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小学生のスポーツに勝ち負けは必要か?

 またまた考えさせられるスポーツの話題が持ち上がった。

(twitter https://twitter.com/asahicom/status/1504585903829889025より引用)

 小学生の全国柔道大会が2022年度の大会から廃止されるという。

   記事の中では、大人の勝敗への拘泥による子どもへのスポーツの弊害が指摘されていた。

 関係者によると、指導者が子どもに減量を強いたり、組み手争いに終始する試合があったりした。判定を巡り指導者や保護者が審判に罵声を浴びせることもあったという。全柔連幹部は「大人が、子どもの将来ではなく、眼前の勝敗に拘泥する傾向があった。見つめ直す契機にしてほしい」と話す。

(朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASQ3K72D7Q3JUTQP00H.htmlより引用)


 賛成したいという意見、やはり勝ち負けにこだわるべきとの意見があり、ツイッター界隈でも意見が割れている。

(twitter https://twitter.com/IiyamaAkari/status/1504616318099947521より引用)


(twitter https://twitter.com/mysomizo/status/1504600543582334990より引用)


 山下泰裕氏の写真ばかり並べて大変申し訳ないが、要は「小学生のスポーツに勝ち負けは必要か?」という事になるのかもしれない。

 この点について、元陸上競技選手でスポーツコメンテーターの為末大氏は、全日本柔道連盟の今回の決定に
 ①そのスポーツが弱くなるから
 ②全ての子供がスポーツを楽しめないから
 ③競技を超えた学びが得られないから
という3つの理由で賛意を示し、「若年層での全国大会がなぜ良くないか」と題するnoteの記事で自身の考え方を述べている。

 柔道はそれほどではないかもしれませんが、日本人が海外の試合に出てよく聞かれる質問は「日本人は10代ではあんなに強いのに、20代になってからなぜ弱くなるのか」です。要するに若年層の時代にトレーニングをしすぎて、大人になった時に世界とは戦えなくなっているというのが現状だと考えています。

欧州で中高の全国大会が禁じられた時のロジックは「子供たちはスポーツを楽しむべきであり、それは試合に出ることで補欠で試合に出られないことや過剰に勝利至上主義に走ることは避けなければならない」というものだったそうです。全国大会は勝ち抜き戦の構造を作り、敗退と補欠を生みます。

日本のスポーツは全てが「選抜システム」であると言われます。それは全てが才能を発掘する目的に向かっていて、全ての子供がスポーツを楽しむという視点の欠如に向けられた批判です。一方で勝ちたい子供を制限するのかという反対の声もあります。勝負は大切で勝ちたい気持ちも大切ですが、それには上限があります。私は早い段階で日本一になりましたので、離脱していく選手をたくさんみてきました。そのような選手にある特徴は本人より周りが興奮していることです。親と指導者が選手の才能に興奮して舞い上がっている場合、その選手の才能が潰れる可能性が高くなります。なぜなら勝ち抜く上で最も重要な主体性が損なわれるからです 

(為末大「若年層での全国大会がなぜ良くないか」https://note.com/daitamesue/n/n38a02a82e0cfより引用)

 
 スポーツに勝ち負けは必要である、と思う。
 ただ、小学生というカテゴリーで、一つの種目で全国一位を目指すこと、そしてそれがその子どもの存在意義となることに非常に違和感を覚える。

 おそらく、この決定に反対している多くの大人は、自分の子ども(指導者であればその選手)の存在意義を「柔道」にしか認めていない。
 「柔道が好きな子」と「柔道が強い子」は別であるし、たまたま親がやっていた、友達がやっていたという理由で柔道を始めた子も多いはずだ。

 子どもは時としてそのスポーツをやめたくなったり、モチベーションが続かなくなったりする。
 そんな時は、指導者や親が子供と対話して、続けるかやめるか本人を尊重して決めればいい。
 
 しかし、県内大会(市町村大会)でいい成績をとったり、全国大会に行ったりすると、親や指導者は途端に目の色が変わって
「あなたがやりたいっていってたじゃない」
 とか
「お前には才能があるからここでやめてはもったいない」
 などと説得に走るのだ。

 そして学校や行政までも子どもに無理な期待をかける。

 自分は昔から主張しているが、市町村の教育委員会で行われている児童・生徒栄誉賞なんて今すぐにでも廃止したらいい。 

 
 優劣をつけることは悪いこととは思わない。
 大人になれば否が応でも勝負の世界に放り込まれるし、例えば「運動会の順位をつけない」「絵や音楽などすべての芸術に対して褒め合う」とかいう結果の平等を無理に推し進めると「やってもやらなくても同じ」というモチベーションの低下につながるのもそのとおりと思う。

 だが、小学生年代において、まだ無限の可能性を秘める子どもを例えば「柔道」という一つのカテゴリーに閉じ込めて評価するのは、逆に子どもの可能性を閉じるのではないか、と思うのだ。


 仮に「柔道」で全国一位になった選手がオリンピックで金メダルを獲ったとして、その人の人生はそこで終わりではない。
 それまでのプロセスよりさらに長い人生が待っている。
 そしてその後の人生で罪を犯してしまうメダリストすらいる。

  
 これは「柔道」だけのことを言っているのではない。
 
 すべてのスポーツにおいて「小学生のスポーツに勝ち負けは必要か?」を検討していく必要がある。

 すべての親、指導者は、「柔道」を自分の子どもがやっているのスポーツに置き換えて考えてほしい。


  



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