東大、光量子コンピュータに進展


東大、光量子コンピュータに進展 大規模な「量子もつれ」を生成、常温・スペースの量子計算へ
ITmedia NEWS20191018112/ / 2019年10月18日 18時14分

2次元クラスター状態を実現した実験装置
 東京大学は10月18日、光を用いた量子コンピュータの研究で、大規模な量子もつれ状態を作ることに成功したと発表した。米IBMやGoogleなどが研究している「ゲート方式」とは異なる方式の量子コンピュータで、実用化に至れば常温で動作する上、10円玉サイズのチップに回路を収めることも見込めるという。

「海外は量子アニーリングに見切り」──ハードもソフトも開発する量子ベンチャー「MDR」に聞いた「量子コンピュータの今」 (1/5)
2019年06月03日 07時00分 公開
[井上輝一,ITmedia]
 東京大学の最寄り駅の一つ、丸ノ内線「本郷三丁目」駅を降りてすぐの雑居ビルの一室に、世界有数の競争力を持つ量子コンピュータのベンチャー企業がある。

 会社名はMDR。東京大学出身の湊雄一郎さんが2008年に設立した。湊さんは元々建築事務所で建築デザインを手掛けており、MDRも設立当初はデザインを仕事としていた。しかし、あるきっかけで13年ごろに金融工学のビジネスへと舵を切る。

 金融工学の効率的な計算を模索する中で量子コンピュータに注目した。15年にカナダの量子コンピュータベンチャー「D-Wave」を訪問した後、D-Wave製量子コンピュータの計算を再現するシミュレーターを個人で作成。以来、量子コンピュータ分野で総務省のイノベーター支援プログラム「異能vation」最終選考通過、内閣府「革新的研究開発推進プログラム」(ImPACT)の山本喜久プログラムマネジャー率いる「量子人工脳」(※)プロジェクトのプログラムマネジャー補佐と着実に実績を積み上げる。

※正式名称は「量子人工脳を量子ネットワークでつなぐ高度知識社会基盤の実現」。同プログラムの下、NTTや国立情報学研究所、大阪大学が共同で、光の量子性を用いて「組み合わせ最適化問題」を高速に解く「コヒーレント・イジングマシン」を開発した。


 湊さんが作成した、D-Waveの量子コンピュータの計算を再現するシミュレーター。地図の「4色問題」を解く
 18年には三菱UFJ銀行のベンチャー支援プログラムに参加・議論し、三菱UFJ銀行が「量子ゲート方式」の量子コンピュータを求めたことから、従来D-Waveの方式を手がけていたMDRも量子ゲート方式へシフト。

 同年には有志とともにオープンソースのPython向け量子計算フレームワーク「Blueqat」の開発開始や、横浜国立大学との共同研究で超電導量子ビットの作製成功など、ソフト・ハードともに頭角を現している。

 そんな湊さんとMDRの経歴を自身で詳しくつづった、「量子コンピュータエンジニアを始めて5年が経った」(Qiita)という記事はSNSで話題になった。

 量子コンピュータをそれまで専門としていなかった湊さんが、業界に飛び込んで5年で、ハードウェアからソフトウェアまで手掛ける世界的にも有数の量子ベンチャーに成長できた理由とは。量子コンピューティングビジネスの展望は。本人に話を聞いた。


MDR社長の湊雄一郎さん
必要な知識は「高校物理の延長線上」
 湊さんは東京大学の工学部建築学科を卒業した。大学時代に量子力学や量子コンピュータを研究していたわけではない。

 量子系の専門知識がないところから量子コンピュータのベンチャーとして実績を積むまでにはどれほどの知識や勉強が必要だったのか。記者がそのように質問すると、「必要な知識は高校物理の延長線上」と湊さんはいう。

 「大学でやっていたのは計算力学。役立っていないとはいわないが、もともと高校時代から物理が得意だった。どちらかというと大学受験の物理の知識で頑張っている」(湊さん)

 そんな湊さんと量子コンピューティングの出合いはD-Waveの「量子アニーリング方式」の量子コンピュータだったが、今は量子アニーリング方式から量子ゲート方式に軸足を移した。

 「海外の企業はもう量子アニーリングに見切りをつけている」──湊さんは軸足を移した理由をこう話す。

量子ゲート方式と量子アニーリング方式
 D-Waveの量子コンピュータは、「PCの1億倍高速な解析ができる」と米Googleと米航空宇宙局(NASA)が15年に発表したことから大きな話題になったマシンだ。

 しかし、D-Waveのマシンはそれまで「量子コンピュータ」といわれていた量子ゲートによる計算ではなく、量子アニーリングと呼ばれるアルゴリズムで計算を実現している。

 量子ゲート方式と量子アニーリング方式の違いを、ここで簡単に整理する

量子ゲート方式

米IBMが開発する量子ゲート方式の量子コンピュータ「IBM Q」
 従来「量子コンピュータ」といわれてきたのは量子ゲート方式の計算マシンで、80年代に物理学者のリチャード・ファインマン博士やデイヴィッド・ドイチュ博士などが構想を提唱した。

 従来のコンピュータの論理回路に量子力学の性質を取り込んだもので、これに量子の性質を利用した計算アルゴリズムを用いると、ある計算では従来のコンピュータより高速に計算できることをピーター・ショア博士が94年に証明している。

量子アニーリング方式

カナダD-Waveの量子アニーリング方式の量子コンピュータ「D-Wave 2X」
 一方の量子アニーリングは、東京工業大学の西森秀稔教授と当時大学院生の門脇正史さん(現デンソー)が98年に提唱した量子アルゴリズム。量子ゲート方式のような論理回路は用いず、格子状に並べた量子ビット間の相互作用(同じ、あるいは違う方向にどの程度向きたがるか)を設定し、「横磁場」という制御信号を量子ビットに与えることで、量子ビット群の最も低いエネルギー状態を探る手法だ。


量子アニーリングで目的関数の最小値を探る(西森秀稔教授の公式サイトでの説明から引用)
 金属を高温にしてからゆっくり冷やすと構造が安定する「焼きなまし」(アニーリング)という自然現象と同様の原理で問題を解いている。

それぞれのボトルネック
 量子ゲート方式の量子コンピュータは「汎用量子コンピュータ」とも呼ばれ、量子論理回路を活用した各種アルゴリズムの高速計算が期待できる。しかし、高速計算の鍵となる量子ビットの「重ね合わせ」という状態が、わずかなノイズの混入で壊れてしまうことから、エラー訂正技術の開発が実用化に向けた壁になっている。

 対する量子アニーリング方式は、汎用計算ができない代わりに「組み合わせ最適問題」を解くのに適しているとされる。理論的には問題の厳密解(※)にたどり着けるとされるが、量子ゲート方式と同様にノイズの問題がある他、ハードウェア的な制限から最小値までたどり着かず、多くは近似解にとどまる。

※問題の厳密解:量子アニーリングでは組み合わせ最適化問題を「イジングモデル」という形の関数に直し、量子アニーリングの過程で関数が取り得る、より小さな値を探す。「量子トンネル効果」という量子特有の性質で、関数の最小値=厳密解を理論的には導けるという。

「巡回セールスマン問題」が解けない
 量子アニーリング方式を試してみて、いくつかハードルがあることが分かったと湊さんはいう。

 一つは、「実際に解きたい問題を量子アニーリング方式に落とし込みにくい」ということだ。

 量子アニーリング方式では、相互作用を設定した量子ビットを格子状に並べる。これをイジングモデルといい、量子効果を使ってイジングモデルを表す関数の最小値を探す。つまり、現実にある組み合わせ問題を量子アニーラで解くためには、まず問題をイジングモデルの目的関数に合う形に直さなければならない。

 「イジングモデルを使うのは大変。問題を無理やりイジングモデルに落とし込んであまり良いことになったことがなかった」と湊さんは振り返る。

 「実際使ってみると、最初の1カ月で諦めてしまう人が多い。論文では『できる』と書かれていても、実務的にはおぼつかなかった」(同)

 湊さんによれば、海外の量子コンピューティング関連企業も量子アニーラを試して同様の結論に至っているという。

 さらに、「巡回セールスマン問題が解けない」と、湊さんは量子アニーラの問題点を明かす。

 巡回セールスマン問題とは、セールスマンが複数の都市を回る際に、どのような順路で回れば移動距離を最短にできるか求める組み合わせ最適化問題だ。

 量子アニーリング方式が得意とされる組み合わせ最適化問題が解けないというのは、衝撃的な情報だ。

 「実際に使ってみると全然解けない。4都市の問題でも解けるかどうか怪しい」(同)

 「今から量子アニーリングに参入するという人は、業界を調べていないのだなと思う。なぜかそういうところだけ海外に合わせないという風潮があるが、なぜ他がやっていないのか考えて、早めに損切りするべきだ」(同)

 しかし、他方の量子ゲート方式では試験的なマシンはこれまで出てきているものの、D-Waveの量子アニーラほど目覚ましい計算結果を公表しているものはまだない。19年1月には米IBMが「史上初の商用汎用量子コンピュータ」として量子ゲート方式のマシン「IBM Q System One」を発表したが、計算能力は現在のところ未知数だ。


「史上初の商用汎用量子コンピュータ」という米IBMの「IBM Q System One」
 それでも量子ゲート方式を選ぶ理由として、湊さんは「計画を立てやすい」ことと「金融分野や材料分野の計算に適している」ことを挙げる。

計算量の理論があるかどうか
 量子ゲート方式が、量子アニーリング方式が世に出る前から期待されているのは、実現できれば従来のコンピュータ(古典コンピュータ)より明らかに速い計算処理が可能だからだ。

 古典コンピュータでは問題の大きさが増えるにつれて指数関数的に計算量が急激に増えてしまうところ、量子ゲートマシンで量子アルゴリズムを用いれば計算量の増加を2次関数程度に抑えられるといわれる。

 例えば、問題サイズが10であれば古典コンピュータは2の10乗=1024ステップの計算が必要なところ、量子ゲートマシンでは10の2乗=100ステップの計算で済む。

 問題サイズが100の場合、量子ゲートマシンは1万ステップの計算となるが、古典コンピュータは約10の30乗(1兆×1兆×100万)ステップとなり、現実的に計算が終わらないほど計算量が増えてしまう。これを組み合わせ爆発という。

 一方で、量子アニーリング方式にはこのような計算理論がなく、「ヒューリスティック」なアルゴリズムといわれる。ヒューリスティックとは、計算理論的に精度が保証されないが、経験的には精度が高く短時間で計算できるということだ。

 このように、量子ゲート方式では計算理論が確立されていることから、「何量子ビットでどれくらいの性能が出るのか、“誤り訂正”ができれば何ができるのか分かるため、技術的に難しくても事業計画が立てやすい」(同)と話す。
他社のハードウェア開発を待っていても何も起きない
 横浜国立大学と共同で作製した超電導量子ビットは、量子ゲート方式での誤り訂正技術へのアプローチという意味が大きいという。


MDRと横浜国立大学山梨研究室が共同で開発した超電導磁束量子ビットの構造
 前述したように量子ビットはノイズに弱いため、誤り訂正は量子ゲートマシンが正しく計算する上で重要な技術だ。

 MDRには半導体系企業出身の技術者がいるため、これまで半導体で利用されてきた誤り訂正技術を超電導に応用できないかと湊さんは考えている。

 逆に、技術的な限界を自ら確かめるという目的もある。「ハードを自社で持っていないと、他社ハードウェアの開発待ちになってしまう。待っていても何も起きないので、自社で作ってみて判断した方が良い」(同)

日本企業、量子コンピュータに熱視線
 MDRが量子ゲート方式にシフトしたきっかけは、三菱UFJ銀行との議論だった。MUFGを含め、金融分野はセキュリティ(量子暗号など)や金融ポートフォリオ作成(組み合わせ最適化)などのために量子ゲート方式の計算を求めるという。

 また、「米国と比べても、日本の量子コンピューティングビジネスは進んでいると思う」と湊さんは米IBMの例で説明する。

 IBMとIBM製量子コンピュータのクライアント企業・大学とを結ぶ「IBM Q Network」には、慶應義塾大学、JSR、長瀬産業、三菱ケミカル、日立金属、本田技術研究所、三菱UFJ銀行、みずほフィナンシャルグループ、そしてMDRが名を連ねる。IBM Q Networkに参画する約60団体のうち、8つが日本企業と存在感を放っている。

 「D-Waveのクライアントも3分の2は日本企業だと聞く。このような状況を考えても、日本企業は量子コンピューティングにたくさんお金を出すのではないか」(同)

 MDR以外のベンチャーでも動きがある。ABEJAやグリッドなど、複数のAIベンチャーが量子コンピューティングに今年から参入してきている。「AI企業が差別化を図れる次のテーマというと、量子コンピュータ以外ないと思う」と湊さんは分析している。

MDR、次の一手は
 日本企業の一部が徐々に量子コンピュータへシフトする中、先陣を切るMDRは次の一手をどう考えているのか。

 「今年は論文執筆に力を入れたい」と湊さん。

 「企業の実績は、うまくいけばいくほど何も話せなくなる。今も9割5分は何も話せない。ImPACTプロジェクトでPM補佐をしていたことも、今でこそ話せるが当時はやっていることすら言えなかった」(同)

 「ソフトやハードの実装も大事だが、実績を公表できる形にするためにも論文執筆を大事にしていきたい」──本当は量子コンピュータの知見をもっと共有したいと湊さんはいう。これまでもQiitaや自社のブログで量子コンピュータの技術紹介記事を書いたり、書籍を執筆したりすることで量子コンピュータの技術を啓蒙してきたが、内容を進めて論文にすることで、信ぴょう性をより担保したいと話す。

 事業としては誤り訂正技術の模索の他、量子コンピューティングの機械学習への適用を一つの重点課題として進める。

 金融分野のセキュリティや、材料分野の組み合わせ計算には量子コンピューティングを直接適用できるが、汎用性が高いとはいえない。

 機械学習での学習過程など時間のかかる計算へ量子コンピューティングを適用できれば、機械学習を必要とする多くの業種で活用する道が開ける。

 19年現在、MDRは15人程度の少数精鋭で量子コンピュータのフルスタック開発に取り組んでいる。

 米GoogleやIBM、中国AlibabaのようなITの巨人たちが量子コンピュータ企業としてしのぎを削る中、先見性と実装力でMDRは世界と戦う。
(記事引用) 2019年10月19日



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