自分の身体に意識を向けるきっかけの出来事_坐骨神経痛

27、8歳の頃、坐骨神経痛がひどくなり、まともに歩けなくなった時がある。

そもそも、フットサルをしていて、右足の前十字靭帯を断裂。
断裂したまま、ごっつい膝のサポーターを巻いて、だましだましフットサルを続けていた。

ある日、フットサル中に腰のあたりから「コキュッ」っというような音がして、翌日起きれなくなった。

ここからは、トイレすらまともに行くことができない状態。

トイレまではほふく前進。
トイレでは、全体重を腕で支えて用を足す。
またほふく前進で別途に帰る。

そんな生活を1ヶ月。
当然、仕事も休んでいた。

医者からは、最低1ヶ月完全に安静と言われ、本を読むことも、テレビを見ることも痛くてできないような体をとにかく休めた。

会社もしっかり休むように言ってくれたので、とにかく回復に努めた。


1ヶ月が過ぎた頃、再度、病院で診てもらったが、もう2週間様子を見たいというようなことを言われた。
この時、久しぶりに立ったのだが、こんなに高い目線って高かったっけ??と思うくらい、ちょっと高すぎて怖くらい、地面が遠く感じた。
すっかり、地面の高さに見慣れてしまったようだ。
そんな少し良くなってきたくらいの状態にも関わらず、僕は翌週から会社に復帰した。
そもそも、会社の空気的にも、もう休めないものを感じ、時々走る激痛に耐えながら仕事を開始する以外の選択肢は正直なかったように思う。


そんな状態で回復するはずもなく、気合と根性で2週間仕事にいったが、3週目には、また歩けなくなってしまった。


普通に歩くこと。
立ったり、しゃがんだりすること。
階段の上り下り。
満員電車に揺られても、体勢を保つこと。
椅子や便座に座り、また立つこと。

今まで、なんともなかった動作すべてが、難易度の高いものになって、僕は初めて、健康な身体に憧れ、動かない身体がどこまで動いて、どこからは動かないのかの感覚と向き合った。

同時に、身体が動くことが、どれだけ幸せなことだったのかを知った。

僕はここから更に1ヶ月仕事を休むことになる。


2度目の安静期間も終わろうかという頃、会社から通知が届いた。
内容としては、次回倒れて仕事できなくなったら会社を辞めてもらいます的な内容。

特に、時代としても、不景気な時代だったこともあり、心身ともに、この通知は脱力感しかなかった。

が、

自分の中で、「もう倒れなければ何の問題もない」っということに気づき、仕事復帰後も、身体最優先。
とにかく倒れなければOK!
というゴール設定に切り替え、毎日を過ごした。


きつい時は、公衆トイレに寝そべって腰を伸ばした。
帰りの電車は、どんなに時間がかかっても、身体に負担が少ないことを優先した。

ちなみに、家族のサポートもあり、その後は一度も倒れていない。
それどころか、坐骨神経痛も改善し、元気だ。

歩くことも、走ることも、飛び跳ねることだってできる。

ただ、倒れる前と違うのは、そんな状態に感謝し、もう失わないように、定期的に身体に意識が向き、最悪の状態だけはならないように気をつけるようになったこと

当たり前過ぎることに気づくのは、なかなか難しい。
僕は、一時的に失ったことで、気づくことができた。


当時は終わりのない地獄に思えた。

痛みが取れるまで、なんだかんだで3年くらいかかった。

間違いなくしんどかったし、もう経験したくない。

でも、この経験は結果的に、身体に対して、丁寧に時間をかけて意識を向けることが出来たので、結果的には僕の人生の中ではプラスになる出来事だったように今では思っている。

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