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コンビニ支払いはモバイルQR:決済

コンビニでの支払いを現金でしているのは日本くらい、というネット記事をよくみますが、実際みているかぎりそんなことはなく、せいぜい10~.20パーセント程度のようです。まあ都会だったらもっと比率は上がるでしょう。

先日、余りにも暑いのでアイスを買うのに、コンビニに入りました。支払いは、いまセルフが多くなっているので、たまに、それに当るとやり方が判らないこともあります。(各店舗によって方式が違う)ので、テキトーにやっていて、釣銭口に、支払い小銭を入れてしまい、その奥に詰まってしまったのです。店員を呼んで、訳を説明すると「こまりまたね、どうしましょう」と云いながらそばにあった竹箸で、簡単に取り出しました。咄嗟のアクションにその若い店員に、敬意を抱いて声を掛けようかとおもったのですが、今どき、セクハラになるのでやめました。
(オネーサン、見事な手さばきでしたね、同じ穴でも穴違いまでは判りませんでしたので)・・・

その日、家に帰ってクーラー全開で冷蔵庫状態にしました。そして、パソコン動画の続きをみたのです。

【ギャンブル依存症①】106億8000万円を熔かした男・「井川意高」
YouTube·中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY ·2022/08/20

井川 意高は、日本の元実業家。大王製紙前会長。大王製紙創業家3代目で「ティッシュ御曹司」と称される。 カジノで106億8000万円をつぎ込んだ背任事件で有罪判決を受けた後収監された。 ウィキペディア

その記事を読んでいて、その昔、3憶円強奪事件を思い出したので、そのことについて書いてみたいと思います。

実録 三億円事件 
貨幣価値
事件から半世紀以上が経った2020年代でも、被害金額3億円は豪邸の購入に匹敵する大金であり、現金窃取事件としては当時の最高金額であった[注釈 2]。これは、2014年(平成26年)の貨幣価値に直すと、消費者物価指数で見れば約3.5倍の約10億円の価値に当たる。

事件当時、大卒の初任給が約3万600円と言われ、2016年の初任給20万3800円と比較すると、約20億円の価値に相当する。その他、50~100億円の価値に相当するという意見もある。いずれにせよ、その後に起こった現金強奪事件と比べても、貨幣価値においてはいまだ国内最高である。

1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に速達で郵便物が届いた。内容は「翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破する」というもので現金を要求する脅迫状であった。
翌7日、銀行員に扮した女性警察官を脅迫状の指示通りに行動させ、警察官約50名が現金受け渡し場所の周辺に張り込んだが、犯人は現れなかった。

脅迫事件があった4日後の12月10日午前9時15分、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員に支給するボーナス2億9430万7500円の現金が入ったジュラルミン製トランクケース3個を輸送する現金輸送車(日産セドリック1900カスタム)が銀行を出発した。
輸送車は国鉄中央線のガード下を通り、国分寺街道を南下したのちに「明星学苑前」交差点を右折し、府中刑務所裏の府中市栄町、通称「学園通り」と呼ばれる通りに差し掛かった。

「学園通り」を半分くらい走行したところで、突然後方から警察の白バイが猛スピードで現れ、走行中の現金輸送車を反対車線から追い抜き、警察官が左手を挙げながら輸送車の前を塞いで停車させた。その白バイは、なぜかバイクの後方に軽自動車用のシートカバーを引っかけたまま、それを引きずって走っていた。

現金輸送車の運転手は、白バイに捕捉されたことから「スピード違反でもしたのか?」と思い、スピードメーターを確認したが、時速30キロの制限速度を守って走行しており、なぜ止められたのかと疑問に思った。
白バイから降りた警察官が小走りで車に近寄ってきたので、運転手は窓を少し開け「どうしたのか」と聞いた。
すると警察官は「小金井署の者ですが、巣鴨警察署からの緊急連絡で、貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破されました。この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので、車の中を調べて下さい」と言った。
運転手が「昨日点検したが、そのようなものは無かった」と答え、後部座席に乗車していた行員二人も車内を確認したが、それらしき物は見つからなかった。
白バイ警察官が「車の下に有るかもしれない」と言ったことから銀行員たちは念のため車の外に出ることになった。
このとき運転手は輸送車のエンジンは切ったが、キーは差したまま車を降りた。そのキーには車のトランクやジュラルミンケースのキーも一緒に束ねて付けてあった。白バイ警察官は、車の前方へ回り、ボンネットを開けてエンジン周りを点検したあと、現金輸送車の下周りを捜索し始めた。

4日前に支店長宅を爆破する旨の脅迫状が送り付けられていた事もあり、銀行では不審物に警戒するように通達を出していた。
その事により、ダイナマイト捜索という緊迫感がある雰囲気に銀行員たちは呑まれていた。白バイ警察官は、輸送車の車体下に潜り込んで捜索していた。すると輸送車の下から突然、白煙と赤い炎が吹き出し始めた。
白バイ警察官は「有ったぞ!ダイナマイトだ!爆発するぞ!早く逃げろ!」と叫び、4人の銀行員を車から退避させた。
銀行員たちは、爆発の危険から身を守ろうと現金輸送車から東へ100メートルほど遠ざかり、民家の物陰や垣根に身を伏せた。銀行員の一人は、後続車に爆発の危険を知らせようと道路上に立ちふさがり、トラックを停車させていた。陸上自衛隊車両を運転していた自衛官は、反対車線の車の下から煙と火が吹き出しているのを発見したため、消火器を持って駆けつけようとした。
その直後に白バイ隊員は、現金輸送車の運転席に乗り込みエンジンを始動、自ら輸送車を運転して府中街道方面へ急発進させた。その後に現金輸送車は、府中街道「刑務所角」交差点を赤信号無視で右折し、大型ダンプカーと衝突しそうになりながらも恋ヶ窪方面へ走り去った。この間、わずか3分間の出来事だった。

この時、銀行員たちは白バイ警察官がダイナマイトによる爆発の危険を回避させようと現金輸送車を移動させたと考え「勇敢な白バイ警察官だ」と思ったという。
しかし、現金輸送車は白バイ警察官諸とも現場から消え失せ、行方が判らなくなった。路上に落ちていた「ダイナマイト」は依然として煙と炎を吹いていたが、いくら待っても爆発はおろか、それ以上は何も起きなかった。銀行員たちは、恐る恐る「ダイナマイト」に近づいて確認したところ、それは単なる発炎筒が煙と炎を出しているだけのものだと判った。
路上には、発煙筒とシートを引っ掛けたままの「白バイ」だけが残されていた。発煙筒が自然鎮火した後、オートバイに詳しい輸送車の運転手が乗り捨てられた「白バイ」が偽物だと気付いたことから「勇敢な白バイ警察官」は、実は白バイ警察官に扮したニセ者であり、約3億円の現金が窃盗犯によって持ち去られたことを銀行員たちはようやく認識した。

白バイ警察官に扮した犯人によって約3億円の現金が持ち去られてから既に10分が経過していた。
銀行員たちは、現場の側に建っていた府中刑務所の監視塔刑務官に向かって大声で「車が盗まれた!通報してくれ!」と頼み、更に現金盗難現場から程近いガソリンスタンドに駆け込み、電話を借りて銀行へ事の顛末を報告した。報告を受けた銀行では支店長代理によって110番通報が為された。だが当初は、現金輸送車に対する検問を実施した警察官が実際にいるのかどうかという問い合わせが通報の内容だったことから、初動対応に遅れを生じさせる一因となった。
検問を実施した警察官は存在しないと確認した警視庁は、9時50分に伊豆・小笠原諸島を除く東京都全域に緊急配備を敷いた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警視庁は要所で検問を実施したが、当初は自動車の乗換えを想定していなかった事もあり、現金輸送車と同型車種(黒色の64年型・日産セドリック1900カスタム)を発見することに重点が置かれていた。
その後に自動車の乗換えが発覚してからは、都内の主要な道路において全車両に対する詳細な検問を実施した。その結果、激しい交通渋滞を招いて多くの車両を検問することはできなかった。検問による渋滞がより一層激しくなってきたことから、警視庁は夕方までに検問を取り止めた。夜になってからも捜索は続けられたが、犯人と現金は発見できず、事件当日中に犯人を逮捕することができなかった。

多磨農協脅迫事件
三億円事件発生の半年ほど前、1968年4月25日から同年8月22日にかけて、多磨農業協同組合(多磨農協/現:マインズ農業協同組合)に対して現金恐喝や放火爆破予告をする脅迫事件が計9回発生した。手口は脅迫状送付、脅迫電話、壁新聞投げ込みによるものだった。
この事件は、脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が1968年12月6日に日本信託銀行国分寺支店へ送付された脅迫状の筆跡と同一とされたことから3億円事件と関連があると分析された。3億円事件を捜査する警視庁府中署・特別捜査本部は「3つの事件」を同一犯による犯行であると結論付けた。

6月25日に多磨農協を脅迫する文章の中では「よこすかせんはひきょうもん」という文言が入った脅迫状を送っている。「よこすかせん」とは脅迫状を送る9日前の6月16日に国鉄横須賀線大船駅で発生した横須賀線電車爆破事件について触れたと言われている。なお、脅迫状作成当時は横須賀線電車爆破事件の犯人は不明だったが、三億円事件発生1ヶ月前の11月9日に純多摩良樹をペンネームとする犯人が逮捕され、1975年12月5日に死刑執行された。
ウイキペディア 抜粋


参考記事
『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』


ポプラ社~日本中を騒がせた話題の小説、刊行!
 1968年12月10日に発生した「府中三億円事件」。解決のまま時効を迎えたこの事件が2018年でちょうど50年を迎える。
 そして今年8月、突如「小説家になろう」に投稿された小説によってネット上は騒然となった。

 1968年12月10日、東京都府中市にて発生した現金強盗事件。日本犯罪史において最も有名な犯罪であり、未解決事件のひとつ。
「この車にダイナマイトが仕掛けられているという連絡があった」──東芝府中工場に運ぶ途中、従業員4600人分のボーナスを積んだ現金輸送車が、白バイ警察を装った人物に呼び止められた。その人物は車体の下を調べるフリをしながら発煙筒に火を点けると、「爆発するぞ!」と乗務員4人を外に出し、輸送車を奪って逃走した。
 その劇場的かつ鮮やかな手口、死傷者をひとりも出さなかったこと、奪われたボーナスは保険会社から補填されたこと、さらに大捜査も及ばず迷宮入りするという展開から「戦後最大のミステリー」となった。金額は、当時の貨幣価値で10億円とも20億円とも言われている。

一部抜粋



 画像 辻 本郷 税理士法人 画像ソフトバンク


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