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金満に走る人間の「欲と得」

混迷の政治・混沌へ向かう世界Ⅱ 2012年7月9日 12:26記事
100t紙幣1兆円のバーチャル世界
年金基金から70億円をだまし取った浅川、金融商品の価格を実際よりも28倍高く設定、慶応大生ファンド「ル ミュウ」、詐欺罪逃亡で未だに所在不明。

ただの詐欺罪だったら、それほど騒がれることもないが、騙した金額の多寡が問題だ。人間の価値を金に換算することは出来ないが、まあ世間一般的な通り相場で1億円の負債を抱えるとタダでは済まない日本社会。(高級外車に載っているだけで人間ステータスを基準判断する日本経済と社会)

※AIJ投資顧問による年金詐欺事件。東京地検特捜部は9日、東京都と長野市の年金基金から総額約70億円をだまし取った。同社社長、浅川和彦容疑者と同社取締役、高橋成子容疑者(53)、同社傘下のアイティーエム証券社長、西村秀昭容疑者の3人を詐欺と金融商品取引法違反(契約に関する偽計)の罪で起訴。 2012年7月9日 12:26付 日経

遥か昔の話し、「尾上縫」という日本史上最強のオンナ詐欺師がいた。

尾上 縫(おのうえ ぬい、1930年2月22日 - 2014年頃)、大阪府大阪市千日前にあった料亭「恵川」の元経営者である。奈良県出身。

バブル絶頂期の1980年代末、「北浜の天才相場師」と呼ばれ、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していた。しかしながら、景気の後退とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を引き起こした。経済ニュースと社会ニュースの第一面新聞紙上トップを飾った。

1944年に高等小学校を卒業後働きはじめ、国鉄の駅員や工場勤務を経験した。やがて給料が不満なことから大阪に出て、デパートや水商売で5年ほど働いたのちに19歳で結婚して一女をもうけたが、25歳で離婚。離婚後にスタンドバーを経営するも上手く行かなかった。

娘を元夫に預け、大阪ミナミのすき焼き店「いろは」で仲居として働くうち、店の客である経済界の有力者の支援で、旅館「三楽」を購入。

改装して30代半ばで料亭「恵川」の女将となる。金のある客だけを嗅ぎ分ける選別眼で年配の実業家の座敷に率先して出て支援を募る尾上の努力の賜物であった。バーや1971年に開業した麻雀店、1983年に「恵川」の隣で開業した大衆料理店「大黒や」なども経営し、不動産もいくつか所有した。

しかし尾上には経営の才能がなく、経営する店舗はいずれも赤字続きであった。担当した会計事務所の証言によると、一度しか食事に来ない客にも案内状を出したり、8000円の料理を食べた客に3000円のライターを贈ったりという、広告宣伝費の浪費などの経費の無駄遣いが目立っていた。

料亭の建設改装費10億円を業者の言い値で支払った、神社の賽銭に数十万円も使った、水晶玉に8000万円を出したと伝聞。放漫経営によりいつ店が潰れてもおかしくなかったが、店舗の経営資金は強力なスポンサーなどによりどこからか調達されていた。

自身が女将を務める料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事に言い当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した。占いは「大黒や」でしていた。

占いにはガマガエルの石像を使い、ガマのお告げと称していた。バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなった(特定の銘柄を挙げて株価の見通しを尋ねると、神がかり状態の尾上が「上がるぞよー」とか「まだ早いぞよー」とか答えたという)。多くの証券マンや銀行マンらが尾上に群がるようになり、彼らは「縫の会」と呼ばれた。

金融界のアイドル的存在であった一方で情報交換を極端に嫌い、情報交換を求められるとその会社との取引は即座に停止した。奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)出と経歴詐称していた。

占いで得た布施は赤字続きの事業の損失を補填するために使われた。(それでなんとなく思い出したオンナ関連オンナ、木嶋佳苗は練炭殺人罪で、今も服役中)

巨額詐欺事件
自らも銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになった尾上は、バブル絶頂期の1988年には、2270億円を金融機関から借り入れ、400億円近い定期預金を持っていた。また、株取引では48億円の利益を得、1987年から日本興業銀行の割引金融債ワリコーを288億円購入し、55億円の金利を受け取っていた。同時期に興銀はワリコーや同行への預金を担保に尾上に融資を始めるが、これは銀行にとっては焦げ付きのリスクが全くない旨味のある取引で、行内では「マル担融資」と呼ばれ、1989年には融資残高は586億円にのぼった。

金融の自由化により銀行間の競争が激しくなり、融資先の開拓に苦慮していた興銀は、個人顧客の資産管理を総合的に手伝う「プライベートバンキング」といった中小企業や個人との取引に力を入れており、尾上に対して不動産投資も勧め、1990年8月には尾上の資産管理を行なう「株式会社オー・エヌ・インターナショナル」を設立した。

同年、テレビ番組『なんてったって好奇心』に北浜の女相場師兼料亭女将として出演し、カバン一杯の株券や預金通帳を見せたり神の告げを披露したりした。

しかし、バブル景気に陰りが見えるとたちまち運用が悪化して負債が増加するようになった。1989年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。

1990年末には、2650億円の金融資産を保有していたが、負債も7271億円に膨み、借入金の金利負担は1日あたり1億7173万円にも上っていた。

以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始めた尾上は、かねて親交のあった東洋信用金庫支店長らに架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻すなどの手口で犯行を重ねた。

1991年8月初旬に尾上は東洋信金の架空証書の件を興銀の担当者にだけ打ち明けた。興銀は自行の債権33億円を売りぬけて回収している。その直後、同年8月13日に尾上は詐欺罪で逮捕された。

7億円の保釈金を用意し、1992年3月に保釈。同年6月、大阪地裁で破産宣告。

逮捕の時点までに尾上らは、「ナショナルリース」などノンバンクを含む12の金融機関から3420億円を詐取していた。

金融機関からの借入金総額は、のべ2兆7736億円、支払額はのべ2兆3060億円に達しており、拘置所で破産手続きを行った際の負債総額は4300億円で、個人としては日本で史上最高額となった。 ※今でもそれは高額な金銭であることに違いない。

法廷で1987年にワリコーを担保に25億円の借り入れを行ったことについての供述を求められると「特に必要なかったと思うのですが、頻繁に客として来てもらったので」と語った。尾上は頼まれると断れない性格であった。

また、金融の知識は無きに等しく、当時投資を行う者なら誰でも知っていた公定歩合という単語すら知らなかった。

裁判で尾上の弁護人は、「尾上に株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり責任能力はない」と主張したが認められず、1998年3月、懲役12年の実刑判決を受け、2003年4月、最高裁が尾上の上告を棄却、実刑が確定した。

巨額の融資を行った東洋信金は経営破綻により消滅し、預金保険機構の金銭援助を得て資産(正常債権)は三和銀行に、店舗網は府下の複数の信金へ譲渡された。

また、ノンバンク最大の貸し手であるナショナルリースの担当社員が特別背任罪で逮捕されている。同社は不良債権をグループのサービサーへ債権譲渡し、1998年までに親会社の松下電器が未収債権について損失負担する形となり、2001年に松下クレジットとの合併を経て2010年に住信・パナソニックフィナンシャルサービス、さらに2012年に三井住友トラスト・パナソニックファイナンスとなっている。

2017年3月20日、MBSテレビで放送された『激撮!直撃!!スクープ ヤマヒロ×西靖▼関西あの事件あの人は今?4時間生放送SP』で、一連の詐欺事件が紹介された。その時点で3年前(2014年頃)に死去し、高野山の尾上家の墓に納骨されていたことが明かされた。

エピソード信仰
1970年(昭和45年)暮れ、清風学園創設者である平岡静人によって、高野山金剛峯寺報恩院で得度の路を開かれた。平岡によって名付けられた得度名は、純耕。

平岡一族との親交は深く、同一族が主催するチベット仏教寺院・ギュメ寺(南インド)への開眼ツアーにも参加している。この際、尾上は2000万円をギュメ寺に寄進したが、平岡一族は寄進は自身らによるものだと主張している。

また、同ツアーで尾上は、平岡ともども宗教指導者・ダライ・ラマに面会した。その後、平岡はダライ・ラマを念仏宗無量寿寺に紹介した。

日曜日には庭の弘法大師像を拝むことを習慣にしていた。多くの証券マンも訪れて一緒に祈り、高野山や小豆島への参詣旅行にも同行した。

金融機関 関係一覧
住友銀行
1986年、三和銀行に多かった預金を担当者の熱心な勧誘により住友銀行日本一支店に移行した。尾上は同支店の支店長から上客として扱われ、週2~3回尾上の店に支店長が訪れ、接待にも使われた。さらに支店長の計らいにより支店の年末パーティに招待されたり、行員の前でスピーチを行ったりという待遇を受けた。支店長の公用車も使用したことがある。

日本債券信用銀行
日債銀の部長は尾上の店に花を飾り、掃除を手伝う際には観葉植物の葉の裏側まで拭いていたという。

日本興業銀行
バブル期当時「銀行の中の銀行」と呼ばれていた興銀は本来であれば法人以外との取引は受け付けなかったが、尾上は特別に取引を許された。

日本勧業角丸証券、山一証券
1988年当時、勧角証券難波支店長は尾上の店の奥の1畳ほどの部屋に午前9時から午後5時まで常駐し、各証券会社から送られてくる株式売買の報告書を整理し、帳簿を付けた。夕方に会計事務所の事務員が店に来て帳簿に基づいて支払いのための小切手を切った。後に変わって山一証券が常駐した。

その後
刑の確定時点で73歳と高齢だったこともあり、収監後まもなく一人では何も出来なくなり介護が必要な状況になった。刑務所の中でも元気な時には毎晩拝んでいたという。初犯だったため仮釈放もあり、出所したのちにひっそりと亡くなったようだ。 ※ウィキペディア

「紙」に一喜一憂する様をあざ笑うのは勝手だが、「儒教の教え意識高い系」の女高生の盲目的信仰、それと勘違いしていないか

  今回のファンド詐欺は、そのゼロの桁が途方も無く多い。いったい彼らはどれ位の現金を手にしたら満足したのだろうか。わたくしたち庶民は1万円を稼ぎ出すのに四苦八苦しているというのに~。
 そんなことを絵空ごとで思っていると、「紙幣が紙くず」になるというニュースが舞い込んできた。

 つい先程、録画したテレビ、「池上彰のやさしい経済学」を見て、すべてが氷解した。といいつつ、氷解したからといって、この先の世界経済が明るい展望だとか、「ルミュウ」の首謀者が捕まったとか、年金の浅川に新事実があったとか、そんなことではない。
 そもそも「カネはなぜカネなのか」という原始的な意味を懇切丁寧に教えてくれたのが池上彰であった。ハーバードのマイケル・サンデル氏と比較されるようだが、ポッケに手を突っ込んで講義しない池上彰とは、比較基準がことなる。
 それで、「紙幣が紙くずになる」、そのメカニズムは簡単で始めから「紙」で出来ている概念対象(共同妄想と仮定していたが)であり、人の信用が失せれば即紙になる、という論法だった。

 そして以下の記事を読めば、まさしくただの「紙」切れを、ジャンジャン刷り込んで、打ち出の小槌のごとく大量生産すれば、刹那的効果は期待できるが、その後に待っている破滅破綻の余りの大きさに誰もが後ずさりする、という脅し文句が書かれていた。と、いつもの脅し文句が並ぶが、一向にその気配はいまだにない。

  江戸時代の日本では、通貨が不足すると各藩が独自に領内で紙幣(藩札)を発行し、財政難の解消を試みた。しかし藩札は金銀に裏打ちされておらず、各藩の財政をもとに信用創造された紙幣だった。乱発した結果、価値が幕府発行の貨幣に対して著しく低くなり、インフレを招くケースが多く見られた。と記事に書かれているが、紙幣の価値とは、まさしくそこにあり、対価としての金・銀が同価値として保存(日銀・中央銀行等に)してあり、本来、貨幣経済とは、そのバランスシートによって成り立っている、というのが基本経済である。

 ところが現経済では、その「金・銀」の担保がされていないにも拘わらず、紙だけを増産印刷しているだけという。これはまったく国家的な偽札作りにほかならない。(為替導入によって通貨スタイルが変わった)
 
 その先例は戦時中にあり敵国家の経済混乱を狙って相手国の紙幣を作ってばら撒いていたのだから、いまやっていることはその時代とあまり変わらない。
 ましてや、現社会において急速にネットバンキングが普及し現金を触ることなく、自分のパソコンで金を前後左右に振り分けることができる。
 国の境界とは無関係に数字だけが1000分の1秒の瞬く間の速さで世界を駆け巡る。そこではマネーロンダリングという高度な技術は、いまでは一般化してしまったのだろう。

 もし1兆円という金額取引があったとしても、100t紙幣1兆円分のバーチャル世界では造作もないことだ。
 眠っている現金の外貨数兆円とか、タンス預金が数兆円だとか、実際に調査したわけでもないのに、100トンもの現金が秘かに我が家に分散して埋蔵されているという謡い文句だ。さすがのミズミ小僧も手が出せない。
 棺おけに一緒に連れて行けない現金だから、換わりに同金額の証文を差し上げよう、という古来の慣わしは、この現代社会でもしっかり生きているようだった。この論理は解釈の取り様によってはパラドックスではあるが~。
 
 平成24年6月8日に発表されたニュートリノ実験ミスを科学的な捉え方をすれば、ニュートリノに質量があることの証拠となるニュートリノ振動、という現象を理解すればニュートリノは光の速さを超えていない、ということである。 
 そのことは、わずか1.5ミリの接続ミスが重大な実験データ誤りに導いてしまったのである。光と同様、ニュートリノに質量がある、という物理事実を歪曲してしまったのは人間の、ちょっとした技術的な、どこにでもあるような単純ミスだったのである。※光子質量、100㎡当たり1円1グラム相当

量的緩和は江戸時代の藩札制度か、紙幣「紙くず化」も
ロイター(2012年6月25日15時49分)東京 25日 ロイター]http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPTYE85O03T20120625
日米欧の中央銀行が推し進める事実上の量的緩和は、疑似紙幣を大量に増刷した江戸時代の「藩札(はんさつ)制度」と重なる。当時は金や銀の裏付のない「ペーパーマネー」の氾濫で、紙幣は紙くずとなった。
危機対応と景気刺激を目的に大量の資金を供給している今回も、世界的に貨幣価値の劣化を示す兆候がみられており、これ以上の緩和政策を危ぶむ声が出ている。

<紙幣の紙くず化>
江戸時代の日本では、通貨が不足すると各藩が独自に領内で紙幣(藩札)を発行し、財政難の解消を試みた。しかし藩札は金銀に裏打ちされておらず、各藩の財政をもとに信用創造された紙幣だった。乱発した結果、価値が幕府発行の貨幣に対して著しく低くなり、インフレを招くケースが多く見られた。
日米欧各国が推し進める量的緩和は、藩札の乱発と同じ効果をもたらす可能性がある。現在の量的緩和は銀行に対し流動性を供給し、間接的にリスクマネーの拡大を期待する仕組みだが、国債などに集中している多量の流動性が貸出や投資を通じて市中に広がれば、ハイパーインフレによって紙幣は「紙くず化」しかねない。

日銀の白川方明総裁は4月に米ワシントンで講演し、「中央銀行の膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えに従えば制御不能なインフレになる」と警鐘を鳴らしている。(2012年6月付)
これまでは「紙幣が紙くずになる前にバブルが発生し、バブルによって緩和政策にブレーキを踏む機会が与えられてきた。だが、現在のバブルは株や不動産などの万人にわかりやすい指標ではなく、過去最低利回りを更新する各国の国債に潜んでいる」と東海東京証券チーフエコノミストの斎藤満氏は話す。国債は利回りが低下しているのでデフレ的だという認識に陥りやすいが、既発債の価格から判断すれば明らかにバブルだという。

<債券バブル>
実際、日米独の国債利回りは歴史的な低水準を記録している。米財務省証券10年物利回りは6月1日に1.4420%と過去最低を更新した。独国債10年物利回りも同日1.1270%と過去最低水準まで低下。日本国債10年物利回りは6月4日に0.790%と9年ぶりの低水準をつけた。
現状では、現在金融危機の真っただ中にあるユーロ圏をはじめ、米国も日本も資金が銀行に滞留し、実体経済はバブルもインフレも無いとの認識が広がっており、ブレーキどころかさらにエンジンをふかす準備をする中央銀行もある。
しかし、白川総裁は今月4日「最適なスピードを超えてアグレッシブに国債買い入れを行うと、金利が反転上昇することも起こりうる」と国債価格の下落リスクを指摘している。

債券価格以外にも紙幣価値の劣化を表す指標がある。今年5月まで100ドル台の高値圏にあった石油価格は、金の価値を基準とする(金価格で割る)と2009年3月以降は大きな変動が無く安定的に推移している。石油や金価格の上昇は、こうした商品相場の値上がりではなく、紙幣の価値が低下したとみなすことができる。

<異常な超過準備>
世界的な「藩札制度」の影響は、国債価格のバブルのみならず、各国で異常な水準に達している超過準備(金融機関が中央銀行に保有する預金のうち所要準備を超える部分)にも現れている。世界金融危機以降、民間の信用創造機能がまひし、流動性が安全を求めて国債や中央銀行預金という究極の安全資産に集まるためだ。

2008年9月のリーマンショック以前は10億―20億ドルだった米銀の超過準備は、過去最高の1兆6000億ドル(約129兆円)まで膨れ上がっている。ユーロ圏銀行の超過準備も7765億ユーロ(約78兆円)と過去最高水準に達している。日銀の当座預金残高は25日に42兆6000億円と過去最高を更新する見込みだ。
「もしもFRBが超過準備を放置すれば、過剰流動性はいずれ実体経済に流れ込みインフレを招くだろう。しかし、急激に吸収すれば、金融機関はバランスを崩し、自己防衛のため貸し剥がしに走るだろう」とスタンフォード大学のジョン・テイラー教授は3月29日付ウォールストリートジャーナル紙で予想した。同様の混乱は日本が2000年のゼロ金利解除後に通った道だ。

<暴走するペーパーマネー&仮想通貨ビットコイン>
これだけ刷ってしまった紙幣をどう始末するのか。ペーパーマネーの世界では、一度規律が緩むと引き締め直すのが難しい。1971年のニクソンショック以来、金という裏付を失った紙幣は発行に制御が効きづらく、いつ紙くずになるかわからないというリスクを背負っている。
「基本が紙なので、金融危機や財政難に遭遇すれば、結局は刷ればいいということになって、どうしても極端なところまでいってしまう」と、ある外国銀行のアナリストは指摘する。

前出のテイラー教授は、ペーパーマネーの弱点を踏まえ、規律に基づいた政策運営が最重要と主張する。FRBは80年代から90年代、物価安定という明確な目標の下、予想可能なルールに基づいた政策を運営してきたものの、2003―05年に金利を引き下げ過ぎ、緩和を長引かせすぎた(too low for too long)という。それが過剰なリスク志向を生み、住宅ブームを煽動したと、同教授は批判する。「(最近になって)FRBは裁量権を乱用し、再びtoo low for too longの領域に足を踏み入れている」。
(ロイターニュース 森佳子;編集 伊賀大記)

仕手戦乱舞の中で覗いた超金融緩和「爛熟の大混乱」
2021/3/5(金) 18:36配信 新潮社 フォーサイト            「気をつけるがよい、3月15日を(Beware the Ides of March.)」(シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第1幕第2場/新潮文庫版)

 2月末の世界の金融・株式市場を襲った突然の春の嵐。前日の米国株安に引っ張られて、2月26日の東京市場で日経平均株価は1200円あまり下落した。4年8カ月ぶりの下げ幅に、30年半ぶりの3万円回復を寿いでいた空気は、冷水を浴びせられた。

 突然の、と挨拶代わりに記したが、実は突然でも何でもない。シーザー暗殺の3月15日を本人に警告した占師のようなシグナルは、繰り返し発せられていた。年明け以降、2月末までの世界の市場の雰囲気はあたかもシェイクスピア劇のようだった。

 シーザー「3月15日が来たな」

 占師「はい。でも、まだ終りはいたしませぬ」(第3幕第1場)

 しからば占師とは誰か。ジェローム・パウエル議長の率いる米連邦準備理事会(FRB)だったのである。というと、パウエル議長はジャネット・イエレン米財務長官と組んで、金融緩和の長期化をうたっていたはずではないか、との反論が返ってこよう。

 だが、金融緩和の長期化の誓いは、株式など資産価格が天井知らずで上昇することに対するお墨付きではない。論より証拠。1月26~27日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、FRBスタッフは金融市場と金融システムについて、こんな評価を披露している。

「米金融システムの脆弱性が著しい(notable)」

「資産評価の圧力が高まった(elevated)」

不穏な長期金利上昇と「バブルの芽」
 コロナ禍対策としての空前の財政支出と金融緩和が合わさって、至る所にバブルの芽が広がり、金融システムにとって時限爆弾になりかねない。警戒感が如実に表れている。具体的には社債の利回りが低下し、株式のリスク感覚が鈍化し、不動産価格が上昇している。

 1月27日時点のニューヨーク・ダウ工業株30種平均は3万303ドルと、3万ドルの大台に乗せている。その後も株価はじりじりと上昇を続け、2月24日には3万1961ドルの最高値を更新している。 一部掲載



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