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人間は何キロ/sで空を飛べるか

既成・常識は空気と同じで「外せない項目」の一つだが

残暑ではなく、盛夏のまんまでいささかお疲れぎみ、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

昨日来の「箴言」(しんげん)については、辛辣発言とはおもいましたが、いうべきはいう、を持っていないと人間世界は、いともかんたんに崩壊するという性質が根底にあるので、あえて申しました。その結果がどうであれ、一定の理解はあったようです。賛同された方々については、再三、この場でお礼申し上げます。

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常識とはなにか、それは定義されるのか???

やや、色あせ感の古い記事ですが、はっとさせられたので、ここに載せた。教訓的意味合いもあったので、その解釈とあわせて、お話ししましょう。

飛行機から人間が飛び降りたら、落下して死ぬ、そのくらいのことは常識でしっている事です。しかし、それが死なない、というハーバードの実験です。

それを話す前に、ひとまず講義をー

「フォックス博士の講演」
 過去の歴史によって作り上げられた概念の中に人間は生きていると換言してもよく、それは人間社会の一定の方向性を示すという点では大切な要素ともいえる。
 樹木になった果実から人が生まれ、神オフルマズドによってそこに与えられた人間の種子、そして世界の父母は原始の神話である。その浩瀚なアラビア哲学の体系の中にアリストテレスとともに霊魂説などの神秘性が語られていることに傾注すべきかも知れない。
 現象を超越し、またその背後に在るものの真の本質にせまり、存在の根本原理や絶対存在を純粋思惟により或いは人間の直観によってより深く探究しようとする学問。
 その主要問題が神や世界、そして霊魂などである。時間、空間の感性形式を採る経験的現象として存在することなく、それ自身超自然的であって純粋な意味の理性的思惟による、または独特な直観によって捉えられる。
 
 それら究極的な対象である非物質的な事物や形式を離れた無形なものを指す意味、それが形而上学。ギリシア語の「後」と「自然学」を結合してヨーロッパ語の形而上学が出来上った。アリストテレス自身による形而上学の中の神学は、もともと宗教的意味は含まれていなかった。
 中世の神学・形而上学の形成史上にプラトン・アリストテレス的思惟が決定的な機能を果たしたとき神学化された、とは哲学辞典(下中邦彦・平凡社)の説明による。

 その形而上学を心の感情である情緒的表現を言説哲学によって具体化しようとしたもので、人間に許された高尚な概念を文章で体系化した。それは難解なテーマという問題を依然拭い去ることはできないが理解度という点で一歩近付いた。
 紀元前より考えられてきたこの難解理論、現代社会にこの理論を用いて何が生産可能であるか。この理論をもってしてウォール街の株の予想はできないし、生まれたばかりの零細ベンチャー企業の成功率を計算できない。
 パチンコ球の放物線予想もできないし、マージャンの配牌やリーチの当り牌の確率に何の役にも立たない。その比較するセクションが的外れ、であっても形而上学の理論が実生活に結び付かない限り一般的大衆は見向きもしない。
 誰もが普遍的と思っているその時代の常識など、そうした既成事実が多くの人々によって広く受け入れられている様々な知識と見解がある。
 そのような一般大衆の底辺にある意識もさることながら、科学者や物理学研究者の専門的知識を持つセクションとまったく違う方面の、はたまたそれに準じた知識を持つ人々によって支持される一定の観念的考え、そして概念は時代の価値観を示す尺度にもなり得る。
 
 感情的に思い込み、また知的に理解するなど方法論は限定されないが、その観念対象に深く傾倒している個人にとっては、客観的判断からすると対象問題に離反している情報でも、それを恣意的に解釈し自分を正当化するための詭弁をうまく見つけ出す能力が人間にはある。

 彼等は自分の作り上げた原則的な前提条件を保守しながら対象と離反しているにもかかわらず、独自の理論解釈を展開できるタイプとみなすことができる。

無秩序の「エントロピー」
一九七三年に医学教育学者の要請を受けてフォックス博士の講演が行われた。
タイトルは「教育的魅惑の一規範」という内容で、医学教育学者チームで結成されていたメンバーによって構成されていた。受講者はいずれもその道のエキスパートで、ある程度の専門知識を有してい。           フォックス博士は科学的業績もさることながら、その外にも医学の分野において人間の行動に数学を適用しユニークな研究でも知られている専門家である。そのテーマを医学教育と関連させながらのフォックス博士の講演だった。博士の輝かしい業績は講演の始まる前に紹介者によってあらかじめ聴衆に紹介された。その博士の功績を証明する証書は主催者によって完璧に用意されていた。
講演が始まるとフォックス博士はカリスマ的であり、なお権威ある態度は堂々としていた。際立った容姿は聴衆を魅了し、なおかつそれにふさわしいスピーチは説得力がある。
難解な専門用語を駆使し、熱弁を振るう姿に聴衆は引き込まれた。一見、関連性がないと思われる不合理な推論は説得するための比喩の多用である。
意味不明とも取れる新造語は博士独自のセンスによるものだった。講演はユーモアのあるコメントや逸話を盛り込み、関連する事項は多岐に渡り、内容が逸脱してしまうことも度々だった。類例のない引用も多々あったが講演は順調に進んだ。主催者側の意向をよく理解していた博士は一時間の講演を精力的にこなした。講演後の三〇分間の質疑応答時間になっても博士のペースは一貫しており、聴衆を感動させるに十分な講演であった。その後に受講者はアンケート用紙に記入することになっていた。講演内容についてのアンケートで評価・査定の項目に記入する。
聴衆者は精神科医や心理学者、精神病治療のソーシャルワーカー、そして医療健康トレーニングに対して未経験者である他の教育専門家が含まれていた。いうならば、その講演に関してある程度の知識者が対象の聴衆である。コメントには次のような回答が寄せられた。
実にすばらしいプレゼンテーションで聴いていて楽しかった。よどみのない流れ、熱狂的にみえる。暖かみのある物腰。生き生きとした実例。博識である。非常に、はっきりとした発言。彼のリラックスした発表の仕方が私の興味をつないだ大きな要因であった。前もって個人的に調べ尽くした課題の、その素晴らしい分析。非常にドラマチックな発表の仕方。彼は確かに魅惑的であった。自分の主張を十分に通してはいなかった。適切な実例を抜かしていた。彼は最終的な言葉を二、三飛ばしており、それがあれば彼の様々なアイディアが相互に関連づけられたであろうに。
 
あまりにもインテリぶった発表の仕方。幾分乱雑である。有機的なつながりがなく効果も薄い。あまりにもジェスチャー過剰。期待に背いて退屈させられた。
一九七三年に行われたフォックス博士の講演、この「教育的魅惑の一規範」という内容は、実は医学教育学者チームが仕組んだ実験講演だった。
判り易く言えば受講者が抱く表現者に対する信頼とは何を基準にしているか、というテーマであり早い話、人を騙した講演だったのである。
アメリカのノースウェスタン大学科学化気教授のアーヴィング・クロッツ氏が著書で語る、「良い教師なるものを特徴づけている特質とはいったい何であるのか」、という問題意識を具体的な形、この場合はリアルでありながら架空の状況を再現して聴衆の意識調査を引用して人間心理を分析したものだ。
その例を挙げて教授は「実質的な内容を何一つ伝えないこともありうる」、と結んでいる。 
実にユニークな実験だ。この罠に嵌まってしまった被験者の心理を云々する事はできない。作られた虚の講演だが実際にこのようなケースがあってもおかしくない。
この講演設定の場合をワナというには適切ではないかもしれない。被験者は被害を被ったわけではなく実験に協力して、その結果を主催者に提供している。
クロッツ氏はその例をあげ、ある一定の集団意識が意図的な方向に偏ってしまうという人の心理状況を言いたかったのだろう。
「二・三・四」というような数は物理のメカニズムを解く方程式に置き換えるが、それは実際の物質物体の対象のとは離れた存在で、それは人間の思惟するところの心の創造である、と述べるのはアインシュタインだ。
実在する対象を数に変換して方程式によってメカニズムを解こうとするモノの考え「概念」思考をアインシュタインは易しく説明している。ところがその概念は実験講演が語るように、一歩間違えばまったく意味のない間違った考えを植付けてしまうとい結果を引きおこす。
一部抜粋(『幻の大発見』 アーヴィング・M・クロッツ 四釜慶治訳 朝日選書)より

この例題は、学術的なテーマとして、大真面目に生徒をペテンにかけた。その結果、一人を除いて、あとの全員が、そりトリックに掛かったという、見事な「詐欺講義」だった。

ということは、その完璧な芝居もさることながら、人間の心理とは簡単に騙され、ものの本質、真理を簡単には把握しない、また出来ないということを語っていた。

ここで掲げたテーマの、既成・常識は空気と同じで「外せない項目」の一つという問いは、いとも簡単にバラバラに崩壊する、ということがわかった。それでも、社会秩序でいう「常識」というのは必要だし、それがなかったら社会が成り立たない。



結論的に「飛行機から飛び降りたら人は死ぬ」という当たり前の常識は、そもそも飛んでいる飛行機が常識にあって、飛んでない飛行機だったら、イヌでもネコでもトンボであっても、死ぬことはない。

「だったら先に云えよ」という論法もあるが、往々にして「事後処理」というのがあって、先に云わないでやってしまう、という現実事象は世にたくさんある。それが国家間の情報戦だったら勝ち負けに影響し、先の太平洋戦争での「インパール作戦」の悲惨さは、作戦指令本部と、現地兵隊の乖離度合いが極端に開いていた、という後の検証結果が、それをよく物語っていた。



ちなみに、参考データとして、人間が飛行機で飛ぶには、また宇宙に出るには、どのくらいの地球の磁場また束縛から逃げたらいいのか、という物理的科学的数価があるので、ここに掲載しておく。

資料
飛行機は、離陸時に、翼周辺に空気流をつくり出すために、時速約240kmから290kmのスピードで滑走しなければなりません。そのためにあるのが滑走路です。

第二宇宙速度(地球脱出速度)
第二宇宙速度とは、地球の重力を振り切るために必要な、地表における初速度である。 約 11.2 km/s(40,300 km/h)で、第一宇宙速度の √2 倍である。 地球から打ち上げる宇宙機を、深宇宙探査機などのように太陽を回る人工惑星にするためには第二宇宙速度が必要である。

宇宙速度(うちゅうそくど、英語: escape velocity, ロシア語: Космическая скорость)とは、軌道力学的に、地表において物体にある初速度を与えたとして、衛星軌道などの「宇宙飛行」と言えるような軌道に乗せるために必要な速度のことである。特に地球および太陽に対して、第一宇宙速度・第二宇宙速度・第三宇宙速度と呼ばれている速度がある。他の星や星系(恒星、惑星、衛星等)に対して使う場合もある。なお、通常は重力のみを考慮し、空気抵抗・浮力等は加味しない。

という関係が成り立つ。したがって、16.7{km/s} である。

※FIマシンは、時速300キロで走るといわれている。ということは、それに翼をつけと空を飛んでしまうということだ。よく見るサーキット事故など、スピンアウトしたマシンが紙のように舞うのは、それが宙を飛んでいる、というのに相応しい。

それに変わる「ドローン」はいま社会経済の根本を変えようとしている。道路走行の「EV車」より「空飛ぶ人力ドローン」の実用性の方が現実的なような気がする。その道路網、それは河川水上ネット網を使えば、あえて整備する必要も無く、予算計上として数兆円の国家予算が浮くという未来型だ。

遊ぶこころ

下記の人間国宝「今藤政太郎」は日本古典芸能の第一人者として記録した。私のやっている「神楽、雅楽」と通体するので趣味の範囲として載せた。(といっても、最近の世相は、そうしたものに目が向かないという傾向がある。なにが悪のかといったらメディアの責任、それと社会がそれに理解を示さないというジレンマがある。あえてそれを提言したい)。




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