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教授回診ってまだあったんだ、大学病院だから当たり前。大阪が白い巨塔というなら北海道は面白い巨塔でいいんじゃないか、ここで仕返ししろよ



大部屋は、意外と親は寝やすい。
ドアが開けっぱなしのもあるし、空気がある程度なられてこもっていない。
ふと気がついたら大部屋の他の住人の付き添い者は
男性。。。
まぁこっちもおばちゃんだからいいか。

朝9時から撮影の予定が!
しかもセミヌード。ただし可視光線ではなくX線。
撮影は順調だが、五階から一階に行くためのエレベーターがラッシュ状態で
ちょっと遅刻。問題なし。

食事は順調、でもお通じがない。
朝から院内を自主トレで10周ほど歩いた。
スマホの歩数計で2700歩ほど。

12時前、突然リハビリの先生が実習生を伴い現れ、
病院内をぐるぐる歩いて、脈などを確認したようだ。
そこから昼食をカートから受け取り、
ダッシュで心電図の検査に出発。
これもエレベータラッシュ。
割とスムースに検査が済み、
部屋に帰って食事。
ピザトーストなのだが、
耳がカリカリではなくカチンコチン
冷めているからより硬いようで、
流石のパン好きの娘も喉を通らない。
変な味になるだろうが、
リンゴジュースをぶっかけて
ふやかして食べさせた。
ラーメンやスパゲッティの時も困る。
食事の形態は選んでいないのだけど、
こういうのは食べさせにくくて困る。
のようなことがいろいろあり母も疲れている。
薬を飲ませるために汲んであったコップの水をこぼしてしまった。
せっかく替えたばかりのシーツをまた替えてもらった。

胸の傷を触るので両手にミトンをつけて
指が使えないようにしていたが、
試しに点滴の針の入っている方だけミトンを取り始めた。
うち合わせになっている病衣では胸の傷に手が入ってしまうが、
Tシャツだと見えないので触りにくい。
さてどうなるか。

突然、ラジオを聴いていた私の後ろから声をかけられ、
振り返るとおじいさんとたくさんの若者医者たちが現れ、
何歳ですか?
25歳です。
あ、マナベです
とおじいさんが名乗る。
いわゆる教授回診。
しまった。ここは佐々木裁きよろしく、
59歳ですというべきだった。
いや、ここは寄席じゃないし、関西じゃないし、
落語をわかる人もいない。

廊下に赤い車椅子が置いてある。53というシールがあって、
よくみたら、
阪神タイガース 赤星憲広寄贈とある。
もっとよくみたら背面にサインもあるじゃないか。
ホンモンヤーー
北の大地にもあったんだ。
赤星ありがとう。
うちの子は歩けるので使わないけど。


手術した医師二人が別々の時間に現れた。
S医師が
CTの検査の結果も良い、これからするエコー検査がよかったら退院。
という。
K医師がやってきて
S先生、退院の話言ってた?
と聞く。
してたと思いますがと答える。
そういうのは医師どうして行っといてくれ。
おばちゃんは、結構いい加減にしか聞いてないよ。
不安に感じながら返答した。
K医師は入院の予定日変更の時に電話してきた人。
その時も感じたが、内向的というか、言葉が自分寄りの人で
一生懸命伝えようとすればするほど、
わかりにくくなる。
視線も定まらない。
ちょっと可愛い。コラっ!

トイレに連れて行くが、
おむつに馴染みすぎて
トイレでは出ないことが多くなっていた。
これでは困ると思いつつ、
何度もトイレに連れて行っていた。
夕方、ふと気がつくと臭い。
10日ぶりの便が登場、固くなくすんなり大量に出た。
薬のおかげなのだろう。

これまで一回ごと薬をもらっていたが、
まとめた物を受け取った。
退院のための親のための稽古のため

夜、消灯前に、珍しく悲しそうな顔をしていた。
感情が薄く、それでも理解できない異常な環境が
悲しくなったのかもしれない。
座ったまま船を漕ぎ始め、横になるように誘導したら
突然寝た
薬を間違えたのか心配になるような寝方だった。

なんのことはない、
11時には起きだし座っていた。
両手にしていたはずの抑制ミトンの
右手のが外され、
テーブルにちゃんと置かれている。
看護師が
お母さんが外してあげたのかなと思って
寝ているお母さんを起こせなくてという。
娘はちゃんとテーブルに置くという偽装工作もした。
ベッドに転がされていたら、
娘のせいだとすぐわかるのに。

朝4時、私が起きるとすでに娘は座っていて、
おそらく寝ている間の血中酸素飽和度が下がったのだろう、
酸素の管が胸元にシールで固定されていた。
家に帰ったらできないことだなぁ

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