お母さんと生きた1年間


初めてnoteを書いた日が、2020年3月18日。
お母さんから余命5年といわれた日。

そう思うと、それから約1年後、
2021年4月10日、お母さんは57歳の若さで天国へ行ってしまった。

お母さんがいなくなるまでの1年と、
いなくなってからの1年は、
すごく辛くて苦しくて悔しくて、未だに現実じゃない気がしてふわふわしていたなと感じる。


2020年9月、お母さんは元気だったけど、
なんとなく余命を聞いて、東京から実家に拠点を移して仕事をした。

2021年1月、お母さんの体調が悪くなり始めた。

2021年2月、お母さんは食べれなくなってきて、
いつもの美味しいご飯も作れなくなってきて、

"手作りのものが食べたい"そう言ってたのに、
終わらない仕事に追われた私は何もできず、お弁当を渡し続けた。一生の後悔。
まさか、このあとそんなにも早く逝くなんて。

お母さんのレシピたくさん教えてもらうべきだった、
また食べたいなー世界一美味しいご飯、、、。


2021年3月、仕事に追われ続けたままの私。
出張先でお父さんから電話。余命3ヶ月。
意味がわからなかった。

出張から帰るとお母さんは脳梗塞を起こしてて、
お母さんじゃなくなってた。

それからは、一瞬。
仕事も休んで、お母さんの介護をしながら、
お母さんの分と一生懸命生きた。

楽しい日が続くだけ、どんどん苦しくなって。
毎日2人分の人生を歩んでるぐらい、
くったくたになりながら、お母さんと生きた。

横にいるお母さんの息が止まってないか、
毎日不安だった。


病院で"お母さんがこれからどう死んでいくか"なんて冊子渡された時は、もう意味が分からなかった。


そして、お母さんは、
家族に囲まれて、大好きなお家で命をたった。
私たちの"ありがとう"の声を聞きながら、
最後に涙を流して旅立った。


んーやっぱりまだ振り返れないなー。
亡くなる前の1年とその後の1年。


ただ、最期の1ヶ月は、特に!
誰にでも最大限の愛で愛して、愛された
"お母さんの57年の生き様"を見て、感じて、知った日々で、

お母さんが残してくれた"人生の大切なこと"を学んだ毎日だった。


ちゃんとお母さんと過ごした最後の闘いを残したいと思うけど、まだ残せないなあ。
でもいつか必ず残そう。一生懸命生きた日々!


と思いながら、
今日からお父さんとそらと、残された家族でひとつの人生のチャレンジ中!
「西日本一周旅行!」どこまで行けるかな??
まずは四国一周!!!!



大切な人と、やりたい!と思った時にやる!
悔いない人生!やっちゃえー!やってやろー!旅!スタート!


#母の死 #日本一周旅行

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