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noteは何のためにあるのか?

なんのためにnoteを書くのか

という「陽菜ひよ子」さんのギリシア哲学的問いに対して、すこし考えてみた。

陽菜ひよ子 / イラストレーター&漫画家&文筆家さんがコメントしました。
racocoさま うれしいコメント、ありがとうございます。racocoさまのnoteはハイレベルで、私も頑張ってレベルアップしなくては!といつも思います。頑張ります。陽菜ひよ子 / イラストレーター&漫画家&文筆家

「陽菜ひよ子」さんの履歴をみれば、その世界のすっかりプロ稼業で、こちらかどうのこうの、あーでもこーでも、いえる立場ではないので、控えめに、諸般の事情を書けたらいいのかなと。

夏休みも後2日、心配なのは「いくのヤダ」と言い出す子どもが何人いるか、そればかり心配だ。

というのも「ギフテッドの存在」を書いたばかりだし、その年頃の小学生が、その中に混じっている可能性もある。

テレビ「クローズアップ現代」を見た限りでは、やはりそれは社会の認識不足、というのが大きく、特に日本においては、「出る杭」はとことん叩いて社会全員で平らにしようと努めるので、もう逃げ場がない。へたをすると自殺に追い込む可能性すらある。それはそれで溜飲を下げるという基本的体質は、直しようがない。(私自身辛酸を舐め尽くしたから云える)。

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さてと、「なんのためにnoteを書くのか」という「陽菜ひよ子」さんの記事に、その具体例を沢山かいてあるので、いちいち一、んうんそうだそうだ、それ違う、といってたら、キリもないので、それはなしにして、私の言葉で書かしていただく。

ご承知のように私と【真田正之】さんとは犬猿の仲、竹馬の友、刎頚の友人(首を切りあう仲)として、note上でやり取りしているが、面識もなければ、何処の誰だかも知らない。

たまたま「金密輸」というのっぴきーならない小説を読んで、それ以来の縁だ。もっか小説出版を目指して奮闘しているが、現実世界、おいそれと問屋は下さない、という現実の狭間で苦労している。

個人的な情報もある程度判ってきたので、その逮捕以前の、どうして「そんなことになってしまったのか」という世間が一番知りたい部分、「銀座クラブM」このとについて、同時進行で書いたらどうか、という提案をした。はじめは嫌がっていたが、私の思惑にまんまと載せられ、カビの生えた古い過去帳を探し廻ったらしい。昨日、それをnoteに掲載した。内心とは裏腹に本人はその気になっていた。

これは彼に対してではなく自己体験談でも重なるが、自分が一番イヤ、死んでも云いたくない、というのが実は、他人様は、それを一番知りたい、というパラドックス理論がある。

例えば私の体験談で云うと、東京暮らしの真只中に、相手のオンナが妊娠して、それがすべてばれてしまって、両親と面談して、「どうしてくれる」と問い詰められ、結婚します、という解答に、アンタにその資格はない、と拒否された話は死んでもいいたくない話の一つだった。

それと同じことを真田正之さんに強要しているのだから、やっぱりそれは自責の念はあっても、医者が患者に容赦なく注射する行為に似る。それは病気を治すための処方と判っているからだ。

とにかく先ず半歩は前進したようだ。

「陽菜ひよ子」さん「なんのためにnoteを書くのか」という問いは、そのことを云っているのではないのか、という気がしたので、書いてみた。

外にもあって、noteのスキとかフォロー、フォロワー、投げ銭、有料記事とか、いっぱいあるが、それはそれで主催者側の営業コンセプトの一つ一つであり、それで経常利益がnoteに上がれば、それが健全であり、競輪競馬の胴元が巨額利益を得るのは合法所得として国税局も認めるところであって、noteのそれに順ずるとしてケチをつける理由はどこにもない。それも「陽菜ひよ子」さんの云うところの「なんのためにnoteを書くのか」の断片の一つかもしれない。

個人の意見としては、同時併行で書いている「ライブドアブログ」と相乗して、以前にもまして、有効な使い方として重宝している。

この前の記事にも書いてあるが、倍々ゲームで上昇推移しているnote実績は、数多あるSNSの中で、どこにでもあったような、それでいて隔靴掻痒的な、かゆいところに手も足も届かないという不便さを見事に解消した、という使い勝ってがあった。

そうした中で、意のままに自由奔放に書かせていただくスペースは誠にあり難い。また、並居るプロと伍して対等に意見を述べられるという自負も生まれる。

コメントは、今回の「陽菜ひよ子」さんに送ったメール返信に応えて、相互の意見交換も出来てよかったと思う。問題もないことはないが、それは各自の感受性の幅の振幅度合いで、スキを1回にするか2回にするが3回にするかで、相手の取り方が異なる。失敗例としてスキの大廉売をしてしまって誤解を与えたことは多いに反省している。さらに言葉の行き違いで疎遠になったしまった友もいるが、時間をまって回復したいと願っているので、そのときは開襟を開いて応じていただきたいと思う。

いろいろ書かせていただいたが、これも「なんのためにnoteを書くのか」という「陽菜ひよ子」さんの記事に触発されたからであって、個人間の接触がなくなってしまった昨今の社会風評に一石を投じるものとして評価したいと思う。



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