見出し画像

続・・・妄想

 夏之助が失踪してから、5年も経った頃だろうか。
 小夏から、一門ラインではなく甘夏に電話が掛かってきた。
「えらいことや。師匠が北海道にいるらしい」
 小夏は、旭川と札幌で落語会があり、一昨日から北海道入りしていた。今晩の札幌での落語会を終え、会の主催者と一緒に打ち上げをしていたところ、夏之助を知っているという男性がいた。
「すすきの寄席っていうのが、二ヶ月に1回しているんだけど、そこに来た東京の落語家さん、桜家伝吉師匠が、客席にいた夏之助さんを見つけたのよ」
 小夏はそれを聞いて、慌てて兄弟弟子に連絡してきた。桜家伝吉師匠とは直接つながりはないが、伝を頼って連絡先を探し始めた。
 甘夏も若松も仕事があり、北海道に今行くことはできない。
 弟子は三人とも、今師匠を見つけたらどうなるのだろうと、初めて考え始めた。
 強引に連れて帰ってくるのか、安否を確かめるだけなのか、上方落語家として復帰できる物なのか、それとも。
 小夏は昼には大阪に帰ってきた。南條亭の並びにある喫茶店に、小夏、若松、甘夏がそろった。江戸からの連絡はまだ無い。

「兄さん、どうするんですか?」
 甘夏も若松も、興奮しながら小夏に食いかかるように話し出した。
「まあ、ちょう待て。このことをあんまり人に知られたらアカンで」
 小夏は、帰路の飛行機の中で色々考えていた。師匠が疾走した理由はまだ分からないが、それなりに意味のあることだったろう。それを強引に連れ帰るとか、落語協会の先輩達にこのことが聞かれると、辛いのではないだろうか。
 このままにしておこう。
 当初、小夏がこのことを聞いたときには興奮して、師匠に会いたい一心ではあったが、それはわがままに違いない。
 師匠同様、出奔した経験のある一夏には、師匠の一人でいたいとか、落語に帰ってくることの恥ずかしさとかの気持ちが分からないでもなかった。
 そこに、東京の落語家、小夏と同期で伝吉の弟子の伝太からライン電話が掛かってきた。
「師匠が、お弟子さんに話してくれるそうです。明日、新宿辺りでお会いできれば・・・」
「はい、参ります」
「ただ、このことは絶対他の方に言わないよう。すでに誰かに話したのならこれ以上人に言わないこと、落語家にはもちろん、そのほかの人にも」
 一夏は、今晩は先輩の勉強会の開口一番に呼ばれていた。後輩を探し、開口一番を終えたら飛び出しで東京に向かう算段を付けた。
 甘夏は予定がなく、一夏と一緒に東京に向かう。若松は深夜バイトを終えたらすぐ、深夜バスで東京に向かうことにした。
 午前十時。新宿の街は人煙を感じるほど人が多い。小夏は出演経験もあったので、三人そろって駅から玉本演芸場に迷わず向かった。
 口を開けば三人とも言葉が止まらない程、思いがあったが、都会の喧噪の中ただ黙って歩いた。
 演芸場の前に、私服の伝太がいた。
「小夏あにさん」
 雑居ビルの地下に有る喫茶店に案内され、赤いソファーに伝吉が座って新聞を広げていた。
「お弟子さん、三人とも来ちゃったか」
「はい、私が小夏、こいつが二番弟子の甘夏、こいつが三番弟子の若夏です」

「遅かったけど、これで良かったのかもな」
 小夏が差し出した岩おこしを受け取りながら、伝吉が言った。
「ありがとう、おこし好きなんだよな」おこしの入った紙袋をのぞきながら、傍らに置いた。
「夏之助くんな、もう居ないんだよ。あれは猛もう一昨年のことだよ」
 すすきの寄席は、カレー屋でやっている落語会だった。札幌の今は市会議員もしている桜亭空太郎師匠が主宰している落語会で、一昨年はあの頃ちょうど札幌で落語会があったので連絡したら、出てくれと言われてゲストで出た。もう夏之助くんにあすこで合うのは5回目くらいかな。お見送りの時にちょっと話していたら

 空太郎師匠は分かっていて、大きな声を出してしまった私を叱った。前もって言っておいてくっればよかったのに、他の客が聞いたんだろうな。
 夏之助くんは、心臓が悪かったんだ。知ってたか?不整脈とかでペースメーカーって機械入れてたんだろ。そのせいもあって、落語を続ける自信が無くなっちゃったんだな。余命宣告されたそうだよ。心臓移植をしなければ5年生きられないって。
 落語家で居ることを諦めて、だからって弟子っこさんたちも放り出さなくていいのに。一人で札幌に来たようだ。それでも落語が忘れられずすすきの寄席には通っていた。空太郎師匠が優しい人だからね、誰にも言わなかった。俺みたいにすすきの寄席であった落語家もいるだろうが、誰も言わなかったね。多分、お前達に話したのは、客だと思うよ。
 一昨年、病院から電話があって、空知の方で交通事故で亡くなったお子さんが居たそうで、臓器移植、心臓の提供を受けられると言うことになった。
 夏之助くんさ、いよいよと言うとき、怖くなっちゃった。これまでの悪業因縁、不届き、生い立ちの不幸、親不孝。そして、弟子達をほっぽり出したこと。こんな悪い自分が、本当は将来があったお子さんの心臓をもらうことが申し訳ないと思ったんだ。
 夏之助くんは、景清の目を貸してもらう定次郎みたいなもんだ。江戸ではあんまり演るひと居ないんだけど、あれはいい噺だね。
 病気を治して生きたいと言う気持ちと、どうせダメだとあきらめる気持ちとのせめぎ合い。ある意味無責任に応援する人。景清のように悔しく残念な気持ちで亡くなった人のおかげで、自分が生きる。そんなことしていいんだろうかって、思っちゃったんだな。
 夏之助くんさ、移植断ったんだ。それからたったひと月。心不全で亡くなっちゃった。
「なんで、なんで」
甘夏が唇を噛んだ。
「遅かったんですね」
 小夏が言うと、声を出して泣き出したのは若松だった。
「師匠、ありがとうございました」
小夏が伝吉に頭を下げ礼を言った。
「夏之助くん、札幌のナントカいうところの無縁墓地に入っているらしいよ」
「今度、三人そろってすすきの寄席に出してもらおう。空太郎師匠に連絡しておくよ」
 伝吉は弟子達に墓参りさせてやろうと思った。

かってにあまなつとおりおん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?