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【筑波での4年間を振り返って】#2 関 尭祐

こんにちは。

2023シーズンで副キャプテンを務めていました。関 尭祐(せき たかすけ)です。
今回、卒業ブログを書くことになり、4年間の大学生活を振り返ろうと思います。

4年間の大学生活を終えて、筑波大学に入学することができて良かったと心から思います。筑波大学に入学できたことで、充実した学生生活を送ることができ、心身ともに大きく成長することができたと実感しています。ちょうどこの言葉を監督である藤本先生宛の今年の年賀状に書きました。筑波大学で学んだ全てのことは、僕にとって大きな財産であると感じています。まずは筑波大学に入学するまでの経緯を簡単に書きたいと思います。

僕が高校3年生の10月に高校の監督から筑波大学に挑戦してみないか?と問われました。僕は法政二高に通っており、法政大学に進学しようと考えていたため、かなり驚きました。推薦入試は1ヶ月後の11月にあり、必ず合格する保証はないこと、落ちた場合は法政大学の志望する学部に進めなくなること、日本代表経験者が殆どの筑波大学の推薦枠に、インターハイの出場を逃した僕が入って良いのかなど、多くの不安がありました。出願期限が近く考える時間も短い中、深く悩みました。筑波大学出身の法政二高の先生から貰った「できるかどうかじゃなく、やるか・やらないかだろ」という言葉に背中を押され、推薦入試に挑戦することに決めました。その結果僕は筑波大学に入学することができました。

大学4年の夏に藤本先生と当時の話をした時に、通常推薦入学する選手は事前に監督と会って話をすること、入試当日に初めて会う選手は僕が最初であることなどをお聞きしました。例年推薦は3人とっているが、僕の代は2人でも良いと考えていたことや、入試で僕を見て選んでくださったこと、関が入ってくれて良かったという話を聞き、とても嬉しかったです。

入学した1年生の時はコロナの影響で大学施設は使えず部の活動はオンライントレーニングで行うなどの状況でした。そんな状況でも4年生は弱い姿を見せずにチームを引っ張ってくださっていました。春秋リーグは十分にできず、インカレも開催されない状況でした。自分が4年生になってチームを引っ張る立場になり、当時の4年生の凄さを改めて実感しました。

2年生になって少しずつ試合に出場できるようになりました。3枚目のDFで矢野世人さん、藤川翔大さんに、ピヴォットとウエイトトレーニングで朝野翔一郎さんには大変お世話になりました。優しく・厳しい指導のおかげで上達することができました。インカレ準決勝の中央大学戦は鮮明に覚えています。翔一郎さんの代わりを僕と同期の神頭でやることになり、「やるしかない」という気持ちで臨みました。しかし実力不足で敗戦してしまい、インカレ優勝に届きませんでした。本当に悔しかったです。試合後に神頭と「来年こそは必ず優勝する」と誓いを交わしました。

2年生でのインカレ

3年生の時から神頭とDFリーダーを任され、相手のスカウティングや全体へのコーチングなどに取り組んでいました。この時はテーマが「ワクワク、楽しむ」で4年生が真剣に楽しむ雰囲気を作ってくれて、例年とは違ったチームになりました。春リーグの目標はメンバーが全員得点して優勝することでした。春リーグが始まり、接戦が多かったですが前年の冬から積み上げてきた力を見せつけて8勝1敗の過去最高成績で優勝することができました。メンバー全員得点するという目標も達成することができ、個人的にも優秀選手賞を取ることができて嬉しかったです。4年生がとにかく優しく、僕達後輩の指示を聞いてくれることや、リーダーシップを発揮しやすいように環境を整えてくれていました。

3年生の春リーグで優勝

秋リーグは3位に終わり、インカレに向けて今一度気を引き締める良い機会になりました。その後10月に国体があり、試合中に怪我をしてしまいました。痛みが強く1ヶ月後のインカレに間に合うのか不安が大きかったです。国体で僕を含めて3人も怪我人が出てしまい、チームも不安定だったと思います。リハビリに全力を注ぎ、装具をつけて試合に出場することができるまで回復しました。しかし、インカレ前の練習に3回ほどしか参加できず、コンディションは悪いままインカレに臨みました。結果は準々決勝で大同大学に敗戦しました。怪我によるコンディションを整えることができなかったこと、大好きな4年生と優勝できなかったことが悔しかったです。自分たちが最上級生としてチームや後輩を牽引しなければならなくなり、4年生の存在の大きさを実感し、寂しい気持ちもありました。

4年生になってからは就活が本格化した時期と、教育実習が重なり、ハンドボールに重点を置くのが難しくなりました。そんな中、肉離れの怪我を発症し、癖になってしまいプレーもあまりできなくなってしまいました。そのため春リーグでは殆ど試合に出られずに悔しさを感じていました。出られない中で何かチームに対してできることはないかと考え、試合中に応援席からコーチングに注力しました。同期や後輩達が素直に指示を聞いてくれることがありがたかったです。ジェイネットTVの音声に関の声が入っていることや、試合中でも僕の声はよく聞こえるとみんなに言われました。少し恥ずかしく、嬉しい気持ちでした。秋リーグの前半は時間制限の中試合に出ることができました。久しぶりの試合は少し緊張しましたが、見ているのではなく、実際にコートの中でプレーする楽しさを思い出しました。後半から出場時間も長くなり、チームに貢献できた実感が得られたことや、中央大学に公式戦で久方ぶりに勝つことができて嬉しかったです。最終結果は7勝2敗で優勝することができ、インカレに向けて良い流れを作ることができました。昨年の反省を活かし、コンディションにはかなり注意しました。佐下橋トレーナーに頻繁に状態を診てもらい、コンディションを整えました。佐下橋さんのおかげでインカレ5連戦を戦い抜くことができました。ありがとうございました。

インカレでは初戦から昨年負けた大同大学が相手で万全な対策と気合いで臨みました。対策していたことがハマり、無事に初戦突破することができました。良い流れで2回戦を突破し、3回戦で福岡大学と対戦しました。福大戦では相手GKの好セーブに阻まれ、競る展開が続きました。後輩達が熱くなるのを必死に落ち着かせる役割に徹しており、ほぼ「焦らないよ」しか言ってなかった気がします。左バックの後輩の調子が悪く、僕が代わりで出場した時では、後半の佳境の場面でも冷静に頭を働かせることができ、京にきっかけを提示したりすることができました。僕は熱くなりやすいタイプで、4年目にして初めて冷静に試合に入り込むことができました。試合は大浦が点を取りまくってくれて、エースとしてチームを勝たせてくれました。来年も弾丸左腕に期待しています。

最後のインカレ

準決勝では立ち上がりでミスがあり、流れが悪くなってしまいましたが、朝野、所の両サイドがシュートを決め切り良い流れを引き寄せてくれました。また、相手GKが7mスローを仕掛けてきたことが強く印象に残っています。アフリディが堅実に止めて、朝野がエンプティゴールを沈めたプレーを見て心が熱くなりました。決勝では僕達の攻撃が相手に上手く守られてしまい、リードすることができず、地力の差を見せつけられ、敗戦してしまいました。日本一になるべきチームという目標を掲げ、1年間取り組んできましたが、あと一歩届かず悔しかったです。日本一になることは、簡単なことでは無いと改めて思いました。

インカレでの同期写真

僕達に向き合い、寄り添ってくれた藤本先生や加藤さんをはじめとするスタッフの方々、ともに4年間困難を乗り越えてきた同期、苦しい時に支えてくれた頼もしい後輩や、インカレ期間中に殆ど寝ずにモチベーションビデオを作ってくれた後輩達、そしていつも応援してくれた家族・保護者の方々、本当にありがとうございました。来年は今年よりも良いチームを作って優勝して欲しいですね。大山を中心に頑張ってくれ!応援しています。

筑波大学での学生生活はとても楽しく、充実した4年間を過ごすことができました。筑波大学に入学して良かったです。ここまで応援し支えてくれた家族のみんな、ありがとう。また、筑波大学で関わったすべての人に感謝を伝えたいです。ありがとうございました。

関 尭祐

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