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いやなものを見た

いやだなーって思うもの見たんならすぐに忘れればいい。覚えてたっていいことなんかない。だっていやだなーってマイナスな感情に自分がその覚えていたり、思い出している分、自分が抱えられる余白を失っていることになるだろうから。

都会の電車は新幹線みたいに余白がある。
人が多いときには人がすし詰めになっても平気なようにだろうか。
優先席に近い、不思議な空間。
車イスでもベビーカーでも、なんなら空港に行く大荷物の人が来てもいいような広さ。
私自身が有効に活用させてもらう機会もないが、便利そうだなと思う。


ベビーカーに赤ちゃんをのせた女性が、電車に乗って来た。
乗る時点でベビーカーの操作が狂ったのか、それとも電車とホームの幅の目測を誤ったのか、ちょっとだけもたついて乗りこんできた。
……素人の知らない人間が「大丈夫ですか?」なんて声をかけるのも躊躇われて、挙動不審になってしまったのはここだけの話だ。

ちなみにその不思議な空きスペースには男性が一人、立っていた。
ベビーカーが乗って来たあと、男性は一度たりとも窓の外に向けた顔を離そうとはしなかった。見ていた私にそう見えただけかも。でも、なんとなく首は傾けないのに、左右に視線は振っているようだった。ちなみに彼の様子を、私はベビーカーが乗ってくる前に見てはいなかったのでもともとそういう雰囲気だったかもしれなかった。
女性が――私にはそう見えただけだが――ベビーカーをその空間に停めたいような、そんな目線の動きをした。ベビーカーを停めたい位置とその移動経路をさっと確認して、けれど男性が女性にこれっぽっちも気づく様子もないと、彼女が思ったように見えた。女性は窓際の男性の様子を見て諦めたのだろうか、出口に向けてベビーカーを押し出しやすいように停めた。

女性は、一駅だけ乗って、扉が開くと同時になめらかにベビーカーを降ろして歩き去った。


私が乗っていた位置も悪かったなと、あとになって思って反省したけれど。今になって、どうすればよかったのかな……と振り返ってしまう。
あのとき私に一瞬こみあげたのは、女性の視線をきっとそうなのではないかと私自身が決めつけて、男性に向かって「少し寄っていただけますか」って言いたくなってしまったお節介な怒り。それをそのまま口に出さなくてよかったなと。それだけは、しなくてよかったなと思うのだ。

男性がなにを考えてたのかはわからない。
ただ単に周りに全く興味のない人だったのかもしれない。
女性はベビーカーが置けない場所がまったくなかったわけではない。
私も動けたけれど、彼女に協力しなかった。口にも出さなかった。
しようもない話だ。
でもどうしてだろう、男性のくりっとした大きな目がちらりとベビーカーと女性を確認した気がしたのを、そうして見なかった振りをして窓の前でどーんと立っていたのを、私はただの見間違いにしたくないと思ってしまうのだ。たとえいやなものだと感じたとしても。



……何もしなかった自分自身すらいやなものに含まれてしまうから、忘れ去ってたくないのかもしれないけれど。

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