見出し画像

クラッシック、はどこからやってきたか

ここ数日、話題のネットニュースを拾って掲載しましたが、今日は「音楽教室の歴史」・・・を紐解いてみましょう。

その前に、最近拙著閲覧とスキが沢山いただいて、こちとしても驚きが隠せない。

突然降って湧いた、と云ったらなんですが、そんな状況にむしろもろ手を挙げて悦ぶべき僥倖でしょう。

ま、ないとはいえない訳、ですが、先日アップした「「親ガチャ」のネットスラング」(9/17)に併記した「無名人インタビュー」(四万字インタビュー)がそれではないかと?

まあこれは自分でもびっくりするくらい、よく書いたもんだな、という代物だった。講読者にとっても苦行ではないかと内心思ったが、昨今、「詰、語」オンリーで、とくに(親がチャ)なんて、英訳するのに困る、という塩梅だな。そんなこともあってネット社会にアンチテーゼの意味を込めて、だらだら駄文長篇の「古語拾遺」、変じて「今語拾遺」、にしたという屁理屈を書いたまで。(続編として自サイト「サルトルの自問自答」を今執筆中、あと数日でアップ予定)。

そんなことで、そこから、迂回ルートを巡り回って、ここに辿りついたという推理小説の展開なんかしてみた。(その方も、そうでない方も、ここで感謝の御挨拶を申し上げたい)。

そして今回は、「音楽体系クラシックそのルーツ」、と題して、ロマ音楽をスポットした。

このロマ音楽の歴史は古く、ヨーロッパ特にそこから中東にまたがった地方に根ざした音楽であり、今でも民族音楽として根強い支持がある。

この「ロマ音楽は」NHKドキュメンタリー『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』 12月16日再放送 2019/12/09 16:27掲載、を見ていたので、その歴史を知る至った。

クラシック音楽の体系については以前書いたものがある。

楽譜と音階の誕生

西洋の音楽は教会から、グレゴリオ聖歌がクラシック音楽のはじまりで、グレゴリオ聖歌とはローマ・カトリック教会の典礼のための聖歌のことである。中世ヨーロッパではローマ・カトリックこそが社会・文化の中心だったことから、このグレゴリオ聖歌はヨーロッパ各地で歌われ発展した。この頃の音楽はまだ楽器の伴奏などはなく、歌のメロディだけだった。このグレゴリオ聖歌がクラシック音楽のはじまりと定義され、ヨーロッパ各地で長い年月を経て今日に至る。
クラシック音楽のもととなったグレゴリオ聖歌にも楽譜が存在した。ただし今の形式ではない。「ネウマ」という記号を使って大まかな旋律の動きを示したメモ程度と言われる。13世紀頃になるとやっと4本の譜線を用いるようになり、少しずつですが今の楽譜の形式に近づいてきました。(補足 雅楽譜面も漢字表記音で記号のようなもの)

クラシックと双璧、ジャズは、それと比べたら歴史の時間は短いが、音楽クオリティーで云えば、ジャズの方が高いと思われた。その理由として、自由でありその本領はインプロビゼーションにある。対極のクラシックは、譜面に忠実(詳細な指示書)であることが優先される。まさにコピー曲のような演奏にもとれるが、グールド(1932年9月25日 - 1982年10月4日)まで到達するともはや神的カリスマに昇華してしまう。


ジプシーロマ音楽 2021年10月05日ロマ音楽は、西アジアやヨーロッパなどで移動型の生活を送る、あるいは送っていたロマ民族(ジプシー)を中心に発達してきた音楽。

ロマは北インドに起源を持つ移動型の民族であり、中近東、北アフリカ、ヨーロッパなどで生活している。ロマは西暦1000年以前には北インド、ラジャスタンを離れ、放浪生活に入っていったと考えられている。一方、現在もラジャスタンで演奏家や旅芸人として生活しているロマもいる。ロマは以前は「ジプシー」と呼ばれていたが、ポリティカル・コレクトネスのため「ロマ」と呼称が変更された。

ロマは各地を放浪し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立ててきた。彼らによってもたらされた音楽は、現地の音楽に影響を与え、また影響を受け、相互に発展してきた歴史がある。ロマは北インドをたった後、イラン、イラク、アルメニア、その他中近東に現れるようになった。西暦1050年頃には既に、コンスタンティノポリスで音楽の演奏をしていたと考えられている。15世紀ごろにはエジプト、スーダン、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ギリシャ、クロアチア、マケドニア、セルビアなどへと居住地を拡大、やがてヨーロッパ全域へと広がっていった。スペインのフラメンコの原型もロマの音楽とダンスであったと考えられるなど、彼らは放浪先の中近東やヨーロッパ各地の音楽文化に強い影響を与えてきた。

ロマの音楽の大きな特徴として、テンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾[1]、ソウルフルなヴォーカル、そして音高をすべるように移動するグリッサンドの多用などが挙げられる。音階の上では、和声的短音階の第4音を半音高くして二つの増二度音程を持つ独特の音階(ハンガリー音階などと呼ばれる)が用いられることが多いのも特徴である。ウィキペディア

画像 HIGHFLYERS ポール・フローレア / Paul Florea | ルーマニア人のジプシー ・バイオリン奏者。日本で初めて感じた観客との深い繋がりを大切に、音楽を通して表現したい感情を伝える

HIGHFLYERS
ポール・フローレア / Paul Florea | ルーマニア人のジプシー ・バイオリン奏者。日本で初めて感じた観客との深い繋がりを大切に、音楽を通して表現したい感情を伝える

画像1


各地のロマ音楽
「ルーマニアの音楽」 ルーマニアのロマ音楽奏者はラウタリ(英語版)と呼ばれ、そのバンドはタラーフ(taraf)と呼ばれる。タラーフの主な構成はフィドル、ツィンバロム、アコーディオン、コントラバスなどからなる。ワールド・ミュージックのジャンルで、ファンファーレ・チョカルリア やタラフ・ドゥ・ハイドゥクス[2]は、国際的な知名度をもっている。マネーレはロマ音楽の影響を受けた現代の音楽としてルーマニアはじめバルカン半島で盛んになっているジャンルである。

著名なロマのソロ・ミュージシャンには、次のような人物がいる。

ロミカ・プチャヌ(英語版)女性歌手
ニコラエ・グッツァ(英語版)男性歌手
サンドゥ・チョルバ(英語版)男性歌手。ほとんどの楽曲をロマ語で歌う。
フランス
フランスのロマは、スペイン由来のグループ(ルンバ・ヒターナ rumba gitana) と、マヌーシュ、あるいはドイツ起源のグループに分けられる。前者にはジプシー・キングス、後者にはジャンゴ・ラインハルトが有名である。

NHKドキュメンタリー『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』 12月16日再放送 2019/12/09 16:27掲載
NHK『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』(c)NHK

2002年に放送されたNHKドキュメンタリー『はるかなる音楽の道 さすらいのバイオリン~流浪の民・ロマの道~』の再放送が決定。NHK BSプレミアムの再放送枠「プレミアムカフェ」での放送で、12月16日(月)に放送されます。ヨーロッパ各地の音楽にも影響を与えたという流浪の民・ロマの独特の音楽を特集。旅する日々の中からどのように音楽が生まれたのか?

何百年もの間、旅を続けるロマの人々には独特の音楽がある。ヨーロッパ各地の音楽にも影響を与えたという彼らの音楽は、楽譜にとらわれない自由な奏法が特徴。旅する日々の中からどのように音楽が生まれたのか…バイオリニストの古澤巌がロマの人々と暮らしながら回った東欧の旅の記録。

V.モンティ / チャルダッシュ(Solo Vn. 古澤 巌)

ロマ、マヌーシュ
 世界的な注目を集めているジプシー(ロマ、マヌーシュ)の音楽。日本でも近年、映画を通してジプシーの音楽に興味を持つ人が増えてきた。エミール・クリストリッツァ監督の作品「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」、トニー・ガトリフ監督のジプシー映画の3部作「ラッチョ・ドローム」「ガッジョ・ディーロ」「ベンゴ」は、衝撃的な映像と音楽世界を作り出している。中でも、「ラッチョ・ドローム」は流浪の民である彼らの音楽の旅を映像として初めて綴った音楽映像詩であり、ジプシー音楽の魅力と多面性を興味深く一気に見せる。
 ジプシー民族は11世紀頃に、ジプシー発祥の地とされるインドの北ラジャスタン地方から旅立ち、トルコ、エジプト、中東からバルカン半島を抜けて西へ西へと進み、ヨーロッパ、果ては北アフリカまで、何世紀にもわたり苦難の歴史を歩み続けた。言葉はあるが文字をもたなかった流浪の人々は、その旅の記憶、民族の歴史を歌や踊りに託すことで後世に伝承した。土地の文化と出会い、互いに影響を与え合い、また新たな音楽を生むという長い旅の記憶が、ジプシー音楽の多面性となっている。
 ジプシーの音楽は、バルトークやリストなどクラシックの作曲家に多大な影響を与え、また、スペイン南部ではフラメンコを生み出した。現在でも旅を続ける人々もいるが、多くはスペイン、フランス、東欧の村々などに定住している。
http://plankton.co.jp/gypsy/gypsymusic.html


ロマ音楽 クラシック音楽 全般


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?