギシと揺れている車を。夜の海で。夜の浜辺で。
 森田君はそんな事すっかり忘れていたんですが、それを思い出したんです。
 キオク酢の入ったコップから口を離して
「あの時は馬鹿だったな」
 って思いました。それから、
 これはすごいな。すごい商品だな。って思いました。すっかり忘れていたのにその記憶が戻ったすごいなって。
 その後もう一口飲んだら、
 中学校の時に、ファイファン10が好きって言ったら、エフエフって言えよ。って級友から理不尽な事を言われたことを思い出して腹立たしく思ったりしました。ファイファンって言って何が悪いんだって。
 もう一口飲んだら、
 小学校高学年の時にの下校中うんこもらしたことを思い出して森田君は恥ずかしくなりました。
 更に一口飲んでみると、
 幼稚園の頃に家族で夏祭りに行くってなって、浴衣を着せられた森田君が先に一人で夏祭りに行って、迷子になった事を思い出しました。森田君的には全然怖くなかったのですが、家に帰ったら家族がみんな慌てて、それで怒られるかもしれないって思って、泣いたんですね。その事を思い出しました。

 これは本当にすごいな。
 森田君はそう思いました。
 そうしてコップの底に残ったあと一口分のキオク酢を飲んだんです。

 そしたら、
 森田君、小学校低学年の時の事を思い出しました。家から少し歩いたところに貯水池があったんです。コンクリートで四角く作られた。貯水池。そこに二人で行ったんです。
 それで、
 私がね、ちょっとふざけて。森田君と二人で遊べるのが嬉しくて。押したんですよ。森田君の事。ちょっとだけ、ふざけて。
 そしたら森田君も私の事を押してきて。
 それで、それでね。
 遊びだったのがお互いだんだん力が入ってきて、
 それで、
 私、足滑らせてその貯水池に落ちちゃって。
 私。
 それで、
 森田君助けようとしてくれたよね。嬉しかった。嬉しかったな。木の棒とかで、これを掴めとかやってくれて。
 でもね。
 結局ね。
 私、
 そこで、

 森田君その事思いだしちゃったんです。
 それで、思い出した瞬間、半狂乱みたいになって。
 それでね、

 ねえ。森田君。私は別に大丈夫だよ。辛くないし、今だって森田君と一緒にいれるから。だから、大丈夫だよ。ねえ。一緒にいれるからさ。あの時から、私、ずっと森田君と一緒にいたから。
 私は、
『記憶にございません』
 のフォルダに入っていたって良かったんだよ。
 でも、
 思い出したね。
 思い出しちゃったね。
 森田君。
 ねえ。
 森田君。
 好き。
 好きだよ。
 ずっと好きだよ。
 ずっと。
 ずっと一緒にいれるから。
 これからも。
 ねえ。
 森田君。
 ずっと一緒にいようね。
 ね、
 ね。
 ね、森田君。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?