9月27日の国葬

9月27日国葬について

既に報道されていゆように、詳細は皆さん承知していることで、改めて紹介するまでもありません。
ま、三浦瑠麗氏の喪服ファッションに魅せられたとか、賛成38.5%に対し反対は60.8%だったとか、その数字を観れば賛否の50、50でなくて圧倒的に反対60.8%ですが、その調査結果数は「共同通信社」のしたもので、それが即、公共的な評価とはいえないでしょう。

そもそも、やること事体の定義がさだまっていないので、それで論じるのは悪魔の証明もみたいなものでしょう。

結果論からいったら国葬スタイルは、前回「吉田茂」を模したもの、だったそうです。じゃその吉田国葬が、どんなものだったか、知る人はほとんどいないので、よくある例題「アレキサンダー東方遠征」は歴史話しであり、それを見聞したものは誰もいない、に近似して、いいのか悪いのかの判定もできない。

そのテレビは私も見ましたが、「菅元総理」の弔辞が、すべてを語っていたように思います。

なにを語ったは、皆さん承知しているように、回顧録に終始し、さらに「焼き鳥屋」秘話など、およそ弔辞らしくない私的な心情吐露で涙腺を誘ったものでした。
まさにオール「情緒論」で締めくくった惜別文は、そのまま日本国を具現化したようなものでした。






驕る者久しからず

栄華をきわめ絶大な権力を握っていても、おごり高ぶる者は長続きせず、やがて没落する。
[使用例] 気候の変化したる幾万年の後に至るも果して、今日の如く、人類がこの地球の征服者であると誰が確信するものがありましょうか。適者生存は、犯し難い真理であります。驕る者久しからず、これを思えばもっと人間は、動物に対して、親切であるべき筈である
[小川未明*天を怖れよ|1914] コトバンク


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