大槻ケンヂの自己批評性~『仏陀L』ペテン師としてのロックスター
大槻ケンヂ。筋肉少女帯のヴォーカル。サブカル界の”神様”だ。
大槻ケンヂは”神様”で”教祖”であると同時に自分のことを”ペテン師”と自覚している自己批評性の高い作家/詩人である。そのへんを実際にオーケンの詩歌から確認していきたいとおもう。
まずメジャーデビュー・アルバム『仏陀L』である。デビュー・アルバムだが大槻ケンヂの世界観はもうすでに完成している。
まず収録1曲目「モーレツ ア太郎」である
ロックの「カリスマ」「天才」「神様」「生き仏」を揶揄し、「啓蒙してやれ」という歌詞である。ロックバンドが1曲目でロックバンドの「ウソ」っぷりを歌っているのである。
で、そんな『仏陀L』の最後に収録されている曲は「ペテン師、新月の夜に死す!」である。
この詩のなかで歌われている「ペテン師」とはおそらく(後々の著作から考えても)「ロックバンドのヴォーカルで詩人で作家の大槻ケンヂ」のことである。「ペテン師」は大槻ケンヂの詞のなかで度々登場する重要なキーワードだ。ここで大槻ケンヂは虚構の世界に生きる”ペテン師”の虚しさ、”夢と虚構の世界”と”「サザエさん」を見なくっちゃいけないつまらない犬の世界観”を対比させている。大槻ケンヂは夢と虚構の世界の”ペテン師”を演じているが、結局その先には何もなく虚しく死ぬだけだ……と歌っているのである。
大槻ケンヂは「犬の世界観」を嫌悪しながらも「夢と虚構の世界」の虚しさも悟っているのである。
とりあえず今日はここまで。犬の世界観にいきている僕はお母さんの「お風呂入んなさい」って言われたら入らなくっちゃいけないのである。
そういえば大槻ケンヂのデビュー時のキャッチコピーは「お母さんにパンツを洗ってもらうロックバンドのボーカル」とかそんな感じだった(ちょっと性格なフレーズが出てこない)。とにかく今日はここまで。お母さんに呼ばれてるのでお風呂に入って寝ます・
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