覚えている、覚えているとも

私の昔話をする。
高校2年の夏。
当時夜な夜な向かいの喫茶店で麻雀ゲームをするのが日常だった。
別に不良でもなんでもなく近所での日常的風景。
後輩はタバコを吸う。
そのタバコ吸いたさと麻雀とアイスコーヒー、それが恋しくていつもここに入り浸ってる。
ま
家の真ん前って事もあるけれど。
今思うと当時はどこもかしこもタバコで煙っていた。
インチキ臭いそのテーブルゲームはインベーダーゲームが飽きられ次世代としてプチ賭博要素を持ったもので運が良ければコーヒーチケットがもらえた。
しかしその晩、100円玉を入れ配牌が始まると
テンホー！
勝手にゲーム終了、負け。
なんじゃこりゃ！
こんなんあり？
まあ、でもこないだ四暗刻上がったし
こういうこともあるわな、と
広い心で再度100円投入
配牌が始まる
またテンホー……

私はふふふと笑い

おばちゃん！これ設定おかしいって！
2連続テンホーはあかんて、いくらなんでも。
貯金箱やないんだからさぁ
なんてぼやいても
まあ、あら、そう、ごめんね……
の必要最低不可欠三段活用語彙でさらりと流される。
ちぇ、やってらんねと舌打ちのあと
ピーポーパーポーとお馴染みの音
この音はパトカーだ
別に珍しい事じゃない
実家は居酒屋をやっており騒音問題で隣の床屋のオヤジがよくバット持って怒鳴り混んできてどうせまたその類の事かと思って気にもしなかった。
案の定パトカーは去って行った。
やれやれ
さあ、もう一局とコインを入れかけたとき
家の店の入り口で怒鳴り声が聞こえた。
これもよくある事、どうせ酔っ払いがくだをまいてるだけだ、気にもしない。
ところがその後、女性の悲鳴が聞こえた。
コレは只事じゃない、そんな予感がして
喫茶店を後にして店を見やると
男が大声で叫びながら暴れている。
私は当時仲が良かった巨漢の後輩と好奇心満々で近寄っていった。
するとまあ乱痴気騒ぎとはこの事かっていうくらいに2人のチンピラが好き勝手に店内で暴れていた。
1人はおふくろの髪をカウンター越しに引っ掴みながら
おらぁ〜このクソババァーが！と狼藉の限りをつくしもう1人はあろうことか床に転がっている人のお腹を蹴っていた。
しかもよく見るとそれは妊婦さん。
私はそれを見た瞬間血が沸騰した。
何しとんだコラァ！
思わず暴言になる。
お前ぶっ殺されてもしょうがないことしてるよな！
めっちゃ言葉使いが悪いと思うけど高校2年このシチュエーション無理もない。
私は好んで喧嘩を仕掛けるタイプじゃないが飛んでくる火の粉は振り払わねば。
食器の割れる音、チンピラの怒号と女性の悲鳴の阿鼻叫喚が私を刺激する。
人は２つのタイプに分類される。
危機的状況下で血の気が引いて腰が抜けるタイプと逆にアドレナリンが沸き武者震いするタイプと。
どうやら私は後者のようだ。
ウズウズして手の震えが止まらず体が熱い。
ほんとに殺しにかかるくらいの勢いで殴り掛かろうとした。
ヤンキーでも不良でもないが品行方正なお坊ちゃんでもない工業高校に通う地元暴走族の集うレストランでアルバイトする普通の高校生だ。
だが喧嘩や暴力と無縁ではない。
しかも体育会系でそれなりに筋力もありその当時はまだ腰痛も全くない鋼の腰をしていた。今はガラスだが。

しっかし不憫というか情けないのはまわりには他の大人のお客さんが数人いるにもかかわらずこの状況にあまねいているって事。
もうちっと何とかならんものかと思ったけれど
そうか、大人になればなるど危険を避けたがる。
ましてや相手はチンピラで組員を匂わせてる。
しょうがない。きっと家庭もあるんだろうな。
でも私はその時こんな大人にはなりたくないなと心に固く誓ったものだ。
目の前で妊婦さんが涙を流して苦しんでるのに手を差し伸べれない大人なんかに。
やい！救急車は呼んだんか！
せめてそれくらいはとその大人はハイ！と返事だけは良かった。
やれやれこっちはおふくろがえらい目にあってる。何とかしなきゃな。
チンピラAはど定番のカウンターの角でビール瓶を割りその先を向けて威嚇してくる。
このガキ、余計な首突っ込むんじゃねぇ
テンプレ脅し文句に相手の底を知る。
私は正直刃物で切られる痛みを知っている。
知ってるからこそこの男にわからせてやりたい
今お前が蹴っている妊婦さんの分まで
痛みってやつをとことん教えてやりたくなった。
ところが後方でチンピラBに髪を引っ張られながらもおふくろが
殴ったらアカン！と叫ぶ
それは暴力反対！PTA！的意見ではなく相手がいわゆるその筋の事を匂わしてるので報復を恐れての事だ。確かに正当防衛でも相手に怪我を負わせてはいけない。例えドチンピラでも。妊婦を足蹴にするような下衆でも。
わかった！と私はたぎる血を鎮め拳を解き両手を広げ、かかってこいよとアピール。
相手は酒に酔ってるオッサンだ。
といっても今思えば３０代前半だったろうか。
緩慢で直線的な動きは17歳の少年にとってはスローモーションでかわすのは容易い。
身を翻し背後にまわり相手の両脇から腕を入れ後頭部で手を組む。その際瓶を振り落とす。そして渾身の腹筋力で身体をくの字にさせそのまま外へ。よく映画で見るFBIが犯人逮捕の時に取るあの姿勢。地面に這いつくばらせ背中に乗るアレ。
その態勢から馬乗りになりアゴを両手で掴んで引っ張る！海老反りってヤツ。キャメルクラッチともいうらしい。
一体何があったんですか？
一応お客さん、言葉使いに配慮。
クラッチを半クラにして喋れるようにしてやる。
彼はゼーゼーと苦しそうに肩で息をし
バ、バァバァがよ……
そこでまたクラッチ。
誰が、なんだって？
緩めてやる
だから、ババァがよぉおお
またクラッチ
何度目にかになると力の加減がわからなくなる
この状態では息ができない
1分も続ければ失神してしまうかも。
かつて私はたまたま虫のいどころが悪い時にちょっかい出してきたツッパリくんにヘッドロックで落としかけた経験がある。
周りにいた子分連中がやめろ、やめろよ大合唱するのものだから緩めたものの彼は完全にグロッキーしてた。
後にちゃんと彼には謝ったけど修復不能。
彼とは仲が良かったのに……
だから暴力は嫌いだ。
子供の頃から癇癪持ちでそれが自分でも嫌だった。
何に怒っているのかそれすらわからなくなる自分。きっと自分自身に1番腹が立っていたのだろうと思う。
当然友達も居ず孤立
そんな少年だった。
今は加減はわかる。
しかしこの男はなってない
この状況で立場をわからせる為に教育が必要だ。
もう一度聞く、誰が！何をしたの！
どんどんこっちも言葉が乱れてくる。
数回クラッチハンクラを繰り返してようやく彼は学んでくれた。
ママが、お釣りを間違えたんだよ。
そうか
事の発端はそれか、こちらに非がないわけではないな、だがしかしそれでこんなにも事を荒立てるものなのか、私は無性に腹が立ってきた。
で、いくら足りなかったの？
500円……
500円のお釣りが足りない、たったそれだけのことで暴れ狂い、あわや小さな生命を失うかの行為をするか？どんだけ心が狭いんだ、と
思わず後頭部をどついた。
が、果たして自分はこの男より心が広いのか？
自分は自分で些細な事で我を忘れ友人を1人失ったではないか。この男を責め切れるほど私も聖者ではない。聖者ではないけれど今この瞬間においてコイツは徹底的に悪で弁解の余地もない現行犯で法治国家において刑を執行されてもおかしくない存在なら今ここで私が刑を執行してもいいんじゃないかって思う。
次いで
私は男の背中に乗ったままポケットから財布を取り出し500円玉を男の顔のそばに放り投げた。
もう勘弁してくれ、と泣きが入ったので私は文字通りのマウントを解き、彼を自由にしてやった。
すると彼は瞬時に飛びのいた後俊敏に500円玉を拾い、また安全圏に逃げる。
しっかり取ったな、500円。
ああ、せこい、
このドチンピラが！
反撃にきても良かったのにそれすらせず
侮蔑的に放り投げた500円玉を金塊かと見紛うほど貴重に奪取するその様を見てなんて滑稽で哀れで愚かな男だろうと心の底から軽蔑した。
どうかこの男に天罰を！アーメン。
やがて店内の騒ぎが落ち着いて外に出てきたチンピラBと一緒に去って行き50メートルくらい離れた時
覚えてろよ！
と叫んだ
ダサい、ダサすぎる
けれど
あれから40年経ったけれど覚えてる。
覚えているとも！
どうしてあの手の輩はボキャブラリーが少ないのか、しょーもないなって思ってた。
でもある意味真理だ。
あのオーソドックスな負け犬の遠吠え捨て台詞は
40年経っても色褪せない金字塔のように
限りなくダサいセリフとして私の脳に刻印されたんだ、ヤツのいう通りに。
難が去るとお店にいた他のお客さん達も外に出てきた。
気がつくと野次馬もたくさんいる。
えらい騒ぎになっちゃったな、
そう思ったころ救急車が来た。
介抱され落ち着きは取り戻した妊婦さん。幸い流血は無かったがやはり心配だ。まだ恐怖で震えている。大事をとってストレッチャーにのせ、やがて救急車は去って行った。
やれやれ、ひと段落か
と思ったら今度はサイレンを鳴らさず赤色灯のみでまたパトカーが来た。
何を今更……
そう思った途端
警官は
こんな夜中に騒ぎを起こすんじゃない！
と私に突っかかってきた。
どこかでブチンと音がした。
はぁ？
お前らが何もせんからオレがしょうがなく場をおさめたんだろが！
胸ぐらを掴んでいた。
互いに睨みあう
相手は自覚してる。暴力を振るったらどうなるか。
この制服組もまた守られている。
ヤクザ同様殴れない人種だ。
まあ、細かい事言ったら胸ぐら掴んだ瞬間
公務執行妨害！っとコレまたテンプレな展開なのかと思いきや
そうだそうだ！この兄ちゃんのいう通りだ！
あんたらが何もせんかったからこのにいちゃんが代わりにチンピラを追い払ったんや！
チンピラにはダンマリを決め込んでた大人連中が擁護してくれる。
アンタらケーサツには言えるのね。
でも助かる。
勢いに気押された警官は私の腕を振り払い
コレまた滑稽なすてぜりふ
とにかくこんな深夜に騒ぎを起こしちゃ近所迷惑だから気をつけなさい。
もうね
何もいう事はない
ご苦労さん
私はまだ高校生だったがケーサツ学校を出たであろう国家公務員に偉そうに肩を叩いてその労をねぎらってやった。
早よ派出所帰って書類でも整理しなって
この役立たずが、と言ってやりたかったがまあ、口は災いの元っていうからね。

つい先日
廃業して暫く経って店内の備品を整理していた母が、あらあらこんなものが、と
球体のガラスを見つけて言う。
それには台座がついていて中には水中花が。
センスのない下品な飾りもんだなと思っていたら
コレ、１０万円と母。
金額と不釣り合いで品がないとくればもうピンとくる。
ああ、その類のもんね、みかじめ料の領収書的なコレね。
全くアコギな商売しやがるな
コレのおかげで10マン円分のご利益があった？
そう聞くと
渋い顔をして母は
御利益なんてありゃしない
逆に１０万取られちゃったよと言う。
え？どういう事？
昔お店でヤクザが暴れた事があってね
その時店のお客さんの誰かに怪我させられたって
治療費１０万円請求されたの
は？
で、払ったの？
だってしょうがないじゃない。
全治3週間って書かれた診断書突き付けられてお腹の包帯見せられたんだから。
で、後日1人で事務所に払いに行ったわよ、１０万持って。
なんとまあ抜かりないというかプロ根性というか聞いていて腹立たしい反面コレもビジネスなんだな、結局取るもん取った奴らの勝ちなんだなと思うと同時に責任を感じた。
結局私のした事って一体何？
怪我をさせないよう気遣ってもほんの些細な擦り傷に全治3週間の診断書を書かせるスキを与えてしまった。
しかし母は母でよく単身暴力団の事務所によく行ったなぁと感心した。
まあ、お金で解決できるうちはまだいいよ
それにしても
誰だったんだろうねえ
あのヤクザに怪我させちゃったの

私は何も言えなかった。