ぶつけられない (7.14.2007)
三男が障害を持って生まれてまもなく、
大きな岩がトンネルの中のバスを押しつぶした事故があった。
なかなか救出されない家族を思う人たちが、
国道の管理が悪い、バス会社の対応が悪いと、
怒っていた。
あの人たちは、
怒りと悲しみをぶつけるものがあって良いなと、
思った。
病気とか、死ぬとか、事故とか、事件とかの出来事があったとき、
お前のせいだといえる相手がいないとき、
自分のせいだったり、自然のせいだったりしたとき、
その気持ちをぶつけるものはなくて、
代償としてお金ももらえない。
そう思ったこともあったが、
あれから10年以上たって、
怒りも悲しみもぶつけるものがなくて、
代償のお金ももらえないことが、
そのほうがよかったと思うこともある。
人が常に健康であるわけでもなく、
人は必ず死ぬもので、
すべての負の事象が保障されるなんてことはない。
そんなことを、あのころわかった。
何でも訴える人を見ていると、
ちょっとかわいそうになる。
医療というものの役割についてとか、
人間の命の宿命についてとか、
そんなことを知らしめて、納得してさせてほしい。
そうでないと、
まだ永らえることのできる命すら、
医療を施せなかったり、
責任の押し付け合いで、
人間として悲しくなったりしそうだ。
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