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東、西はなく人の心「ゲットバック」

吉備津神社と桃太郎伝説.2
吉備津神社、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社(名神大社)備中国一宮。

鬼退治 桃太郎(キビ団子はたたら、だった)

桃太郎の昔話が一般的に認知された結果、日本各地には「桃太郎のモデルとなった土地である」と語られている土地が多数あり、そこには各々「鬼ヶ島のモデル」とされる場所が見られる。

モデルとされる地においては、必ずしも島(離島や河川の中州)などであるとは限らず、岡山県の例のように山が挙げられている例もある。
これらの多くは、主として近代以後に郷土伝説の顕彰あるいは観光の目的で各地でクローズアップされたものであり、桃太郎の昔話そのものは広く全国に存在するためどれが唯一特定のモデルであるかについては別の問題である。女木島(香川県)

鬼ヶ島、鬼が島(おにがしま)は、日本の昔話や物語文学、説話文学などに登場する、鬼が住んでいるとされる島。昔話では、桃太郎や鬼の子小綱などに登場しており、特に桃太郎に登場する鬼ヶ島が一般に広く知られている。

鬼たちが居住しているとされる想像上の島で、鬼の所有している不思議な力をもつ宝物をはじめとするさまざまな財宝があるとされる。海に囲まれた島であり、舟を用いた移動が挟まれる点が特徴である。

昔話の「桃太郎」では鬼たちの本拠地として登場する。鬼たちが住んでおり、鬼退治に向かう桃太郎たちの目的地となっている。おなじく昔話の「鬼の子小綱」でも鬼の故郷として登場することもあるが、「桃太郎」にくらべると一定しているわけではなく鬼の家のある場所は単なる「山」であったり、山にある「鬼の岩屋」と語られてる例も多い。

明確な位置情報は語られないことがほとんどで、昔話の多くが「あるところに」と語られるのと同様、どこに位置しているかが触れられる機会は乏しい。

明治期以後の児童向けの絵本などでも一般的には岩で出来た島で、鬼の要塞としての門や砦が築かれていると想像されるのみである。描かれる門や砦などのイメージは「酒呑童子」(しゅてんどうし)などで親しまれていた画様と共通しており、それぞれ厳重な門、立派な御殿として描かれることが多い。

日本各地の伝説や昔話で、鬼の住んでいるところとして登場するものの多くは山や森、岩屋などであって、海をへだてた「島」であると明確に設定されている例は、「桃太郎」や「百合若大臣」など異なる土地への移動をともなう展開が登場するものにしか濃厚には見ることは出来ない。
役割としては、龍宮などが鬼ヶ島には近い環境の異境であるといえる。北海道の十勝アイヌに語られていた昔話の中に「オムタロ・シタロ」(オムは「股」の意)という桃太郎に似た内容の話があり、鬼ヶ島も登場するが、柳田國男は日本人から移入されたものであろうとしている。

鬼たちの存在する島が海の先にあるという描写は、軍記物語などに収録された説話にも見られ、『保元物語』には、鬼島(「おにがしま」と読まれる。本文の見出し以外では「鬼が島」や「鬼の島」とも表記されている)として登場している。
源為朝が鬼の子孫であると称する島人と会話をし、隠蓑(かくれみの)、隠笠(かくれがさ)、浮履(うきぐつ)といった神通力を有する宝物を所持していることが描写されている。この鬼ヶ島は、青ヶ島の古名であるとされる。

軍記物語に見られた源為朝の鬼ヶ島についての記述は、室町時代の御伽草子に収められた「一寸法師」の物語に登場する一寸法師が姫と共に嵐に遭って鬼たちの住む島に漂着する展開(昔話の一寸法師で語られることは無い)や、『御曹子島渡』、「百合若大臣」の物語にも影響を与えていると考えられている。
源義経(御曹子)のたどりつく島のひとつ「千島の都」には様々な鬼がいたり、百合若のおもむく鬼たちの国も「鬼ヶ島」と称されて語られたりもしていた。

きびだんごとの関係

桃太郎における黍団子を「この世の竃(かまど)の飯」(あの世の竃の飯を食すとあの世へ行くのに対し、この世につなぎ止める飯)とする風習に照らした場合、鬼ヶ島という異界・あの世に行くに当たり、桃太郎の生命力を強化し、この世側に結びつけ、あの世=鬼ヶ島で迷わず、帰って来られる力を発揮させるものだったのではないか、と考察されてもいる。
この世の食物を異界(あの世)に持って行くという点では、『鼠浄土(おむすびころりん)』や『地蔵浄土』も同じで、食物の力に頼る(あの世で迷わないための鍵としての)類型といえる。 引用文締め

ここまで、関係資料提示して、「鬼と桃太郎」を探ってみたが、あっちもこっちも、どれも確信に触れていない。
というのも、長い間の伝説が地方によってローカル脚色され、「おらが村」類型伝説が、全国に知れ渡った、そんなことでしょう。確証はありません。

そんな隔靴掻痒の、指先がかゆいまま一晩寝たのですが、おかしなことに、「夢の中」で音楽がなってそれが「ゲットバック」(ビル屋上演奏)でした。

まったくそれに心当たりもなく(夢の本質)今朝、その「ゲットバック」聴くのに三時に起きて、パソコン起動しました。

真冬ビル屋上の白い吐息を吐きながら歌うビートルズ本人の「ゲットバック」(訳詞 高級車で地元帰る 豪邸だっていつか買える 悪ガキが今はラッパーだって ダチと飲んだ缶ビールがヤバい~) 筆記引用

ああ~、そうだったんだ、と「ゲットバック」しかないよなと。まさに「明鏡止水」のゆめ心地。人間は、それしかない。

死んだ子の歳を数える、すでに鬼籍して長いのに死んだはずの父と母が楽しそうに会話している~、何人もいた姉の名が思い出せない、ああ、姉たちはオレを愛していたんだ、と。

音楽は地球三秒で瞬間転送

それで全部の難問が解けた、気がしました。片や、世界のイギリスビックアーティストが、地元観客を相手に、屋上から流すライブ「ゲットバック」、「おーーおいうるせえ、いま何時だとおもッてるんだこのクソやろう、止めないとお回り呼ぶぞ」
それをみてジョージがビルの向こうに応える、ヘーイ、ロックンロール。

そんな生活がこの地球上全部でやっている。だから「ゲットバック」なんだとジョン・レノンが歌う。その距離が問題でなく、テレパシーを同調する受信機を常に磨いているか、それだけの話しでした。

鬼の正体を見抜いた「モモ太郎」

この御伽噺「桃太郎」は、すがたカタチを変えた、東征だったのです。もっと判りやすく云うと、昔から伝えられていた物語の「勧善懲悪」プロットをより鮮明にするための演出脚色で、観る人読む人を楽しませるためのエンターテイメントに腐心した物語、と云うことができるでしょう。

モデルとして語られる伝説地

桃太郎の昔話が一般的に認知された結果、日本各地には「桃太郎のモデルとなった土地である」と語られている土地が多数あり、そこには各々「鬼ヶ島のモデル」とされる場所が見られる。モデルとされる地においては、必ずしも島(離島や河川の中州)などであるとは限らず、岡山県の例のように山が挙げられている例もある。

これらの多くは、主として近代以後に郷土伝説の顕彰あるいは観光の目的で各地でクローズアップされたものであり、桃太郎の昔話そのものは広く全国に存在するためどれが唯一特定のモデルであるかについては別の問題である。

女木島(香川県)

香川県高松市では、高松港の沖合い約4kmの瀬戸内海に浮かぶ女木島を鬼ヶ島のモデルであるとしている。桃太郎は稚武彦がモデルであるとされている。詳細は「鬼無#桃太郎伝説」を参照

可児川の中州(岐阜県)

木曽川中地域(愛知県・岐阜県)では、岐阜県可児市塩字中島の可児川(木曽川支流)にある中州が鬼ヶ島のモデルであるとしている。

河川の中州であるが、約2000万年にこの付近に存在した火山の噴火で発生した火砕流でできた凝灰角礫岩でできた島である。かつて山賊の住処であったと推測されている。詳細は「桃太郎神社 (犬山市)」を参照

鬼城山(岡山県)

岡山県総社市・岡山市では、総社市東部にある鬼ノ城という城が築かれた鬼城山という山が、鬼ヶ島のモデルとされている。

温羅(うら)という大男の居城で、それを退治した吉備津彦を桃太郎のモデルとなった伝説であるとしている。同県は、桃太郎(=吉備津彦)が県のマスコット的な位置付けになっていることで知られる。

詳細は「鬼ノ城」および「吉備津彦命#神話での記述」を参照

鬼ヶ島の登場する作品

創作における鬼ヶ島は、桃太郎を題材とした娯楽作品に主として登場している(昔話の桃太郎とその派生作品については、桃太郎の項を参照)。そのほか、源為朝を題材とした作品にも登場することがあるが、これは為朝に関する伝説および『椿説弓張月』を題材としたものに見ることが出来る。

鬼ヶ島宝の山入(おにがしまたからのやまいり)

桃から生まれた山蔭桃太郎が鬼夜叉を退治する筋書き。鬼ヶ島は鬼夜叉たち悪鬼の居場所として登場する。

初宝鬼島台(はつだからおにがしまだい)

十返舎一九による黄表紙。桃太郎の鬼ヶ島の鬼たちが主として描かれる。

椿説弓張月

曲亭馬琴による読本。『保元物語』の為朝が鬼島に赴いた部分を活用している。為朝が遠征した青ヶ島に比定されている。

あの有名な鬼ヶ島は実在した?日本にある鬼ヶ島と呼ばれる場所

access_time 2022/01/02 07:00 ガジェット通信 https://getnews.jp/archives/2618281

鬼ヶ島(島根県 隠岐)

島根県にある「隠岐の島(おきのしま)」は、島全体が鬼ヶ島であったといわれています。実際、隠岐の島には「鬼ヶ島」という島や「鬼」のつく地名も存在しています。隠岐の島は「黒曜石(こくようせき)」の産地で、石器時代には様々な石器の原料として重宝されました。

しかし、「黒曜石」は取れる場所が限られ貴重な資源だったため、隠岐の島は当時宝の島であったと考えられていました。さらに隠岐の島の「黒曜石」は、朝鮮半島やウラジオストクの遺跡などからも出土しており、かなり流通していたのではないかと考えられます。

もしかすると、隠岐の島に黒曜石を取りに行った日本人が、同じく黒曜石を求めて訪れていた体の大きな外国人を見て「鬼」と表現したのかもしれませんね。

大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代)ウイキペディア

石見神楽とは?【はまナビ】
石見神楽の起源は定かではなく近世以前とされていますが、文化文政期の国学台頭とともに古事記・日本書紀を原拠とする神話ものが加わり、演目も豊富で極めて多彩です。

往時、神の御心を和ませるという神職によっての神事であったものが、明治政府から神職の演舞を禁止する達しが出たことにより、土地の人々の手に受け継がれ、民俗芸能として演舞されるようになりました。そのリズムは、石見人の気性をそのままに、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛を用いての囃子で演じられ、見る人を神話の世界に誘います。

また、石見神楽はその詞章に特徴があります。荘重で正雅な古典的なその言葉は、里神楽には極めて稀だといわれており、その中に織り込まれた土の香りの高い方言的表現、素朴な民謡的詩情とともに独特のものをつくりあげています。

2019年5月20日、島根県西部(石見地域)で伝承される神楽をテーマにしたストーリー「神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~」が日本遺産に認定されました。ストーリーを構成する文化財として、石見神楽と大元神楽、そしてそれぞれに関する史跡、伝統芸能、伝統工芸品など52の文化財が認定されています。

鬼は、大和朝廷を脅かす吉備国の大王か

吉備津彦命と温羅がいよいよ一戦を交える時がきた。「温羅退治伝説」はさらにこう続く。

「(温羅は)戦うこと雷のようにその勢いはすさまじく、豪勇の吉備津彦命もさすがに攻めあぐねた。命の射る矢は不思議なことにいつも温羅の放つ矢と空中で絡みあい、海へ落下。そこで命は神力を現し、強力な弓を持って一度に二本の矢を射た。一本は岩にあたり落下したが、一本は温羅の左目にみごとに命中し、血潮がこんこんと流水のようにほとばしった…」。

矢が刺さった温羅の目から流れ出た血は瞬く間に川となる。鬼ノ城山の麓を流れ、足守川に合流するその川の名は「血吸川[ちすいがわ]」。温羅はたまらず雉[きじ]と化し山中に隠れるが、吉備津彦命は鷹となり後を追う。すると温羅は鯉に姿を変え血吸川へ逃走、命は鵜に化身し温羅を捕らえる。そして、命はついに降参した温羅の首をはねる…。鬼をみごと成敗し、めでたしめでたしで“おしまい”となるはずの桃太郎話だが、「温羅退治伝説」にはまだ先がある。

はねられた温羅の首は、その後何年も恐ろしい唸り声を発し、その声は辺りに大きくこだました。吉備津彦命はその首を犬に食わせるよう犬飼健命に命じ、首は髑髏[どくろ]となったが、それでも唸り声は止まない。そこで吉備津彦命は、吉備津神社御釜殿の床下に髑髏と化した首を埋める。しかしその後も「13年間唸り止まず」と『吉備津宮縁起』には記されている。ところがある夜、夢枕に温羅の霊が現れ、吉備津彦命にこう告げた。「吾が妻、阿曾姫[あぞひめ]をして釜殿の釜を炊かしめよ。もし世の中に事あれば、釜の前に参り給え。幸いあれば裕[ゆた]かに鳴り、災いあれば荒らかに鳴ろう」。お告げどおりにすると、なんと唸り声は鎮まった。

以降、吉備津神社では「鳴釜神事[なるかましんじ]」が行われるようになる。鳴釜神事はじつに不思議だ。厳かな空気漂う御釜殿には大きな鉄釜が据えられた土の竃[かまど]があり、巫女が甑[こしき]に少量の玄米を入れ、片手で玄米を蒸すような仕草をする。そして、神官が祝詞をあげるとやがて、目の前の鉄釜が唸りはじめ、御釜殿は大音響に包まれる。その音の響きで吉凶を占う。つい最近まで、この神事を司る巫女は阿曾姫の里、鬼ノ城山麓にある阿曾郷出身の女性に限られていた。

かくして、温羅を征伐した吉備津彦命は長きにわたり吉備国を統治した。この吉備津彦命と犬飼健命、留霊臣命、猿田彦命が桃太郎と従者のモデルというわけだ。桃太郎こと吉備津彦命は、吉備中山の茶臼山御陵に今も眠っている。

桃太郎は吉備津彦命。鬼は人知の及び知れないもの、隠れたるもの、すなわち外敵。「温羅退治伝説」を古代史と摺りあわせると、勢力拡大をもくろむ大和朝廷にとって、吉備国の大王は脅威なる「鬼」だったに違いない。そこで、吉備津彦命が吉備国制圧に起ち、吉備国を平定した。吉備津彦命亡き後の律令制による吉備国分国は、強大すぎた勢力の分割とは考えられないか。しかし奇妙なことに、吉備津彦命を祭神とする吉備津神社は、敵[かたき]であるはずの温羅も大切に祀っている。温羅は決して悪行、乱暴を極めた暴君ではなく、国に高度な技術を伝え導き、繁栄をもたらした大王として、吉備の民から広く敬われる存在だったのではないだろうか。

『おかやまの桃太郎』を著した市川氏は話す。「桃太郎を古代史に関わる伝承や資料に基づいて検証してみると、調べるほどに吉備津彦命が桃太郎のモデルとされた根拠が出てきます。しかし、この話を通して私が多くの人に本当に伝えたいことは、吉備の深い歴史や文化です」と。

こうして吉備路を歩き、吉備の伝承や史跡、文化に触れながら桃太郎伝説を辿ると、桃太郎はやはりこの地に“実在した”という気になってくる。

吉備津神社本殿。吉備国の総鎮守で創建は飛鳥時代とされるが定かでない。現在の神殿は1425(応永32)年に再建された。本殿には吉備津彦命が祀られている。屋根を2つ持つ「比翼入母屋造[ひよくいりもやづくり]」の様式は全国でも珍しい。

吉備津神社の参道を突きあたったところにある「矢置岩」。吉備津彦命が温羅の放った矢をつかみ取り、この岩の上に置いたと伝わる。

備中神楽の『吉備津』。

吉備津彦命と温羅の戦いを描いた舞。温羅が降参し、吉備津彦命に吉備3カ国の系図を渡す場面。
https://kankou-hamada.or.jp/kagura

画像 吉備津神社に祀られる鬼面(鎌倉時代)。本殿の「丑寅(鬼門)」の方向に祀られ、祭神吉備津彦命を護っている。(吉備津神社蔵/写真:岡山県立博物館)



岡山県立博物館


鬼(おに、英語: Oni)は日本の妖怪。民話や郷土信仰によく登場する。

日本語では逞しい妖怪のイメージから「強い」「悪い」「怖い」「大きな」「物凄い」といった意味の冠詞として使われる場合もある(鬼 (曖昧さ回避)も参照)。
「~の鬼」といった用法も見られる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』

この日本の鬼は、他国では存在しない。筆者

岩見銀山の詳細
温羅(うら/おんら)は、岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の鬼
温羅とは伝承上の鬼・人物で、古代吉備地方の統治者であったとされる。「鬼神」「吉備冠者(きびのかじゃ)」という異称があり、伝承によると吉備には吉備津彦命(きびつひこのみこと)が派遣され退治されたという。

伝承は遅くとも室町時代末期には現在の形で成立したものと見られ[3]、文書には数種類の縁起が伝えられている。また、この鬼退治伝説は桃太郎伝説の原型に当たるとの説もある。

石見銀山通信 石見銀山ガイドの会公式ブログ
石見のたたら(1)出雲と石見のたたらの違い
2023.07.24 Monday https://iwami-gg.jugem.jp/?eid=4989

 たたらと言えば、奥出雲のイメージが強いが、石見にもたくさんのたたら場があったことは意外に知られていない。
江戸時代の終り頃には生産額でいえば、石見の方が出雲を上回っていた時期もあった。出雲のたたら(山間部で生産されるので、「山のたたら」と呼ぶ人もいる)で生産される製品は、鋼(はがね)と銑(ずく)であったのに対して、石見では銑(ずく=鋳造品材料)が中心で鉧(けら=鍛造品材料)も産出した。

石見銑(いわみずく)という鋳物用銑鉄のブランドで市場では高い評価を受けた。しかし、浜田藩では元禄5年(1692)領内で鋼と鉧を生産するよう命じているので、事は単純ではない。石見のたたら場は主に邑智郡と那賀郡に多く存在した。江川とその支流に分布し(「川のたたら」と呼ぶ人もいる)、江川周辺の経済を支えた。浜原、川本、江津などの江川沿いの町々はそのたたら産業で栄えた。

 石見のたたら場は邑智郡、那賀郡内ばかりではなかった。実は石見東部の沿岸部にも江戸時代以降多く存在した(「海のたたら」と呼ぶ人もいる)。
東から越堂(出雲市多伎町)、百済(鳥井町)、静間、古浦(五十猛町)、宅野(仁摩町宅野)、湯里、日祖(温泉津町)などなどである。たたら製品の市場が大坂や九州、北陸方面などの遠隔地であって、重量が大きい砂鉄原料、木炭、製品の輸送を海上輸送に依存することからその立地(=沿岸)が選ばれた。石見のたたらと出雲のそれとの違いは製品の違いだけではなかった。経営主体の性格も異なった。出雲では松江藩の保護の下に鉄山師(かなやまし)と呼ばれる少人数の経営者がたたら場を経営した。すなわち、櫻井家(上阿井村)、絲原家(大馬木村)、杠家(同)、卜藏家(竹崎村)、伊豆屋家(亀嵩村)、田部家(吉田村)の6家に限られていた。

日刀保たたらの様子(奥出雲町)

 これに対して、石見では中世の土豪的な鈩師に起原があると言われるが、在郷の有力者が民間事業として創業し営まれた。出雲のように藩主の保護下で特権を持った鉄山師によって営まれたのではなかった。また、そこに廻船商人がその事業に大きくかかわったことが石見の特徴だった。つまり、廻船商人がたたら製品の販売を請け負いその販売ネットワークを駆使して販路を拡大していった。これによって、大坂、九州、北陸など全国に販売できた。加えて、石見では、たたら経営に石見銀山の存在が大きく関係していた。(記事部分引用)


画像 映画「Get Back」〜ゲット・バック・セッションが始まった(350) - ☆ビートルズを誰にでも分かりやすく解説するブログ☆
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次項 まとめ といたします (これに関する資料があったらコメントください)。

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