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51年のブランクがよみがえった山形庄内に伝わる神楽笛

たそがれ清兵衛という剣客(キャラ)は日本のどの世代に琴線するか?


いまから22年前の昔に作られた映画は、今世紀最大といわれた「将軍」(ディズニープラス)の伏線だった気がするのでした。

ですからその年に生まれた世代は、22歳の成人に成長して、云ってみれば今風のナニナニ世代として括られるわけです。としても昔の話し(映画)ですから、スマホ一辺倒で時代劇は見ない、という人だっているのは当然です。

われわれ世代だったら、江戸時代劇を見て共感し納得し、涙する、それが人の琴線に触れるということです。

まあ、それ狙いのプロットもありますが~。先日観た「それからの忠臣蔵」なども、全編涙なくして語れないストーリーに、今どき『隠し子・可音』(桜庭ななみ)は、いまでも元気で家庭を守っているのだろうかと、これを書きながら今でも心配してしまいます。

そうした感情の起伏を22歳世代が持つだろうか、という杞憂とか危惧は、やはり老婆心といいますか、心配してしまうのですが多分そんなことは無いとおもいます。

それとは別に今どきニュースは、やれEV車が粗大ごみ化して、雪に埋もれたゴミの温暖化対策は、EV戦略の方便であって、火力発電で電気を輸出して稼ぎ、それでガソリン車廃止、EV車を推進するという「魔法の薬」がただの砂糖水だった、というウソのような嘘話が現実化して、世界は大混乱、それに乗じてアメリカ選挙も、まったくカオス状態で、誰がなにを云っても信用できないという世界インフラになっているようです。(と云ってもYouTubeとか一部SNSとかで、ごく一部というのが救われます)

それで話をその映画の江戸(清兵衛は南部岩手盛岡)時代の再現風景を見ながら、昔の人は、そんな清貧極貧をしのいで生きていたと共感するのです。(たそがれ清兵衛時代考証 山形県庄内地方の藩 でした訂正いたします)

現代の暮らしと比較してみると物量においては半分以下、ややもするともっと低いと推定できますが、映画で扱う階層は富裕(大名クラス)ですから、それだけで庶民感覚とはズレがある。

国の世界が変わるタイミングというのは、統治者に対して謀反し、革命蜂起することであり、世界の皇帝貴族君主(その中で生き残った御用達セレブ相手商人)らは、そのような政局大事に至り、その民衆パワーで崩壊しています。世界で唯一、それがなかったのが日本、だといわれます。

今個人的に鎌倉時代を扱かってますが、多く古文書「吾妻鏡~」は、戦争勝者による記録であり、敗者の弁など入る余地はありません。

そのことは近代戦争日本敗戦でGHQによって憲法布告されたことでも理解できるでしよう。
ただ一つ、その反対の敗者弁明としての古文書「古語拾遺」がありますが、ここで説明するには余裕がありませんので、知りたい方はウイキペディア検索で調べてください。

ですから温故知新というのは、今でも通用する教えで、その一つ二つを探すことでも、時代考証ができることもあるのです。

私がライフワークとしている「雅楽」「神楽」は、殆ど1300年前からの伝承とされていますが、それらは話であって、今自分が笛を吹く、というのは紛れもない現代音楽なのです。

と想ってましたが、冒頭「たそがれ清兵衛」でやっていた1シーン、南部地方伝承の「神楽獅子舞」の村祭りを見せる数分のシーンがありました。

獅子舞は日本全国に伝わる一般的な舞と拍子ですが、それぞれ異なる音階と旋律があって特徴があります。ですから同じものが日本に二つとない。

楽器は笛、太鼓、三味線が標準ですが、私が気になったのは、笛の旋律で、調子の異なるメロディが二本(二人)の笛で鳴ってるという奏法でした。

この場合の、洋楽移調とは本質的に異なり、ピッチが違う二本の笛が、同じ旋律で異なるキーで同時に演奏するという奏法を探りみつけたのです。(笛の調律は地方によって伝承年代によってもピッチ差がでることもある)
何故、それが判ったかというと私のやっている「神楽」がまさしく、その奏法だったのです。誰がそれを演奏していたかといったら、われわれの師匠であり、すでに全師匠は物故者となりました。

それは洋楽ユニゾン奏法とは違い、二人の音程が違うので、少しでも狂うと、不協和音となるので、調子はずれになりますが、一糸乱れぬ演奏であると、それがあたかも、一つの曲として鳴っているわけです。
その奏法に付いては師匠に伝授されなかったので、知ることもなし今でも演奏しません。(高度奏法の為ムリ)その南部神楽獅子舞演奏を聴いて、咄嗟に師匠の吹いている二つの笛がよみがえったのです。
それを知るのに私は51年もかかりました。

続編 資料探し




■参考資料 演奏者が演奏で読んでいる楽譜の音程と実音とが異なる音になります。このような楽器を「移調楽器」と呼びます。D管以外のティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートは、すべて移調楽器です。たとえば歌手と演奏する時、原曲の調ではその歌手の声域に合わない場合があります。そんな時にたくさんの調子の楽器を用意しておけば、同じ楽譜を使い、同じ運指で演奏しながら、歌手に合わせてどの調でも対応できるようになり便利なのです。(洋楽限定) 
参照「ケルトの笛やさん」 日本笛の場合5本、6本、7本調子


『たそがれ清兵衛』は藤沢周平著の連作短編時代小説集。1983年から1988年まで『小説新潮』に掲載された8篇の短編小説を収録し、1988年9月に新潮社より刊行された。

いずれも世間ではあまり評判が良いとは言えないあだ名・容貌を持つ下級武士を主人公とし、彼らが外観とは異なり切れの良い剣の腕前を披露する展開を描いている。
本書表題作の「たそがれ清兵衛」と「祝い人助八」、ならびに「竹光始末」(『竹光始末』収録)の短編3篇を原作として、山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開された。

たそがれ清兵衛

筆頭家老の堀将監は、能登屋と結託して専横を極め、自分に批判的な藩主の交代まで画策していた。堀に対立する家老杉山頼母らは、上意討ちを決意して、討手に無形流の達人である井口清兵衛を選出した。ところが清兵衛は、病弱の妻奈美の世話のため、下城の合図と共に同僚との付き合いも断ってそそくさと帰宅し、昼間は介護疲れで居眠りをすることもあることから、夕方になると元気になるという意味で、「たそがれ清兵衛」と陰口をたたかれていた。最初、妻の介護を理由に上意討ちを断わろうとした清兵衛であったが、妻の療治への援助の約束と、決行は妻を介護した後でよいという条件を示され、ついに上意討ちを引き受ける。そして、予定通り執政会議の席で堀を切り捨てた。

上意討ちの褒美として、名医による治療と転地療法を施すことができ、奈美もみるみる回復していった。しかし、堀の股肱であった北爪半四郎が清兵衛の命を狙っていた。

うらなり与右衛門

三栗与右衛門は、無外流道場の高弟という剣の腕を有していたが、顔が青白くて細長く、あごがちょっとしゃくれていて、へちまのうらなりを連想させるため、陰で「うらなり」と渾名されて軽んじられていた。

あるとき、その与右衛門に上司の後家との艶聞が立ち、20日の遠慮処分が下される。それは、藩内に起こっている勢力争いに絡んで、密かに家老長谷川志摩の警護役を務めるはずであった与右衛門に対する罠だった。はたして長谷川家老は刺客に襲われるが、与右衛門の親友中川助蔵と、急遽代理で警護に就いた白井甚吉の奮闘により家老の命は守られる。しかし、手傷を負った助蔵は命を落としてしまった。

権力を掌握した長谷川家老によって、反体制派の多くが処分されたが、助蔵の命を奪った襲撃については、証拠不十分で断罪されることがなかった。それを不満に思っていた与右衛門は、ある日家老襲撃の実行責任者であった伊黒半十郎と道ですれ違う。

ごますり甚内

川波甚内は、かつて雲弘流の師範代を務め、六葉剣という短刀術を授けられるほどの剣士だったが、今はごますり男として悪名を上げていた。川波家の舅は、かつてある不正に関わっており、甚内が家督を継いだ後になってそれが発覚し、5石の減俸処分を受けてしまう。自分の失態のせいで減俸されたと誤解されると甚内は焦り、それを哀れんだ藩の計らいで処分は公にされなかったが、早く処分が撤回されるよう、甚内は上役にごまをすって回っているのである。

その甲斐あってか、家老の栗田兵部が甚内に禄の回復を約束してくれる。その代わりに、ある女に金と思われる包みを届け、代わりに手紙か書類のようなものを受け取るという任務を仰せつかった。その帰り道、甚内を3人の刺客が襲ってきたが、甚内は3人に手傷を負わせて撃退した。

その1か月半後、甚内は家老の山内蔵之助と大目付の大熊百弥太に呼び出され、彼を襲わせた黒幕の名を告げられた。

ど忘れ万六

物忘れがひどくなり、そのために職務で失態を犯した樋口万六は、家督を息子の参之助に譲って隠居生活を送っていた。息子の嫁の亀代は、美人で料理上手だったが、気が強く、万六のことも少し粗略に扱うようなところがある。ある日、その亀代が突然万六の前で涙を見せた。

聞けば、亀代はかつての隣人である片岡文之進と久しぶりに再会し、茶屋で茶を馳走になった。そして、茶屋から出てきたところを大場庄五郎に見とがめられ、世間にばらされたくなければ一度言うことを聞けと脅されているという。

万六は、まず片岡と面会して、彼と亀代との間に不義密通など無かったことを確認したが、片岡は乱暴者の大場を恐れて、脅しをやめるよう大場に話をつけることを拒否した。

そこで、万六は大場の元に直接乗り込むことにする。ほとんどの人が知らないことだが、若い頃の万六は、林崎夢想流を極めた居合技の名手であった。

だんまり弥助

杉内弥助は、若い頃は今枝流の剣士として知られていたが、現在は極端な無口のため、少々変わり者と見られていた。

15年前、弥助は男女が密会する出会い茶屋から、従妹の美根が出てきたのを見つけ、声をかけたが、彼女は逃げるようにその場を立ち去ってしまう。美根は嫁に行っており、夫は江戸詰で留守のはずだった。そして、それから半月後、美根は病気を理由に実家に戻り、その日のうちに自殺した。美根は弥助宛に遺書を残しており、そこには、服部邦之助に騙されたということと、過ちは一度だけだったということが書かれていた。弥助は、自分が往来で美根の名を呼んでしまったことが、彼女を死に追いやったと自責の念にさいなまれ、だんだんと無口になっていったのである。

さて、現在の弥助の数少ない友人の一人、曾根金八は、先の次席家老金井甚四郎と中老大橋源左衛門の対立の中で、金井派として活動していた。そんな金八が命を奪われる。金八が以前語っていたことから、斬ったのはおそらく服部だろうと弥助は大目付に訴えたが、大橋派が権力を握り、金八の死の真相は闇に葬られてしまう。そこで、弥助は、密かに大橋中老の不正について調べ始めた。

かが泣き半平

「かが泣き」というのは、わずかな苦痛を大げさに言い立てて、周囲に訴えることをいうが、鏑木半平はこのかが泣きの人物であった。しかし、同僚も妻も、半平のかが泣きには慣れっこになっており、まともに相手をしてくれない。ある日、半平は守屋采女正の家臣が子連れの母親を折檻しているところに出くわし、自分が代わりに痛めつけられることでこれを救った。後日半平は、3年前の普請の事故で亡くなった常雇い人夫の家に、藩主からの下され物を届けに行く役割を担ったが、その家にあの母娘が住んでいた。家に上がって下され物を渡した半平がいつものようにかが泣くと、後家はそれを真剣に受け止め、肩や腰を揉んでくれた。こうして、半平と後家はねんごろな関係になっていった。

そんなとき、藩主が守屋采女正を秘密裏に暗殺するよう下命し、心極流小太刀の名手でありながら、藩内に剣名を知られていない半平が討手に選出された。家老宅に呼び出された半平は、さっそくかが泣いて辞退しようとするが、番頭に後家との不始末を指摘され、不問にして欲しければ守屋を討てと脅される。

日和見与次郎

12年前、当時16歳だった藤江与次郎の父は、藩の派閥抗争に参加して敗れたため、家禄を半減され、代々勤めてきた勘定組から郷方勤めに代えられて、失意の中で死んだ。そこで与次郎は、現在暗闘を繰り返している丹羽派からも畑中派からも距離を取り、日和見与次郎と呼ばれている。

そんな折、従姉である織尾の夫、杉浦作摩が江戸にいる藩主に召喚される。対立する二派から出されている藩政改革案について、中立の立場から藩主に意見を述べるためである。与次郎は、両派が杉浦を取り込もうと策動し、場合によっては命を狙うこともあるのではないかと危惧する。その危惧は的中し、杉浦家が火事になって、下男1人を除いて全員死亡した。与次郎は、火事になる前に、畑中派の者が一家を斬殺したらしいとの噂を耳にする。しかし、丹羽派である大目付も証拠をつかむことができず、政治的判断から沙汰止みになってしまった。

その後、畑中派は政争に敗れてことごとく失脚したが、畑中派の真の盟主である淵上多聞には傷がつかなかった。与次郎は、独自の調査で淵上が杉浦一家殺害を命じたという確証を得、密かに淵上の元に向かった。

祝い人助八

御蔵役の伊部助八は、2年前に妻を亡くしてから身なりがみすぼらしく、御蔵を視察に来た藩主に、直接身なりや臭いを注意されるという失態を演じた。上司の取りなしで処罰はまぬがれたが、以来、物乞いを意味する「祝い人」(ほいと)と呼ばれていた。

そんな助八の元に、親友飯沼倫之丞の妹、波津が尋ねてきた。2年ほど前に彼女が嫁いだ御番頭の甲田豊太郎がたびたび暴力を振るうため、飯沼家では波津を呼び戻して離縁させた。ところが、豊太郎は承服せず、飯沼家や親戚の家に現れては悪口雑言を並べ立てているという。その日も、酒に酔った豊太郎が来るという情報が入ったため、倫之丞が波津を助八の元に避難させたのである。助八が波津を家に送って行くと、豊太郎が倫之丞に果たし合いを申し込んでいるところであった。助八は代理を申し出て、豊太郎を叩きのめした。

1か月後、倫之丞は波津を後添いに迎えないか、波津もそう望んでいると助八に語った。しかし、亡妻のとき、身分違いの結婚生活に苦労してきた助八は、この話を断ってしまった。

しばらくたって、組頭の殿村弥七郎が中老の内藤外記を城内で刺殺するという事件が起こる。助八は、豊太郎との立ち会いを評価され、屋敷に立てこもった殿村に対する討手に選ばれてしまう。身支度をしようにも、台所ばあさんでは役に立たず、助八は波津を呼び出した。快く身支度を手伝ってくれる波津の姿を見ながら、助八は波津に求婚したが、すでに新しい縁談がまとまったという。お帰りはお待ちしませんが、御武運をお祈りしますという波津の声に送られ、助八は殿村の屋敷に向かっていった。そして、1刻に及ぶ死闘が始まる。 ウイキペディア資料


書誌情報 井上陽水「決められたリズム」 ヱンデング曲


全編

キャスト
真田広之、宮沢りえ、田中泯、丹波哲郎、岸惠子、小林稔侍、大杉漣
構想に10年以上を費やし、時代考証に一年以上をかけて、山田洋次監督が満を持して挑んだ初の本格時代劇。

原作小説 時代小説の第一人者・藤沢周平。
主演は日本を代表する演技派俳優・真田広之。
幼なじみのヒロインに映画賞総ナメの宮沢りえ。さらに世界的な舞踏家である田中泯が、清兵衛の敵役として息を呑む迫力ある演技を披露し、銀幕デビューを果たす。
第76回米国アカデミー賞外国語映画部門ノミネート作品。
https://movies.shochiku.co.jp/yamadayoji/t-seibei/

『たそがれ清兵衛』は藤沢周平著の連作短編時代小説集。1983年から1988年まで『小説新潮』に掲載された8篇の短編小説を収録し、1988年9月に新潮社より刊行された。いずれもあまり評判が良いとは言えないあだ名・容貌を持つ下級武士を主人公とし、彼らが外観とは異なり切れの良い剣の腕前を披露する展開を描いている。

本書表題作の「たそがれ清兵衛」と「祝い人助八」、ならびに「竹光始末」(『竹光始末』収録)の短編3篇を原作として、山田洋次監督による同名の日本映画が2002年に公開された。

たそがれ清兵衛
筆頭家老の堀将監は、能登屋と結託して専横を極め、自分に批判的な藩主の交代まで画策していた。堀に対立する家老杉山頼母らは、上意討ちを決意して、討手に無形流の達人である井口清兵衛を選出した。
ところが清兵衛は、病弱の妻奈美の世話のため、下城の合図と共に同僚との付き合いも断ってそそくさと帰宅し、昼間は介護疲れで居眠りをすることもあることから、夕方になると元気になるという意味で、「たそがれ清兵衛」と陰口をたたかれていた。
最初、妻の介護を理由に上意討ちを断わろうとした清兵衛であったが、妻の療治への援助の約束と、決行は妻を介護した後でよいという条件を示され、ついに上意討ちを引き受ける。そして、予定通り執政会議の席で堀を切り捨てた。

YouTube 撮影風景


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